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こちらに移してまいりました。
管理版から重要なところをコピペして、簡単に述べたいと思います。
言い訳がましいですが、あまりにも、時間が限られていますので。
きちがいの定義
>「残虐な事を平気でする人」ですか?
「人に苦しみを与える事に何の良心の呵責も無い人」ですか?
それなら、残忍とか冷血漢とか冷酷無慈悲であるとか色々当てはまる言葉があります。
にも関わらずあえてあなたが「キチガイ」という言葉がピッタリくると思う理由は
何なのでしょうか?
人間でありながら、人間のかけらもなく、冷血漢・冷酷無慈悲な「ケダモノ」以下の存在として使っています。要は、そんな存在がまぎれもなく、一国の大統領であり、首相であるということの皮肉です。
>我々の感性からは理解できない心を持っているという事でしょうか?
そういう事なら精神障害者についても我々は同じような偏見を持っていると思います。
問題はここです。
ワヤクチャさんは、正直な人です。
精神障害者について、理解できないという「偏見」を持っているのですか。たぶん、私はここのところが、とても、気になった点です。先の親御さんに感じたように、わが子が精神の病に冒されても、ただただ、理解できない病気として対峙されてきたのではないかと、直感的に思ったことでした。
つまり、自我の強弱といった問題はありますが、より人間らしい、感性豊かな、ナイーブな人間こそが精神の病にかかりやすいと、私はそういう「偏見・先入観」があるのですが、世間の見方はそうではありません。
大方は、すべてが心因性、つまり、こころのどこかに原因の根っ子があり、周囲の環境等(人間関係も含む)など、複雑な誘因と絡んで病気が誘発されるのだと思います。
ここを理解しないで、ただただ、病気としてあらわれる表層の病状のみをみて、精神病を理解します。つまり、きれいな女性がその心の鬱なままに身支度ができないままの状態。あるいは、父親にレイプされた少女が、面会に来る親を待ちわびながら、憎悪の感情をふきださせ、興奮状態となる様子。人はこのような精神病者を、外面だけで判断して、病気となってあらわれた、彼女らの主張に耳を傾けません。
つまり、心を視ないのですから、精神障害者がちんぷんかんぷんでわけのわからないものになるのです。ここから、差別と偏見が増幅します。
>要するにこの言葉の定義は曖昧であると思います。
通常はこの言葉を精神障害者の意味と捕らえていると思います。
ですから、長壁さんがブッシュや小泉や米軍が「キチガイ」であると表現する事は
多くの人々にとって「精神障害者」だと捕らえている事に聞こえるわけです。
言葉の定義は、すべて、曖昧です。すべては使い方次第です。佐藤巧さんが戦争板で、「最低限、人を傷つけないことが大事である」とのべ、けいこさんに対して、また、私の物言いに対して、家畜以下の行為のようにおっしゃっていましたが、これも、また曖昧そのものです。いったい、人を傷つけない批判などできるわけがないですし、差別語をさけ、丁寧な言葉こそが人を致命的に傷つけることも多々あります。
こんなことをいいだしたなら、私はこれまで、この阿修羅で、何百回、いわれの無い罵倒・攻撃・侮蔑をされてきたことでしょうか。きちがいどころか人格障害はもちろんのこと(まだ謝罪さえしないで本人はのうのうと書き込んでいます)、年齢差別・名前差別など、2チャン的な下劣な差別レスが延々と繰り返されました。こうしたチンピラアラシは、今もなお、健在なのです。そうそう、私はあるひとからすれば、永田洋子だそうです。
そもそも、親御さんは、世間の評価(偏見)を丸ごと肯定したうえで、世間の見方で娘さんを心配され、将来を案じていらっしゃるのです。私は、丸ごと、娘さんの側について、娘さんの世界に寄り添って、病の側から、世間と対抗して欲しかったのです。
>精神障害は何故生じるを思われますか?
この事を論じなければなりません。
私的には、子どもから大人に移行するべきとき、人格の土台となるアイデンティティがどこかしら阻害され、その後の環境等要因で発病するのではないかと思います。
一方、中年男性の自殺が示すように、通常以上の劣化した環境におかれた場合、うつ病をはじめとして、心は病みます。緊張が続くと心は疲れ、その糸は切れるでしょうし。ベトナム戦争帰りの米兵が、また、イラク米兵が、多く、精神病を発症していることをみれば、異常な、人間として耐えられない環境におかれた場合、人は狂気の世界に逃げ込むことになります。病気は一つの防衛でもあります。
50過ぎて、なお、医大の受験テキストを勉強されている女性患者さんもいると聞きます。彼女は、女子医大在学中に、病を発症されたということです。自分で、自分の人生の舵を切り損ねたままの状態が続いているといえます。
>また、ブッシュなどの思考や行動はどのようにして生まれてきたものでしょうか?
これも解明しなればなりません。
ブッシュや戦争推進勢力の行動など、ただただ、利権と保身です。そういう権力機構に乗っかったものが、人の命など虫けらほどにも思わぬようになることなど、古今東西、改めて言及するほどもないでしょう。人間性の薄い、彼等が、その環境、そして、その膨大な戦争機構にスッポリと収まっていけば、さらに、人間的な想像力や知性がないほどに、私の言う「きちがい」的になって行きます。
>そして、この2つが全く性格を異にするという事を明確に述べる事ができなければ
「キチガイ」という言葉を用いる事は大きな危険を冒す事になります。
私は、改めて、皆さんと、「きちがい」という言葉に対する認識に差があることを確信しました。もっとも、「謝る必要はないと思います」とレスしてくださった方(ごめんなさい、また、お名前を失念しました。後で確かめます。)も、おいでです。子どもは自分の意見を書き込んだあと(実質は投稿不可)で読んでいましたが、とても、感動していたようです。
私も、彼女?と同意見のエールを他にもいただいていますが、あの時、明確に私の意図を汲み取っていただけて、ほんとうに、嬉しかったです。見事な説得力ある内容でした。
ここで、いえることは、言葉一つとっても、100人100様、その理解も、その個々人の体験から人生観まで種々であれば、いかに日本語という共通語であれ、万人に通じることなど不可能であるということです。だからこそ、こうして、議論しているのでしょう。議論しながら、共有する核に近づいていくということなのでしょう。
>あなたの戦争に対する憤りは充分に解ります。
私も怒りあります。
しかし、私は「キチガイ」という言葉を使って戦争を批判しようとは思いません。
あまりにも曖昧な言葉だからです。
そして、この言葉を使わないからと言って戦争に憤っていないという事にはなりません
し、この言葉を使う人に「使わないようにして下さい。」と訴えたからと言って
その人が長壁さんの憤りを理解していないという事にもなりません。
きちがいという言葉にこれほどの反応があるということ、このこと自体に、意味があるともいえます。今、世界で行われていることを、皆さんは、きちがいという言葉を使わずに、表現してみてください。いえ、きちがいでなくてもいいです。狂気も、OO狂も、およそ、狂と思わせるものは差別語となると思いますし、みなさんの認識では、精神病患者さんを侮蔑し、傷つけることになります。
また、「この言葉を使わないで」と訴えられて、私が反論しているのではありません。他の皆さんの卑劣なためにするレスが多くまじっていたことも理解してください。木田さんの最後のレスなどは、納得できる部分もありました。
私がもっとも、怒りを感じたのは、戦争屋は嫌いださん、管理版での鈴をつけるねずみでしたか、また、最初から便乗するかのようにまちかまえていたクエスチョン氏です。他、揶揄めいたものの名前は、覚えていませんので列記しません。
要は批判する言葉としては不適切であるし、精神障害者に不快感を与えるという事です。
私は精神障害者にも反戦運動に参加して欲しいと思います。
その為には精神障害者を排除するような言葉は使うべきではないと思います。
この言葉を使わない事が奴隷になる事ではありません。
むしろ、使わない事によって社会から虐げられた者同士が連帯して
反戦に立ち上がれると思っております。
私も、不毛なエネルギーは、極力、使いたくないと思います。
ただ、ある階層に合わせて、言葉を使うようなことはしません。
私が恐れるのは、最初から意図してきたものは、言葉がすべて反転して用いられて、権力の思うように、国民が操られていくことの危惧です。まず、ブッシュの民主主義がそうでした。ここで、高弘氏の妄言が繰り広げられていますが、はっきりいって、彼がここまで、妄言を披露できるのは、日本の空気がすでに8割方、言葉の反転を容認しているからです。米国の二重基準と偽りの民主主義を、イラク人を殺す道具としてのテロリストつくりを容認し、人間として、人道上ゆるせないイラク占領そして、イラク人虐待と殺戮を黙認し、イラクに軍隊をおくりだしている国の国民が20万以上ともいわれるイラク人殺しの今もなお、豊かに生活しているという事実です。
精神病者をきちがいと呼んで偏見と差別をうえつけ、排除の道具と仕立て上げたのは、国家権力です。ハンセン病者(らい)を隔離し、人権を踏みにじったのもまた、国家権力です。帝京大の阿部が操作したエイズも、企業の利益と結びついた国家権力の仕業です。川田悦子さんは、龍平君の母として、この国家権力に真っ向から戦いを挑みました。私は、彼女を心の底から尊敬しています。
精神病をわけの分からない病気としておきたいあなたの心は、すでに、権力者のそれです。戦争加担者の心理です。肉体の障害・病気も同じですが、優性思想に通じるものに加担するものは、このとき、すべて、戦争加担者です。それも、自らがその張本人になるやも知れず。
「テロリスト」は「精神病者」です。その異議申し立てが、「常人」には理解しがたいという意味で。人間的な、あまりに人間的な彼等は、みずからの身を犠牲にして、祖国と同胞の尊厳を勝ち取るために、命を掛けます。その深い心をよみとることもなく、米国等、驕り高ぶった野蛮な略奪国家は、彼等を反転させて、きちがい、または狂人と呼びます。
ですから、私は、本来の言葉の意味を性格に復元して、ブッシュ・ブレア・コイズミこそ、きちがいであり、ケダモノであるといいます。
今まで、間違えて使われた言葉を性格に使うことからはじめることが、戦争抑止の要だと思います。
たとえば、核は禁止。ならば最も多く持っている米国の核をまず禁止です。テロリストに大量破壊兵器が渡るのがいけないなら、米国とイスラエルの国家テロリストにわたる危険を考えましょう。いえ、渡っている危険をこれ以上増大させないように、手足を縛りましょう。小型核やら、ロボット兵士など、もってのほかです。
以上、ながくなりました。
ここで、いったんきります。タイムオーバーです。