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(回答先: 酒鬼薔薇聖斗は少年Aではない…と思う。(2)【「少年Aは冤罪だ」と信じるに至るまで】 投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 6 月 29 日 09:23:17)
酒鬼薔薇聖斗は少年Aではない…と思う。(3)【冤罪説を採る際の私なりのスタンス】
http://www.sweet-cupcake.com/sakaki_stance.html
■警察やマスコミはどうでもいい
冤罪説を唱える人の中には「権力の陰謀」という言葉を好んで使う人が多いようです。この神戸事件ですと、ちょうどその頃から、少年犯罪に対する厳罰化が議論されていたから、厳罰化法案を通すために少年Aを犯人に仕立て上げたのだ、とかね。
でも、そういうことはまずないでしょう。一般に、何か目立つ事件では必ず陰謀説が出るものですが、実際には陰謀なんて、そうあるものでもないだろうと思います。この神戸事件の場合には、警察には警察の理由があって、少年Aが犯人だと信じたのです。その理由というのは、ひとえに、少年Aの元親友という人物からの「Aが犯人だと思う」という密告?だったのですけどね。
第二挑戦状が神戸新聞社に送られたのが97年6月4日。そして6月7日には、この元親友は警察で調書を取られています。そこでこの生徒の「Aがやったと思う」という(嘘だらけの)供述を得て、警察は犯人を少年Aに絞った。しかしその後三週間経っても、犯行とAを結びつけるものは出てこない。6月27日に、筆跡鑑定の結果が出ました。曰く「挑戦状の筆跡がAによって書かれたと断定することは難しい」。
筆跡鑑定で同一人物と出ていれば逮捕状が取れたのに、そうではなかった。警察はAを任意で連れてゆき「筆跡鑑定でオマエが書いたことが判明した」と嘘をつきました。そこで少年Aは、泣きながら「自白」をするのです。この日以降三ヶ月近くが経つまで、少年は両親とは会えずじまいでした。
元親友という生徒は、淳くん事件の10日前に、Aに殴られて転校しています。Aを陥れる供述をしたのは、まさにAを恨む理由がある生徒であったともいえるわけです。なのにそういう生徒の供述を鵜呑みにし、その後、少年Aの供述に矛盾する点が幾つも噴出したにもかかわらず、そのままAがやったと思い込んでしまうとは。まさに「愚鈍な警察諸君」「愚鈍な検察諸君」「愚鈍な裁判官諸君」です。
とまあ、警察というか、権力というか、人間はかくも愚鈍ではありますが「少年法通したいから、大事件の犯人は少年ってことにしてね」なんて理由でAが犯人とされたのではないわけです。
また、神戸事件では、マスコミがひたすら警察発表ないし検察調書に追随し、独自の視点による検証をほとんど行わなかったことが少なからず指摘されています。しかしこれも「マスコミはダメ」と責める気持ちにはなれません。
仮に、警察や検察に、あるいはマスコミに、真実を追究する気持ちがないのだとしても、それは結局のところ、人間というものがもつ弱さであり、愚かさであると思うのです。権力やマスコミを監視するのは大切ですが、それらの誤りはやはり、人間一般まで還元して考えられるべきでしょう。誰でも、その立場に置かれれば同じ行動をとるかもしれない、というふうに。
実際、大勢の意見に逆らって常に自分を貫ける人間が、私たち人間一般の中にいったいどれだけいるものか。何より日本人は「空気を読んで」身を処することを、幼い頃から要求され続ける国民です。日本的な価値においては、真実が何かということはあまり重要ではありません。みんなが信じているものにとりあえず賛同することで己を守ることが最優先とされる国に、私たちは住んでいるのです。
冤罪を疑わせる事実がこんなにもあるのに、それでもみんなが「Aはやった」と言うから、あなたも「Aがやった」と思うのか。ほんとうにそんな態度でいいのかどうか。真っ先に問うべき相手は、常に自分自身なのだと思います。
■検察の調書はつついても無駄
少年Aの事件に関する供述は、確かにデタラメです。たとえば淳くんをどのように殺したかにしても、まず手袋をして首を絞めて格闘。次に右手で首を絞めながら、左手で靴紐を解き、その紐で首を絞めた。次にその紐をフェンスに繋ぎ、自由端を首に巻きつけ、再度首を絞めたとか。ずいぶんケッタイな手順ですな(笑)。それに手袋をしたままで、よくも靴紐を解いたりできるものです。
実はこれらはすべて、遺体の所見を説明するために考え出されたことなのです。「手袋」は、淳くんの首に指紋がなかったため。「右手で絞めながら」というのは、淳くんの首には右手指の痕しか残っていなかったから。「靴紐」というのは、淳くんの首に索状痕が残っていたからで、しかも首はその索状痕に沿って切られていたといいます。こちらのページにも書きましたように、遺体の首はかなり上のほうで切られていますので、索状痕もやはり上のほうについていたのでしょう。それで「フェンスに靴紐を繋いで首吊りのようにした」ということになるわけです。
一時が万事この調子なのですが、そもそも自白が嘘なのですから仕方がありません。事件の状況に合わせて空想で供述するのって大変なんだろうなとつくづく思います。
でも、証拠や証言のない部分、本人であれ検察であれ、後からどうとでも言えてしまう部分の矛盾をついても、少年Aがやってないという確証には、さほど繋がりそうにはないなと思うんですね。たとえ少年Aが真犯人であっても、嘘の供述をすることは充分ありうるからです。「やった」と言いながら細部で嘘をつくのも変な話ですが、相手にほんとうのことを知らせないことで自分を守る、ということもないとはいえません。
ですので、私自身は、発表されている供述調書にはあまりこだわらず、挑戦状や家族の証言など、私たちの目の前に差し出された事実から事件を組み直してゆきたいと思っています。ただ、おかしな供述は、事実がどうだったのかを知るための手がかりとなる、とはいえるでしょうでしょう。Aが手袋をしていたと聞けば、被害者の遺体に指紋はなかったんだな、というふうに。
それにしてもまあ、裁判とか審判というのは、ここまでデタラメな調書でも通ってしまうものなんですね。いかに少年の自白があるといっても、これで少年Aを犯人だと判じるというのは、何ともだらしがない気がします。それぞれの立場の人が、それぞれ真面目に仕事をこなしている。世間的には真面目なんだけど、真実に対しては物凄くだらしない。心の中に自分なりの原則みたいなものが、そんなにまでもないのかなと、ずいぶん不思議に思います。