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鬼薔薇聖斗は少年Aではない…と思う。(12)【2月・3月事件について】(了)
http://www.asyura2.com/0403/nihon13/msg/767.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 6 月 29 日 10:50:46:0iYhrg5rK5QpI
 

(回答先: 鬼薔薇聖斗は少年Aではない…と思う。(11)【お笑い精神鑑定書】 投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 6 月 29 日 10:43:27)

鬼薔薇聖斗は少年Aではない…と思う。(12)【2月・3月事件について】
http://www.asyura2.com/0403/up.cgi?ban=nihon13&up=2


■少年Aは、淳くん事件の他に、97年2月10日に起こった2女児殴打事件と、3月16日に起こった児童殺傷事件の2件についても、自分がやったと話しています。

2月事件についての、家裁の認定は以下の通りです。

1997 年2月10日午後4時35分ごろ、神戸市須麿区内の路上で、小学校6年生の女児(当時12歳)の姿を認めるや、突然、かばんの中に持っているショックハンマーで殴ろうと思い立ち、同女に対し、取り出したショックハンマーで、その左後頭部を1回殴打する暴行を加え、よって、同女に対し加療約1週間を要する頭部外傷の傷害を負わせた。

上記日時場所において、上記同様、小学校6年生(当時12歳)に対し、上記ハンマーでその右後頭部を1回殴打する暴行を加えた。

この2月の事件についての、私の疑問は2点あります。一つは、殴られた女児が、凶器を「黒いゴムのような棒状のもの」と言っていること。女児たちの通う小学校から教育委員会に上がった報告書には「鉄パイプのようなもの」と記されていました。いずれにしろ、少年Aが凶器にしたというところの(というより警察&検察がそう言っているのですが)ショックレスハンマーとは、ずいぶん形状が異なります。

少年Aは、そのショックレスハンマーを近所の雑貨店で万引きして鞄に入れていた、というのですが、そのハンマーがその店で売られ始めたのは1998年からであることが、真相―神戸市小学生惨殺遺棄事件に記されています(少年Aの住んでいる地域には、雑貨類を売る店はその一軒しかないらしい)。

殴られた女児たちは、犯人の様相を「赤い顔でフラフラしたお兄ちゃん」と称しています。犯人は制服姿で、女児の一人は、それが少年Aの通う中学校の制服であるといい、もう一人は別の中学校の名前を言ったと、地獄の季節―「酒鬼薔薇聖斗」がいた場所には出ています。前者の女児の父親は少年Aの中学校に乗り込んで、在校生の写真を見せるよう要求しましたが、学校は「プライバシーの問題だから」と断っています(断るなよ〜)。

ともあれ「赤い顔でフラフラ」という証言から、警察はシンナーの常習者を探したようです。制服着てシンナー遊びなんてしますかね? するのかもしれませんね。あるいは犯人は飲酒していたのかもしれません。しかしながら、もしそれが少年Aであったとすると、ちょっと不思議なことになってきます。というのも、少年Aは、女児殴打事件が起こった時刻の30分後には、母親と一緒に呼び出されて学校にいたからです。

呼び出されたのは、少年Aが「靴を踏まれた」という理由で、一学年上の女の子を数日間に渡ってつけ回したからです。この女生徒を攻撃するのに失敗したその足で、少年Aは女児2人を殴打したのだとされています。しかし、つけ回された女生徒は、少年Aが「赤くてフラフラ」であったとは言っていないのです。

仮に、女生徒の攻撃に失敗したあとでシンナーなり飲酒なりをやったのだとしても、学校から呼び出しがあったときには、少年Aは既に自宅にいたわけで、母親も特に少年Aに異変を感じたわけではありません。呼び出した教師も、Aがシンナー臭い、酒臭いといったことは感じていないのです。これが疑問の2点目です。もちろん、酒やシンナーが短時間で醒めるものであったり、少年Aの外見が、薬物やアルコールがなくても「赤くてフラフラ」だったのであれば解消する疑問です。

暗い森によれば、小学校から報告を受けた教育委員会は「類似の事件は残念ながら多い」ので、緊迫した事故とは捉えていなかったといいます。限られた地区で類似の事件が多いというのもどうなのかと思いますけどね。


■3月16日に起こった児童殺傷事件に関する家裁の認定概要は以下の通りです。

同年3月16日午後0時25分ごろ、同区内の路上で、通行中の小学校4年生の女児(当時10歳)に対し、未必の殺意をもって、八角げんのうでその頭部を殴打し、よって、同月23日午後7時57分、頭がい粉砕骨折を伴う高度の脳挫傷により死亡させ、もって同女を殺害した。

同日午後0時35分ごろ、同区内の歩道上で、通行中の小学校3年生の女児(当時9歳)に対し、未必の殺意をもって、刃体の長さが約13センチのくり小刀でその腹部を突き刺したが、同女に加療約14日間を要する腹部刺創及び外傷性下大静脈損傷等の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった。

この事件についても、凶器の形状にはやはり疑問が残ります。少年Aは「八角形のハンマーを振り上げて上から殴りつけた」と供述していますが、女児の頭部に残った傷は「八角形」とも「上から振り下ろす」とも程遠いものでした。

陥没した頭部の形状などから、捜査本部は使用された凶器を金属バットとほぼ断定した。縦長の台形状の陥没痕は児童(記事中では実名)の左側頭部から中央後頭部にかけて及んでいる。つまり犯人は(略)バットをスイングするようにして、卑怯にも後方から一撃したのである。
(サンデー毎日97年6月22日号/神戸事件を読むより転載)

後方からスイング一撃で粉砕骨折に至っていることから、犯人は左利きであったものと思われます。刺された女児の傷からも、犯人は左利きであることが推測されるのですが、少年は右利きでした。まあ、右利きといっても、左手が使えないというわけではありませんけどね。

この3月事件については、少年Aが犯行ノートを残したことになっています。このノートは、こちらのページで比較してみたように、筆跡からして紛れもなく少年Aが書いたものです。各ページは四隅に血判が押され、ページの末尾には例の風車のマークが記されています。冤罪派は、このノートも警察の捏造ではないかというのですが、その場合、四隅に血判まで押すだろうか、という疑問が湧いてきます。

それでも、私も今ではこれは、少年Aが警察で書いたものではないかと疑っています。血判といっても、ノートの実物は公表されていません。白黒コピーであれば、通常のインクであってもいいわけです。

このノートについては、家宅捜索の折りに父親が刑事から「こんなものがありましたので」と見せられ、そこに風車のマークがあったので愕然とした、という話が伝わっています。少年Aにとっては不利な話でありながら、冤罪派の書籍やウェブサイトにも同じ記述がありますので、これは信じていいでしょう。

しかし父親はその時、文面は見せられていません。押収の段階では、マークがあったのがノートかどうか、その前に文面があったかどうか、どういう前後関係でマークが使われていたのかなどは確認されていないのですね。

また、日記の日付は3月16日、17日、23日、5月8日分だけが公表されているとされていますが、それ以外の日付があるのかどうかも発表されていません。また、23日という日付は、翌日にならないと判明しない事実が記されているために、24日の間違いであろうと考えられます。24日に判明した事実とは、殴打された女児の死亡記事のことです。この記事を読んで、少年Aは23日付のノートを書いたことになっています。

今日の朝目が覚め、階段をおりて下に行くと、母が「かわいそうに、通り魔におそわれた子が亡くなったそうよ」と言いました。新聞を読んでみると、死因は頭部の強打による頭蓋骨の陥没だったそうです。頭をハンマーでなぐった方は死に、お中をさした方は順調に回復していったそうです。

これはいずこかの冤罪派サイトで指摘されていたのですが、当時少年Aの家で購読していた朝日新聞では、その日の記事で「死因は頭部の強打による頭蓋骨の陥没」という表現はしていなかったというのですね。なるほどなと思います。「順調に回復」なんていう言葉も、当時の少年Aの語彙にあったのかどうか、疑わしい。

何より、犯行ノートの内容を素直に読んでみると、果たして犯行直後に自分の行動をここまで客観的に書きつけることができるものなんだろうか、という気がしてきます。

まず公園に一人であそんでいた女の子に話しかけ、「ここらへんに手を洗う場所はありませんか?」と聞き、「学校にならありますよ」と答えたので案内してもらうことになりました。
(略)
そして女の子がこちらを向いたしゅん間、ぼくはハンマーを取り出し、女の子は悲鳴をあげました。女の子の頭めがけて力いっぱいハンマーをふりおろし、ゴキッという音が聞こえました。2、3回なぐったと思いますが、こうふんしていてよくおぼえていません。
(略)
道から歩いてくる女の子を通りすがりに今度はナイフをつかってさしました。まるでねん土のようにズボズボっとナイフがめりこんでいきました。女の子をさした後にその後ろの方に止めておいた自転車に乗り、家に向かって走り出しました。

殴打された女児の傷口は「2、3回殴られた」ものではなく「一撃」なのですが、それはさておいても、犯行の手順などが客観的に、誰かに報告するかのように書かれていて、言ってみれば、供述調書のようなのですね。出来事について書くというのは、ある程度その出来事が自分から離れていないと無理だと思うのですが、少年Aは、まだ興奮しているであろうその日のうちに、自分のやったことをやけに冷静に書いている。

しかもその書き方には、何を重点と考えるかという視点がない。人の記憶には、すべての出来事が同等に刻まれるわけではなくて、関心や性格傾向などによって、何を覚えて何を思い出すかについては、その人なりのフィルタリングが行われるはずです。そうした記憶の歪曲が、このノートの記述には感じられない。すべてフラットに書いているような気がしてならないのです。

そういうふうに考えると、少年Aが警察で3月事件について自白した折りに「今話したことを整理してここに書いてみなさい」と言われて書いた…と考えたほうがしっくり来ます。そうしたことを、警察が果たしてやるのかどうかはわからないですけどね。

少年A 矯正2500日全記録には「あの事件が起きてから、なぜか凶悪犯罪が増え、街を離れる人も多くなった」という記述があります。

「この前も、足を切られた若い女性が出血多量で亡くなったの。本当に物騒になったわ」

少年Aが冤罪であるとすると、2月、3月事件の犯人も今なお放たれているわけで、引っ越したほうが賢明だというのも、あながちハズレではないかもしれません。

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