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(回答先: 「私物化」に全ての不幸の原因を求めるのは間違ってます。(ゆらぎさんへ) 投稿者 真相ハンターK 日時 2004 年 7 月 04 日 14:09:02)
真相ハンターKさんこんにちは。
確かにKさんの言われるとおり、「殺し」という「手段」を用いることには、その人のさまざまな目的があり、ある結果を望んで行う行為です。
ただし、どんな目的・結果を望むのであれ、「殺し」という「手段」を選択した時点で相手を自分の目的の為に私物化(所有化)したと思っております。
そもそも「所有」意識とは何か?
人間が何かを「所有しよう」とすることは、ある結果を期待し、その手段として「所有しよう」とするのです。
つまりある結果を期待しあるものを「自分の思いどおりにしよう」とするということです。
ただし、その対象(人間・動物・物等)に意志があり、自分の思い通りにならないものもあります。
その場合にその対象の意志を尊重し、思い通りにならないという事を受け入れた時は、それは自分の「所有」(私物化)とはならず、共に生活するものや、その場所を共有するものとなるのだと思います。つまり所有関係ではなくパートナーや維持管理をするもの等の表現による関係性となるのだと思います。
これは法律的・契約的云々の次元の問題ではありません。意識の問題です。
さて、Kさんの主張される「生存する為に「殺し」という「手段」を用いる」ということは、自分が生存するために相手を「殺し」という手段、つまり「私物化」という手段を選んだということはお話ししました。
また、「生存する為になぜ殺す必要があるのか」を考えることは非常に大切な問題であると思います。
これは人間の本質とは何かを問うことで、これはあっしらさんも設問にて同じようなことを問い掛けておりました。
その時は、本筋からそれると考えて明言を避けておりましたが、私は人間の本質からすると、「殺し」を選択せずに「分かちあう」ことを選択することが、本当の「合理性」であると考えております。
これについては議論をとことん重ねても良いとも思っております。
(あっしらさんが、望むならば・・・。)