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(回答先: 無駄です。 投稿者 真相ハンターK 日時 2004 年 7 月 05 日 07:08:27)
真相ハンターKさん、どうもです。
▼真相ハンターKさん
【問題はゆらぎさんの「私物化」の定義にあります。
どのようにも拡大されて「自己の優越性の顕示」や「自己の脅威の排除」も包括的に含む負の感情全般をあらわすモノでは大部分の事は(正の感情であっても)含まれてしまうのです。
と言う事は逆に言えば「解決策のない問い」なので考察そのものが無駄です。】
感情全般とは申しておりません。あくまで私物化(所有化)意識にあるとしております。それは維持管理意識でも友情意識でも幸せ意識でも喜び意識でも悲しみ意識でも寂しさ意識等々でもありません。
ただ単に「ある結果を期待しあるものを(それに意志がないものとして)「自分の思いどおりにしよう」」という意識のことを言っているのです。そしてそれを簡単に言い表す言葉として私物化(所有化)意識といっているのです。
また「解決策のない問い」だとは考えておりませんが、仮に解決策がないとしてもそれが「ある問題の人間における根本の原因」であるとすることはできるはずです。
極端な例で解りやすい例あげると「ある高さのものが取りたいけど、取れない」という事例があったとしましょう。
なぜそれが取れないのか。その人間のどこに問題があるのか?
つまりその人間にはそれに手が届くほどの身長が足りないということがその人間の原因であると主張します。
それは確かにその人間の身長を高くすることは、普通に考えて不可能です。しかし、原因はそれだと主張することはできます。そこで初めて原因の共有化が図れるのではないでしょうか。
その原因の共有化後に、どうすればいいのかを話あっていくのではないでしょうか。
そして身長を高くするのは無理だけど、例えば何かに乗ることができれば手が届くだろうとか、人間の骨をいじくってみたらどうだろうかとか、そもそも全部手が届く必要もないだろうとか、なぜ手が届く必要があるのだろう等々を考えていくのではないでしょうか。
そもそも、今は「はしご」とか「ヘリコブター」とか具体的に乗ることができるものを我々が開発しているから、容易に問題を解決することを発想することはできますが、太古の昔、「はしご」や「ヘリコブター」すらもない場合は、手が届くなんてことは夢にも思わなかったでしょう。
だからと言って根本の原因を探ることは無意味だとは感じません。
ですからまず「殺人」の原因は人間のうちのどこに問題があるのかを探る必要があるとしており、そこで私はできるだけ的を絞ったかたちですべてを包括したものとして「私物化意識」というものを提示しているのです。
なぜ無理に否定されるのでしょうか。またとりあえずすべての「殺人」において他にどの意識が問題の原因であるのか提示していただいてもかまいません。
▼真相ハンターKさん
【逆に聞きますとどう言った感情ならば「私物化」に当たらないのですか?】
【http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/589.html 私物化(所有化)意識とは。】
に端的に記入いたしました。
↓
人間が何かを「所有しよう」とすることは、ある結果を期待し、その手段として「所有しよう」とするのです。
つまりある結果を期待しあるものを「自分の思いどおりにしよう」とするということです。
ただし、その対象(人間・動物・物等)に意志があり、自分の思い通りにならないものもあります。
その場合にその対象の意志を尊重し、思い通りにならないという事を受け入れた時は、それは自分の「所有」(私物化)とはならず、共に生活するものや、その場所を共有するものとなるのだと思います。つまり所有関係ではなくパートナーや維持管理をするもの等の表現による関係性となるのだと思います。
これは法律的・契約的云々の次元の問題ではありません。意識の問題です。