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(回答先: 根本の原因を探ることにおいて無意味だとは感じておりません。 投稿者 ゆらぎ 日時 2004 年 7 月 05 日 16:51:37)
ゆらぎさん こんばんは
どうもKの言いたい事を理解されていないようですので質問を変えます。
>人間が何かを「所有しよう」とすることは、ある結果を期待し、その手段として「所有
>しよう」とするのです。
>つまりある結果を期待しあるものを「自分の思いどおりにしよう」とするということで
>す。
ここはOKです。Kなりに言い方を変えますと。「自分の利を目指す全ての行為は『所有意識』にあたる」と云う事になる訳です。
つまり、「環境を自分の住みやすいようにする努力」も、「社会を自分が住みやすいようにする努力」も、「楽しい会話ができる友人を得ようとする事」も、「良い伴侶を見つける事」も、全て含まれます。
そもそも、共有意識は裏を返せば、「所有意識」の一つです。
それをふまえた上で「所有意識」に根ざさない人間の行動を提示して下さい。
人の笑顔が見たいなどというのは「自分にとってそれが気持ち良い」からです。
人間が公共の道具と自分の道具を使った時は多くの場合「公共の道具」の方を乱暴に扱うみたいです。
幼児虐待においては「こんなガキは私の子では無い!」と云う一種のヒステリー症状から起こる事も多いそうです。そこにある感情は「所有意識(一般的に言う)」よりは「迷惑な他人」との感情の方が強いはずです。
自分の思いどおりにならない他国の兵隊は「所有意識」から撃ち殺すのですか?
そこには自分と違う存在であり、自分より強いかもしれないと言う意識がある訳です。
楽物により、正常な思考ができない者の殺人や、単に殺したいから殺したと云う殺人、神のお告げがあったので殺した。と云うのは「所有意識」が原因でしょうか?
病魔に犯され、「殺してくれ」と泣き付かれたので自分の肉親を殺めたと云う場合はどうでしょうか?そこまで行かなくても「訳あって殺人を犯しました」と言って自首するような例は「所有意識」が原因でしょうか?
Kの主張は一点です。最初の表題と同じなのですが「全ての原因を『私物化意識』に求めるのは間違っている」です。
殺人に代表される不幸は様々な要因の積み重ねによって起こるのです。法律で「動機」とされた事などは「普通の人が納得するための方便」でしかありません。本当の所は当事者にも分からない場合も多いのです。
その中にはゆらぎさんの主張される「私物化」もあるでしょう。それはあくまで割合として含まれる訳で、100%に近い時もあれば、見方によっては「私物化」的意味合いが僅かに見て取れる程度の時もあるはずです。
人間の感情は複雑怪奇の上、人間には一定の狂気もあるのです。しかも、人間は間違いを犯す動物なのです。単純化して画一的処置で処理しようと言うのは無理なのです。
かって、早稲田の大槻教授は全ての不思議を「プラズマ論一本」で説明しようとして失笑を買いました。
これ以上の言葉は並行論を生むだけかもしれません