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(回答先: Re: 質問を変えましょう。(簡単に答えるのみで申し訳ございません) 投稿者 ゆらぎ 日時 2004 年 7 月 06 日 10:01:59)
>ゆらぎさん ほぼKの予想通りの解答をありがとうございます。
諸事情もあり、気の毒とも思いますが、久々に本気モードになっているので容赦なく論破する事にしました。
Kとゆらぎさんにおける論点は2点です。
1 「私物化意識」が全ての殺人の原因だと云うゆらぎさんの主張による論点
2 共有意識の重要性もしくは殺人の根本原因の究明にについてKが「無駄」と主張した点
実は、Kは既に書いているのですがゆらぎさんのおっしゃりたい事はKがこのスレッドを書き込む前から理解しています。ゆらぎさんと完全一致するとは言いませんが部分的にはゆらぎさん以上に深く考察している面もあるはずです。
確信を深めるためにあえて出した各殺人の具体例に対する解答を見ても、今までに提示されたゆらぎさんの主張を読み直して見ても「Kの認識を超える視点」はありませんでした。これは、ゆらぎさんが「Kより深い考察」をしていない事と「Kより広い視点」を持っていないと言う意味でもあります。これはKが突拍子も無い広い視点や深い思考力を有するとの主張ではありません。ドングリの背比べとでも思って下さい。
ドングリの背比べならば同一方向で思考したあった場合には「自分の思考を根本から覆すような斬新な思考」は生まれにくいものです。
Kは既に「概ねゆらぎさんの主張は理解している」と書いてます。
その上でKは「言葉の定義を厳密な意味で議論しても始まらないのですが、少なくともゆらぎさんは誤解を生む言い回しをしているのです。」とも書いています。
その意味を考えて下さい。
Kは【Kは思うのですが殺人事件の9割程度は「私物化」よりは「自分の生存の邪魔になるものの排除」の意識から来ていると思っています。】最初に書いていますが、これは「私物化」と言う(誤解を生む表現での)言葉の定義についての疑問です。
「自分の生存の邪魔」が不適当ならば「自己の存在にとっての邪魔」と言い直した方が良いのかもしれませんが、どのような言葉の言い回しをしても本質は変わりません。
つまり、Kにとっての「自分の生存にとっての邪魔の排除」はゆらぎさんの「私物化意識による殺人」とほぼ同一のモノ(現象)です。言い回しを変えてるだけで、どちらがより一般的に見て誤解無く受け入れられる表現かの違いがあるだけなのです。(厳密には違う部分もあるかもしれません。ですから結構気を使った言い回しになっているのです。)
ここまでは理解されたでしょうか?人間の表現力は限界があり言葉では言い表せない部分もある訳ですが、その辺を含めて、Kはゆらぎさんの主張をほぼ理解していると自負していると思って下されば話は早いのですが、当面は・・・ほぼ理解していると思い込んでいるだけだと思って下さってもかまいません。
さて、論点2の共有意識(ここでは殺人における根本原因の共有化)の重要性について論破します。人間は状況判断などにおいて認識の共有化をしても自己の判断については共通の認識は生まれません、ですから無駄なのです。
Kはゆらぎさんの主張はほぼ理解したと主張しています。それに対してゆらぎさんがどんなに多くの言葉で「説明の補足」をしても無駄なのです。
それを「無駄では無い」とするならばゆらぎさんの思考は3つのパターンがあります。
1 ゆらぎさんの主張にKが納得しないのはゆらぎさんの説明力の不足か、Kの理解力の無さかのどちらかが原因でKが本当の意味を理解しないからだ
2 ゆらぎさんの「私物化」と云う考え方の発見はとんでもない凄い思いつきで多少の説明ではなかなか理解されないと思われる程、素晴らしい真理だ
3 Kが頑固で頭が固くて、相手の意見を理解しようとしていない。もしくは理解を最初からあきらめている。または、悪意を持って対処している。
上記のパターンは全てはずれです。Kは全てを分かった上で「私物化」という「言葉の定義について」(イメージとしては理解しているけど)同意出来ない。のです。この場合はゆらぎさんが「私物化」と云う表現法を変更しない限り一歩も前進しないのです。平行線であり、無駄以外の何物でもないのです。
仮に機械によって生かされている人がいたとします。
機械の電気を切れば即死です。
医者は「この人はもう死んでいます。残された家族の経済的な負担を考慮して機械のスイッチを切りたいと思います」と言います。
家族は「まだ生きています。少なくともまだ一縷の望みはあるはずです。お金は何とかしますので機械のスイッチは切らないで下さい」と言います。
同じ現象を共通の視点において確認し双方が充分に状況を把握しても共通の認識(同じ思考的帰結)とはならないのです。
理解出来ましたか?これは「殺人の根本原因の究明」においても同じです。Kが問題にしているのは本質では無く、「言霊使い」としての言葉の定義です。
つまり、議論を続けても共通の認識は生まれないのです。Kがゆらぎさんに完全に同調する可能性はゼロです。Kが「理解したと思ったならば」それ以降の議論は無駄なのです。
既にKは読み切っているのです。ゆらぎさんとしての視点も考察済みなのです。
無駄以外に表現が無いくらい見事に無駄なのです。
これは論点2の完全な論破であるはずです。
さて、次に論点1です。
順序を逆にしたのは説明を楽にするためです。
ゆらぎさんが「私物化」という表現に固執する限りはどのように言葉で補足してもどんなに素晴らしい考え方であっても、その意見は誤解を生み決して多くの人から理解されないものだとKは思っています。「所有物であるから自分の自由にして良い」との意識は理解します。理解出来るからこそ狭義の定義に陥るのです。動機の単純化として多くの人は捉えるのです。
Kは全てを理解したと思った上であえて一般的な思考での疑問をぶつけて見た訳です。Kは「多角的視点を研究する者」です。実を言えば全面降伏して撤退が趣味です。それぞれの視点には利点があり、見習うべき点が多く、感心する点も多いので、あえて「勝ちに行く事は少ないのです」
そのKがこれだけ本気で考察しているのです。もう少し万人に受け入れ安い定義にしないといけないのです。
「私物化」によらない殺人は考えにくいとゆらぎさんが主張する一点を取ってみてもその主張が矛盾している事は一目瞭然です。あえて言い換えれば「全ての不幸の原因となる」広範囲の定義は無いのと同意なのです。限定した現象に誘うのはそれを無意識に嫌っているのです。収拾が取れなくなるからではなくて、元々収拾できない定義をあえて「幼児虐待」と「殺人」に限定して定義されているという錯覚を招こうとしているのです。
ここはKが折れても良いのですが。共通の認識を作ろうと誘導するのはゆらぎさんの主張する「私物化」になります。
>ただし、自分が正しいと思ったこと提案・提示・主張・教育することは、押し付けると
>いうことは違います。提案・提示・教育することは私物化意識にはあたらず、それを相>手の意志に反して押し付けた行為が私物化意識になると考えております。つまり押し付>けがなければ対立し争いを生み出しません。
とゆらぎさんは定義されていますが、これらもすべて「私物化」になるはずです。
とは言ってもゆらぎさんは「善意」において行われる行為ならば「私物化」にはならないと規定されるのでしょうが・・・
少なくともゆらぎさんが「私物化」をもう少し巧く説明さえすればKが納得すると思っているならば、ゆらぎさんの都合の良い方向での共通認識へKを誘導している訳ですのでそれはゆらぎさん規定の「私物化」の範囲です。
つまり、「私物化」は無くならないモノであり、その誘導行為は対立を生み、争いを作るのです。善意の押しつけであると相手が認識するしないは相手方の方に選択権があるのです。「相手にとって良かれとの思いから行われた行為」かどうかを判断するのは相手なのです。
これは「私物化」の定義は意味が無い事を意味します。本人に全くその意思がなくても相手次第で争いまで行き、殺人まで行く可能性がある訳です。
それも「私物化」の一種でしょうが、善意から生まれた誤解すらも、そうであるならば意味がないのです。これは論破の筈です。
しかし、それでも「もう少し巧く説明出来れば・・・」と言う思いもあるでしょう。
Kがまだ充分に「私物化」の意味を理解していないという勝手な思い込みです。
もしかしたらKは理解したと主張しているだけかもしれません。
しかしその感情は「私物化」です。捨てなければいけないのです。これは完璧な矛盾です。
すでに、人間の感情などそんなに単純なモノではないと前にも書きましたが
理解していても同意しない場合も多々あるのです。
そこを認めないならば「私物化」は定義出来ないのです。
他人を完全に推し量れないから多くの殺人は起こります。
意識をすりあわせようと会話するから対立がおこります。
この場合の「私物化」にはゆらぎさんの「私物化」、Kの「私物化」、一般としての「私物化」のイメージはそれぞれ異なるのですが
混同、拡大解釈、限定承認などの様々な方法があって、定義自体があいまいで意味もないのです。
更にKは狂気についても触れていますが、狂気に言葉の定義は無意味です。
殺人は多くが狂気によって起こります。その場で「私物化」の消滅など主張するのは全くの無意味です。
以上で「私物化」についての定義の無駄の論破は完了したと考えます。
結論から言えば「私物化」と定義するのは意味が無く、本質的には別のモノとの誤解も生ずるので価値がないと言うよりは言葉として別の定義の方が良いとなる訳です。
実は書いている内に要旨を忘れてしまいました。(汗)
もう少し綺麗に論破できたはずなのですが
まあ、良いでしょう(オイオイ)