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(回答先: Re: 「家庭内のブス妻」と「家庭外の美人“偽”妻」 投稿者 NUE 日時 2004 年 6 月 21 日 15:51:09)
NUEさん、どうもです。
【NUEさん】
「昔、アッシー君だのミツグ君だのが話題になりましたよね。平たくいうといいとこ取り、あるいは昔から言われる「結婚と恋愛は別」をさらに進化させ、時間を細切れにすることで、その時々で最適なモジュール(男)を組み合わせて使う、一種のオブジェクト指向、あるいはレゴ・モデル(笑)。男性の女性化が言われる昨今、その戦略を男性が採用したと考えれば、ない話ではありません。病気として認知されてはないものの「統合失調症」の一種と考えることもできそうです。」
「アッシー君だのミツグ君だの」とTVの事例とはちょっと違うと思います。
本命恋人がいるとしても、アッシー君・ミツグ君は、うまく期待をもたせて人を実利的に使うというもので、男の下心や愚直さを利用したある種の騙しです。
本命恋人がいるんだけどその彼とのセックスでは性的満足感が得られないので、セックスフレンドを別に持っているという例なら似た話と言えます。
(このような例をあげたのは、それにも、TVの事例と同じ“感動”が得られるからです(笑))
【NUEさん】
「しかし、この男性が「行為の美醜は造作の美醜を超える」を家庭内で実践していると言えるかというと、残念ながらノーです。話を聞いて(読んで)、直感的に「アホか、こいつ」と思いました(笑)。とてもこれを美しい行為としては認定できません。この人、単に「家庭内では造作の美醜に目をつぶっている」だけでしょ? そこだけ取り出せば、あるいは程度問題を無視すれば、この手の男性(女性も)はいくらでも居そうです(笑)。」
私の事例の男に関する解釈は、「家庭内では造作の美醜に目をつぶっている」だけではなく、世間からはブスや“なんであんな女と?”と見られる女性であることを“知って”いながら、その女性を愛している(好きという素直な気持ちや密接な関係を維持したいという欲求)というものです。
(認識の“客観性”(世間知の理解)と感情の“主意(主観)性”(理屈じゃない)といったテーマになりえる事例だろうと..)
もちろん、それだったら堂々と世間にも愛している女性を紹介すればいいじゃないかというのが“正論”であることもわかっているつもりです。
しかし、エリートの“世界”では、“いい女”を手に入れることが勲章であり、“へんな女”とくっついているのは嘲笑や侮蔑の対象になり、さらには、しょせんひとの能力なんかまともに判断できない上司や取引先幹部は、“へんな女”とくっついている男は能力がないと判断しがちな傾向がある。(と、私は思う(笑))
裏返しで考えれば、世間に見せびらかす勲章として“いい女”とくっついたために、安らぎも幸福感も得られないで苦しんだり、結局は我慢できなくなって別れる悲劇が生まれている可能性もあるだろう、と私は思うのです(笑)
そのような思いから、事例の男は現実を見定めて実に合理的に生きているように思われるのです。
(事例の男はエリートサラリーマンですから、ランクはともかく“いい女”と結婚することは可能だったはずです)
>ばれなければ評価にも値しますが、ばれて離婚訴訟されるようでは「間抜け〜」とし
>か言いようがありませんね。
事例の男は、離婚はイヤだ〜と抵抗したのですから、世間知でブスとされる女性を心から愛していたんでしょうね。
私は、離婚を請求した妻のほうに「おいおい、何を考えているんだ」と言いたくなります。
世間対策でレンタル妻を使った夫に一時的な怒りをぶつけるのは理解できるが、それを理由に離婚まで踏み切るのはあまりにも合理性に欠けるという見方です。
もちろん、どうであれ、愛している女性に離婚を付きつけられてしまった男が愚であることは間違いありません(笑)
(この離婚訴訟は、まともな弁護士が付けば男の勝訴(離婚不可)になると思っています)