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(回答先: Re: セックス付きの友達とセックスレスの夫婦・・・あれ? 投稿者 NUE 日時 2004 年 6 月 23 日 13:16:14)
NUEさん、どうもです。
>で、あっしらさんの条件にもう一つ付け加えるなら「セックス込みの友情である」と
>いうのをパートナーに了解してもらうことですね。
それができればベストですが、現在の世間基準でそれを認め合うカップルはごく少数派だと思います。
相手がそれを認めないとわかっていながらそうしたいのなら、「セックスなしの友達」か「異性の友達はいない」で通すしかないかも(笑)
>ともかく「君子危うきに近寄らず」であります。
そう思います(笑)
>それは「セックス付きの友達というのは夫婦とどう違うのか」さらには「セックスレ
>スの夫婦※がいくらもあることを考えれば、セックス抜きの友達も十分ありうるので
>はないか」ということであります(なんか問題の立て方が逆になってるような気もし
>ますが)。
少し前のレスで書いた「本命恋人がいるんだけどその彼とのセックスでは性的満足感が得られないので、セックスフレンドを別に持っているという例なら似た話と言えます。
(このような例をあげたのは、それにも、TVの事例と同じ“感動”が得られるからです(笑))」に似た設定ですね。
>パートナーの有無と淡い恋心を抱くこと(そういう心の動き)は無関係です。友達か
>どうかも関係ありませんよね。……言い方を変えると、セックスがあろうがなかろう
>が友達は友達、というか「友達のうちでセックス付きがパートナーであって、それ以
>外は友達」っていう定義だって可能ではないかと、屁理屈(駄々)をこねてみたい気
>分なのであります。
「友達のうちでセックス付きがパートナーであって、それ以外は友達」という設定よりは、「セックス付きの友達とセックスレスの夫婦」の設定のほうが面白いと思います。
セックス付きの友達でもパートナーではないケースもあったり、セックス付きの友達はいながら、セックスレスの友達と将来セックス付きのパートナーになることもあります。
「セックス付きの友達とセックスレスの夫婦」が面白い設定になるためには、セックスレスの夫婦に相互愛情関係があることが前提です。
端的には、男と女と関係で相手に惚れるというのは、セックスに惚れるわけではないだろうし、セックスがなければ愛情を確認できないわけではないだろうという問いです。
セックスを他者関係的活動と考えれば、会話・日常生活・遊びといった他者関係的活動の一つと言えます。(結合とも言える濃密な身体的な接触であることや、妊娠につながる行為であることは極めて重要な要素ですが、ひとまず捨象して)
ある人を他者関係活動の相手として選択するのは、その人とそうすることが、他の人との場合よりも心地よい・楽しい・面白い・役に立つなどなどの判断に結びついているはずです。(絶海の孤島で二人きりだと選択の余地はありませんが...)
極端な例を提示すると、この人とは時空間をともにしているだけでえもいわれぬ快があるから夫婦でいたい、でも、会話も遊びもセックスも他のある人とのほうが楽しいと判断する人がいてもいいのじゃないかと...
人を好きだと思う究極的在り様は、「この人とは時空間をともにしているだけでえもいわれぬ快がある」ではないかと密かに思っています。
それにプラス、会話・生活・セックス・遊びをともにすることにも喜びがあるでいいのではないかと...
>こっちがそう思うのは問題ない(自分の意志でストップすればいい)んですが、たい
>がい逆で「げっ、そういうつもりでは……」という事態になる。ということが昔よく
>あって「そうか、お茶やご飯に誘ったりすること自体がいけないこと(別の意味を持
>つ)なのか」とやっと理解して、そういうことをしないことにした。……でもね、実
>は非常に寂しくもあるのです(ここで告白してどうする:笑)。
私もここで告白してどうする:笑)ですが、お茶はともかく、夜食事や飲酒に誘った女性は必ずその後のお誘いをします。
そして、それが礼を尽くすことで、そうしないのは失礼なことだと思っています(笑)
ただし、しゃかりきになって誘ったり、断られたときに恨みがましい態度をしないことが肝要です。
>「どうしたら異性と友達(セックス抜きの)になれるんでしょうか?」……少女雑誌
>の人生相談みたいだ(苦笑)。
オチは、セックスをセックスとして考えなくなることで「異性と友達(セックス抜きの)になれる」です。
禅問答みたいになりますが、今の世間基準のようにセックスを考えなくなれば、こだわりやわだかまりは消え、セックスが異性との友達関係に不協和音を奏でることはなると...