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当世給料事情/1(その1) 大学あきらめた娘
http://www.mainichi.co.jp/life/money/price/01/01.html
◇51歳年収400万円、40歳300万円も
◇りそな社員、人生設計崩れ
大学進学を目指していた高校3年生の長女が、昨年の夏休みにポツリと言った。「私、デザイン専門学校に行くことにしたわ」
2カ月前、経営が悪化したりそなグループの実質国有化が決まった。社員の年収は3割カット。03年3月期で平均697万円だったりそな銀行社員の年収は、480万円程度になった。年収が580万円から400万円に落ち込んだ同行の融資担当主任(51)=関西在住=も、家族に「給与はかなり下がるだろう」と伝えていた。
長女はいつものように明るく振る舞っていたが、専門学校を選んだ理由だけは決して語ろうとしない。「感受性の強い優しい子だから、家庭のことを気遣っているのだろう」。心が痛んだ。
この主任は、高校卒業後に旧大和銀行に入り、年収が900万円を超えようとしていた90年に4200万円でマンションを購入した。ローン返済は月8万円、年2回の賞与時が33万円。賞与ゼロになった昨年は、会社の生活支援融資制度(上限100万円)で何とかしのいだ。先日、売りに出されていた同じマンションの住戸は1850万円。いま自宅を売っても、ローンは返せない。
高校進学を控える中学生の二女と三女には「私立は無理。公立高に合格してくれ」と宣告した。3姉妹ともピアノを習っていたが、計3万円の月謝が重荷で、長女と二女にはやめてもらった。「幼稚園の先生になりたい」と言う三女にも、いつまで続けさせてやれるか分からない。
一方、同じ高卒のりそな銀行社員(40)は、90年代初めに550万円あった年収が300万円に落ち込み、社内で禁止されているアルバイトに手を染めた。平日の夜と休日の電話応対の仕事で、時給は850円。毎月2万〜5万円にしかならないし、会社に知られれば処分されることは分かっている。それでも「背に腹は代えられない」。
◇ ◇ ◇
バブル崩壊後、不良債権問題がクローズアップされ、銀行悪玉説が声高に論じられる中、「高給が銀行員のプライドを支えてきた」(大手行幹部)。だが、その支えは大学卒キャリア(幹部候補生)組の間でも揺らいでいる。
りそな銀行のある支店長(42)は、旧あさひ銀行時代に年340万円のボーナスをもらっていた。昨年3月、りそな銀行になってからは給与が減る一方で、昨年7月の実質国有化後は、ボーナスはゼロ。年収も副支店長時代の1200万円から、逆に300万円ダウンした。バブル期には2000万円といわれた支店長の年収が、いまや半分以下。それでも、普通のサラリーマンに比べ決して低い水準ではない。しかし「これが過酷な勤務に耐えて同期の出世レースを勝ち抜いてきた結果。夢が持てない」と肩を落とす。
関西にある店舗の副支店長(41)も「頑張っても、給与は上がらないという、あきらめが社員にまん延している」と頭を抱える。これまでは業績を上げた社員に支店判断でボーナスを上乗せし、「やる気」にもつながっていたが、それも出来ない。
1200万円を超えていた自分の年収も、800万円を割り込んだ。妻に内証で、部下や顧客との夜の付き合いで作った300万円の借金を返すあてもなくなった。「それでも、出世コースから外れて年収500万円台になった同期のキャリア組もいる。ぜいたくは言えない」
◇ ◇ ◇
バブル崩壊、長引くデフレ。失われた10年は、日本経済を疲弊させた。右肩上がり神話は完全に過去のものとなり、総中流、年功序列といった日本型の経済社会も大きく変わりつつある。友人、隣人、知人の給与を通して、その変化を追った。【「あなたの値段」取材班】
(毎日新聞2004年1月5日東京朝刊から)