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(回答先: Ddog&たこさん:「下問」制度によって事実上骨抜きにされた「いわゆる」「明治近代立憲君主制」。実質は封建的「親政」。 投稿者 磐梯山の見える町 日時 2003 年 7 月 05 日 08:19:28)
書いておられる主旨には概ね同意できるのですが、「立憲君主」の概念は少しズレているようです。国や時代によって相当に異なりますが、私は次のように考えております(議会制に関する部分を除く)。
1. 行政権は君主に属するが、この行使は国務大臣の輔弼による。「輔弼」は一般的には「同意」と解されています。このため、君主は憲法上は無答責とされる。
2. しかし、国務大臣の人事権は、君主が有する。
2の人事権だけを考えても、立憲君主は、国政に関与しない存在ではありません。また、1についても、国務大臣は君主の命令への同意と拒否はできますが、これによって当然に君主の実質的決定権が失われるものではありません。もちろん、実際には、1にも2にも、「例外」あるいは「慣行」などがあります。
旧憲法では、軍の統帥と皇室事項は、1の例外として運用されていました。前者では、幕僚(参謀総長、軍令部総長)はありますが、天皇が司令官です。幕僚と司令官の関係ですから、上記の意味での輔弼ではありません(幕僚の同意を要しない)。また、皇室事項は、旧皇室典範(通常の法律である現行の皇室典範とは異なり、旧憲法と並ぶ最高法規として扱われた。旧憲法74条、同75条等参照。)の専管事項で、宮内大臣(国務大臣でない)の輔弼とされていました。
一方、2では、よく知られているように、たとえば、イギリスでは、下院での多数党の党首を首相に任命する慣行があります。慣行が定着して規範化しているなら、君主の実質的決定権がなくなります。日本の旧憲法下の慣行は、「リアルな歴史認識と戦争責任(Ddog氏へ)http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/363.html」をご参照ください。天皇が人選に直接関与しない時期もありましたが、天皇の意向が反映されている例もあります。
旧憲法の運用を見ると、憲法規範自体が例外を作ってしまった1を除いて、これらの「立憲君主」の原則は、忠実に守られています。「御下問」を非憲法的制度とするのは無理で、立憲君主は、その本来の意味において、国政に関する権能を有しない存在ではありません。君主が国政に関して実質的な決定を行うと、ただちに「立憲君主」でなくなり、これを「非近代的・封建的親政」とするのは、ちょっと一般的でない用法です(西欧では、君主と議会勢力との妥協の産物です)。なお、「天皇側にとっても責任を回避しやすい狡猾な支配体制」はそのとおりですね。実質的な人事権があったとすれば、自ら選任した国務大臣にすべての責任を押し付ける制度となるからです。
なお、裕仁に関しては、西園寺の教育といわれていますが、「立憲君主」の内実を、直接の命令口調を避けることと考えていたようです。これは、上記の1にも関係はしますが、これの直接の要請ではありません。
現憲法において、天皇の国事行為は、内閣に属すべき行政権のすべてに及ばず、限定列挙されています。これは立憲君主制の実質もありません。仮に、現憲法体制を立憲君主制とする論があるなら、「日本は古くから象徴天皇制」とする論と同列で、旧憲法体制との連続性を強調する政治的な意図でしょう。