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(回答先: 訂正:旧憲法では天皇は0組閣人事決定機関1政府決定の裁可機関、2政府決定についての諮問機関(政治アドバイザー)、この3つの機関任務があったと理解してよいですか? 投稿者 磐梯山の見える町 日時 2003 年 7 月 06 日 02:09:06)
とりあえず、1についてのみ、コメントします。他の部分は、天皇を「諮問機関」とするご意見に基づいて立論されておりますが、天皇(君主)を「諮問機関」とするのは、一般的な考え方でなく(ご主旨は理解できますが)、その内実の定義あるいは概念規定によって回答が異なるでしょう。何度も説明しましたが、天皇と内閣その他の輔弼機関の間で、複雑なメカニズムが働いています。この実態の解明が現実的問題です。
以下、1の部分です。
「天皇に拒否権が存在しない」が単なる慣行ではなく、これを慣習法とするほどの規範性があったかは、議論の余地があります。しかし、少なくとも詔勅や勅令などの案文まで奉呈した段階の正式の上奏で、これを天皇が拒否した例はないようです。もっとも、これは、現実には、このような正式上奏に至るまでに、天皇と輔弼者の意見調整を行うシステムがあり、その結果、天皇の意に反する上奏はなかったと考えるべきです(天皇の規範意識によって「拒否ができなかった」とするのは、戦後の裕仁の説明です。全部をウソとは申しませんが、当時の通念には反します)。この考え方によるなら、「憲法発布の時点」で、伊藤らが睦仁に「含意させた」というより、意見調整システムにおいて、伊藤らの影響力が睦仁を圧倒していたとすべきです。