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(回答先: Re: 「立憲君主制」のメルクマールについて 投稿者 磐梯山の見える町 日時 2003 年 7 月 05 日 13:23:02)
立憲君主制は、君主と議会(イギリス上院のように必ずしも民主的でないこともある)の対立と妥協の中で、具体化したの制度です。一定の基本理念を有するとともに、歴史的に変動する制度です。問題となっているのは旧憲法が具体化する制度ですから、そのメルクマールは、基本理念に反しない限り、これを基準に設定し、反する部分は例外と考えたいと思っております(歴史的に変動する制度ですから、「旧憲法は立憲君主制度を取っていた」か否かは、ちょっと意味がないと思います)。
以下の説明は、前のコメントで省略した議会関係を含む議論です。
議会の権能は、当然ながら時代によって変動しますが、予算を含む「立法」を主たる権能とすることは基本理念に属するでしょう。これとの関係では、君主の拒否権は否定される流れです。旧憲法の段階でも、天皇の拒否は考えられていません(この意味では、「拒否権の否定」は立憲君主制の要素です)。それゆえに、旧憲法の起草者は、予算外支出を可能にする膨大な皇室財産や軍の統帥事項など、議会のコントロールが及ばない聖域を設けようとしたことは広く知られています。また、旧憲法の非常大権を連想しつつ、「有事」の対処の必要性を説く論者がありますが、非常大権は上述の意味での立憲君主制の例外です。
行政権との関係でも、基本理念はこれとパラレルですが、その進行(歴史の断面)は少し異なります。歴史的には、内閣や国務大臣は、君主の諮問機関として発生した後、イギリスの場合では、議院内閣制を通じて、これが議会と結びつき、君主と議会の関係で、議会側の圧倒的優位が成立します。この段階に至ってはじめて、君主の拒否権を否認することも、立憲君主制の要素と考えられます。旧憲法の段階では、議院内閣制は制度化されたものではありません。制度的には任免のルールがない状態です。
磐梯山の見える町氏のメルクマールを検討しましょう。1は「制限」の内実が問題ですが、旧憲法の用語では、「(議会の)協賛」や「(国務各大臣の)輔弼」などが定められています。2はわかりません。往時の憲法の解釈論では、「輔弼」は同意の意味とされています。国務事項に関しては、ほとんどの書面に国務各大臣の副署が求められています。一方、内閣と君主の意見相違は、「内閣は辞任すべし」とする法律論または政治論です。拒否権の否定を明確にする往時の学説はないと思います。