現在地 HOME > 掲示板 > 議論11 > 854.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: Re:下問というのは旧憲法の実定法上の制度ですか、それとも慣習法として法源性をもつ憲法制度内の制度ですか? 投稿者 磐梯山が見える町 日時 2003 年 7 月 05 日 16:24:18)
「御下問」を非憲法的とするのは無理です。憲法に明文はありませんが、天皇の行為は、実質的か形式的かを問わず、少なくとも、その意味内容の理解を前提としますから、内奏や御下問は憲法で予定されていると考えるほかありません。その意味で、御下問は憲法(というより君主制)に内在する制度です。
「天皇の側が政府の政策に対し、意見する場合、命令すると憲法超脱的であり、質問・意見形式だと合憲だ」は、旧憲法を前提にすれば違います。命令や禁止も合憲とするのが、旧憲法の趣旨です(この点では現代イギリスなどとは異なります)。もっとも、軍に対する命令などを除いて、国務事項については、国務大臣による拒否があり得ます(輔弼を要するから)。なお、裕仁が、いわゆる正式の上奏を拒否せず、また、直接的な命令を避け、御下問や御内意を通じて政治をコントロールしていたらしいことは説明しましたが、これは立憲君主制にとって本質的な要素ではないと考えております(特に後者)。
旧憲法の解釈論として(「立憲君主制」の基本原則としても同じですが)、君主の法的責任は憲法の枠組みでは追求できません。命令を出しても法的責任を追求できないのが君主の無答責です。もちろん、これは、旧憲法(と立憲君主制)の大きな欠陥です。特に、旧憲法のように君主の政治関与を排除しない制度の下では、ほとんど政治的詐欺となります(この場合、君主無答責は大臣代位責任制に過ぎなくなります)。なお、法的責任といっても、国際法上での責任追及は別論です(憲法と国際法の形式的効力は論じませんが、実例はあります)。
政治的責任は、君主が実質的に政治決定にかかわったか否かの問題ですから、これとは別です。歴史的事実の問題ですが、私は二二六事件といわゆる「聖断」の2件を特別視していません。これらも、開戦などの他の多くの政治決定と同様に、裕仁の意思によって政策が決められた例としております(さらにリアルな認識(裕仁の「聖断」などhttp://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/738.html)。
「道義的責任にとどまる」はわかりませんが、裕仁の「法的責任」は、少なくとも刑事として立件する可能性は皆無です(死亡による免訴ですね)。政治的責任を厳しく追及すれば足りると思っております。