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(回答先: 異民族混合の銃砲放任社会の宿命。Re: アメリカ政府中枢ではなく、アメリカ国民についてどう分析しますか? 投稿者 新入社員 日時 2003 年 4 月 20 日 17:51:56)
コロンブスが新大陸を「発見」した当時、現在のアメリカ合衆国部分には200万人以上のインディアンが存在したと考えられている。 かれらの生活様式・住居・政治組織・経済機構・言葉は部族によって多様であるが、宗教や自然への対応という点では一定の共通性をもっていた。宗教が深く根を降ろした生活を送るインディアンにとって、人間は自然の一部にほかならなかった。彼らは自然の中で自然と一体となって生活していたのである。しかし、白人の到来によってインディアン独自の生活には終止符がうたれた。
インディアンは、土地も生命も文化も奪われていくのである。たしかに、16世紀前半から始まる白人との接触によってインディアンが得た銃・鉄製品・衣類・馬などは、かれらの生活をより豊かにしたかもしれない。しかし、同時に白人が持ち込んだ伝染病や酒はインディアンの生活に大きな打撃を与えたこともまた事実である。そして、白人はしだいにかれらの土地を奪い、生活様式さえも強制的に変えようとしていく。1776年の合衆国独立宣言には、「すべての人は平等につくられ……」とうたわれているが、インディアンがこの「すべての人」に含まれないのは明らかだった。
合衆国は、領土の拡張と白人定住地の拡大を国家的使命としたが、その使命はインディアンの征服と土地奪取なしには達成されえなかった。最初、インディアン部族を主権国家とみなして条約を結んで土地を購入するという政策をとったのもつかの間、1803年にジェファーソン大統領が「われわれが手を振り降ろしさえすれば粉砕されてしまうことをインディアンは理解すべきだ」と述べたように、合衆国の国力が強まるにつれ、「力」による抑圧が公然と行われていった。1830 年、ジャクソン大統領は強制移住法を制定し、5万人のインディアンをミシシッピ川以西のインディアン=テリトリーへ移住させた。頑として移住を拒否し続けたチェロキー族も、ついに1838年に連邦軍によってジョージアから追いたてられた。
1万2000人のチェロキー族一行は、冬空の下、5ヵ月をかけてオクラホマへの長い行程を強いられた。寒さ、飢え、病、暴行によって8000人もの命が失われたという「涙の旅路」である。 強制移住の結果、ミシシッピ以東の土地はほぼ完全に白人に開放された。そして、連邦政府は移住させたインディアンに対しては「文明化」を推進していく。「年々増加していくわが国の自由な発展のために、神から与えられたこの大陸にわれわれが拡大するという明白な運命の偉大さ…」これは、1845年にあるジャーナリストが領土拡大と定住地拡大を合衆国の運命として正当化した言葉である。
19世紀半ばの時点で、ミシシッピ以西には、強制移住させられた部族を別にすると、30万人近いインディアンが存在した。そのなかには、スー・シャイアン・コマンチ・ナヴァホ・アパッチなどの狩猟生活をおくる部族が含まれていた。19世紀後半、とくに1860年代から80年代にかけての西部は、こうしたインディアンと白人との激烈な戦いの場となった。
今世紀に入り、それらの戦いは西部劇の題材としてたびたび取り上げられることになる。ただしハリウッドが創り出した「正義の騎兵隊vs野蛮で残忍なインディアン」という図式が、「明白な運命」的な発想に固執した白人の身勝手な虚構であることはいうまでもない。 インディアンにとっては、侵略者から自分たちの生活を死守するための戦いだったのであり、実際に野蛮で残虐だったのは白人の側だったのである。
合衆国の発展と繁栄は、まさにインディアンの屍の上に築かれたものだったが、白人たちは辛うじて生き延びたインディアンに対しては、生存の条件としてインディアンであることをやめるよう要求した。インディアンの文化的抹殺こそが、文明の勝利だと確信されていたのである。すべてのインディアンが合衆国市民として認められたのは、ようやく1924年のことだった。
19世紀末に25万人にすぎなかったインディアン人口は、現在142万人(1980年)にまで回復している。しかし、社会的・経済的裏づけのない政治的権利は、インディアンにとっては、絵に描いた餅にすぎない。収入・学歴・生活環境なとさまざまな指標では、インディアンは民族集団の中でも最下位に位置している。インディアンへの人種的差別も根強いものがあり、依然として合衆国の中でインディアンがインディアンとして生きていくことは容易ではないのである。
「アメリカ合衆国史 インディアン迫害の歴史より」
昼のテレビを見るとイラク戦争においてのアメリカ軍の勝利は確定的になった。イラク軍には反撃するだけの戦力はすでに無いようだ。バクダッドは包囲され、バスラはイギリス軍がようやく制圧したようだ。最初からイラク空軍は全く姿が見えず、橋は全く破壊されず、道路は地雷などの障害物はほとんど無かった。戦う前からイラク軍は形だけで、あるのは小火器しか持たない民兵隊だけだった。二千数百台あるとされていたイラク軍の戦車は何処へ消えたのだろう。
このようにイラク軍は以前から形だけの戦力しかなく、近隣諸国へ脅威を与えるほどの国力はない。12年前の湾岸戦争で近代兵器はほとんど破壊され、スカッド・ミサイルなどの残りも国連査察で解体された。サダム・フセインは悪い独裁者だが、米英が25万もの大軍を送り込んでイラク全土を制圧する必要があったのだろうか。国連の査察だけでもイラクを押さえ込むには十分であり、ビンラディンのようにサダム・フセインもどっかに雲隠れしてしまっては意味が無い。
このように、ほとんど無力なイラクに対し、アメリカがありとあらゆる言いがかりをつけて、武力で一方的に軍事介入をするのは許される行為だろうか。アメリカは何故このような野蛮な行為が出来るのだろうか。それはアメリカの国家の成立と国土拡大の歴史を遡れば、アメリカの恐ろしい実態が見えてくる。六十数年前の日本は、アメリカにとっては新たなるインディアンであった。そして現代のインディアンはイラクであり、アラブ諸国なのだ。
日本の小泉首相はアメリカにとってはインディアンの酋長に過ぎない。言うことを聞かなければイラクのサダム・フセインのようになるぞと、アメリカのネオコンたちは世界の首脳達に脅しをかけている。特にフランスやドイツの首脳達はイラク戦争の戦況を見て、あわててアメリカ支持を打ち出した。この点ヨーロッパの首脳は変わり身が早い。小泉首相はアメリカ支持を打ち出していたからネオコンの制裁からは何とか逃れられるだろう。
私はこのような状況がわかっていたから、国民感情としてはイラク攻撃反対でも、日本政府としてはアメリカ支持をすべきであると提言した。日本は武装解除されたアメリカインディアンなのだから、アメリカに逆らえばネオコンはどのような制裁をしてくるかわからない恐ろしい集団だ。昨日のNHK・BSの「世界潮流」という2時間番組で「宗教右派とネオコン」の特集をしていましたが、ご覧なった方は、彼らがいかに神がかり的で狂信的であるか分かったかと思います。
宗教右派と呼ばれるキリスト教福音派はアメリカでは4割を占める多数派だ。彼らのうち200万人もが学校に行かず家庭で教育を受けている。公立学校では宗教教育が出来ないからだ。このような教育を受けた子供達がカルト教団のような狂信的子弟が育っても不思議ではない。その集団がブッシュ大統領を生み出すほどの勢力に育っている。このような狂ったアメリカを改めさせるにはもう手遅れだろう。そして彼らは神の名をかたり「正義」の名の下に世界統一を夢見ているのだ。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu46.htm
◆1970年代のリベラルなアメリカは消えてしまった。今は第二次マッカーシー旋風が吹き荒れています。だから反戦的アメリカ人も沈黙しているしかありません。