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下のツリーが錯綜してきたので、ここでお返事させて頂きます。
(1)ちょっと認識が..様
相続税額の制限に拘るのは、それが富の集中化の加速を止め、富の再配分を図る上で最も効果的だと考えるからです。現在で
は、誰かが世界的な破壊を招くような核のボタンを押しでもしない限り、より富める者への富の集中は軍事力では止まらないでしょう。しかし、幸いなことに曲がりなりにも民主的な政治体制が成立しており、社会を構成する人間の価値観次第では軍事力を用いることなく富の極端な集中化を止めることが可能かと思います。その方法として相続税額の制限が効果的ではないかと考えています。
確かに、戦後の日本国民が貯蓄に励まなければ戦後日本の復興はなかったでしょう。しかし、なぜ、戦後の日本国民は貯蓄に励んだのでしょうか。決してお金そのものが好きだったからではなく、とにもかくにも貧しさから脱するためであり、また、テレビ一つを買っても大きな喜びを得ることができたからでしょう。確かに当時から身寄りのない老人は行く末を心配して貯金をしたでしょうが、大部分の世帯では子供が年老いた親の面倒をみるのは当然という価値観を持ち、裕福ではなかった我が家でも今程に消費を控えるという意識はなかったと記憶しています。
ところが、現在の日本では金そのものに価値があるかの価値観が横行し、その価値観の上に社会が成立しています。例えば、実際の商売をされていればお分かりでしょうが、劣悪な品質の商品を納入する同業者と横並びの値下げ要求が取引先からあり、品質を問題にあしないのかと尋ねると、品質は一切考慮しないと断言する取引先は多々あります。また、数10%の下請けの値下げに応じた取引先の業績が向上したため、翌年に数%の値上げを交渉した時、世の中がデフレなのに値上げをしたのだから有り難く思えという旨の書簡を料金表と一緒に送ってきた大企業があります。この時は、おまえらの業績向上分がどこから出たのか分かっているのか、乞食でも施しを受ければ感謝をするのに、施しを受けた相手に感謝をしろと言っている己の愚かさがわからないのかと、口には出しませんでしたが、さすがに以後の取引は中止しました。こんな価値観が横行している世の中だから、年寄りは消費を控えて貯金をし、良いものを作っても仕方がないと皆のやる気がなくなり、刹那的享楽主義的価値観の人が多くなり、技術、経済が停滞するのではないでしょうか。だからこそ価値観を変化させる必要があり、だからこそ相続税額の制限に拘るのです。
財産の私有に一切の制限がない国家は存在しません。何れの国も社会主義的な制度を有するものであり、単に程度が違うだけです。今の日本は、相続税の最高税率を低減して課税最低額を低減するという金持ち優遇税制を推進するものであり、社会主義よりも酷い、金持第一の封建主義に近い国家でしょう。相続可能財産が1千万円というのは例示です。たとえば10億なら納得されますか。10億で納得されるなら、そこから始めてもよいかと思います。皆が納得しなければ実現不可能でしょうから。
以前は多くの人が貧しくても、むしろ貧しいことで痛みを知っているからこそ、人としてやってはいけないことを肌で感じて理解し、それが社会の価値観となっていたと思います。ところが、今の日本は物質的には決して貧しくなく、そのために多くの人が痛みをしることなく成長し、特に官僚等の政府中枢で働く高学歴者は平均よりも裕福な家庭で育っています。人は実際に体験しないと根源的な理解ができず、言霊(オカルト的な意味でなく口に出せば人に信用させる力が生じるという意味です)に左右されるのは御存知と思います。伝聞ですが、最近の20代の人間になぜ比例区で自由民主党に投票するのかと尋ねると、自由で民主的な党だからと答えたという笑い話のような事実があるそうです。また、戦争直後においては官僚が国家百年の計を決したかも知れませんが、未だにそれを信じて官僚になり、与党議員の尻拭いを国家百年の計を決する仕事だと考えている人もいるそうです。若い時は他から知識を吸収する段階ですので仕方ありませんが、そのまま年をとればどうなります。そんな徴候をすでに感じられませんか。例えば、君が代を歌おうが、日の丸を掲揚しようが、単に他人と同じことをしているという感覚が生じるに過ぎないのに、それが愛国心だと考えているバカが日本の中枢にいるのです。人がどんな価値観を持とうと他人が干渉すべきではありません。人が狭くて高い不動産を買おうが、価値の分からない美術品を買おうが口出しする気は全くありません。でも、為政者が言霊を利用していることすら気付かない人間であふれた世の中なんてまっぴらです。狭くて高い不動産や価値の分からない高額の美術品を金持ちが買う為に、自分の労働の対価が収奪される世の中なんてまっぴらです。一人の人間が一世一代で大金を稼ぐのは、それはそれでよいと思います。稼いだ金を国庫に没収されるのが厭なら、没収されないように多くの人のために使うような遺言を残すことも可能でしょうし、それも厭なら棺桶と一緒に焼くように遺言することもできるでしょう。自分が望みもしない価値観を、意識的か無意識的かを問わず、他人によって強制されなければならない程に富が他人に集中するのには反対です。権力好きの人間は、他人の価値観などに何らの興味を示すことなく己の価値観を他人に強制します。そんな人は貴殿のまわりにもたくさんいると思うのですが。しかも、時を経る程に富を集積した者は狡猾になり、他人をうまく支配します。富の集中を断ち切ることで、個々人が己で己の価値観を確立する世の中に少しは近づくのではないと思っています。そんな体制の国であれば多くの人が愛国心を持つことができるのではないですか。
なお、価値観の変化が刹那的享楽主義になったらどうするのかと心配されておられるようですが、私は他人が刹那的享楽主義的価値観を持っても、そのような価値観を持つなと強制するつもりはありません。また、そのような価値観を持つ人は少ないだろうと思っています。多くの人は貧しくなれば働き、蓄えができれば遊ぶことを考えるものだと思っていますし、そのへんの所は人というものを信用しています。
(2)たこ様
たいへん参考になる御意見を頂きありがとうございました。
なお、相続税額の制限は消費促進よりも、富の集中化の加速を止め、富の再配分を図ることが主眼であり、その額も現実化するのであれば1000万円が10億円でもよいと思っています。現在の法は現状追認型と言うか、白黒をはっきりさせるための立法が多く、そのような法であれば既成事実を積み上げていけば立法も可能かと思います。しかし、相続税額の制限を立法化するような場合は既成事実を積み上げることはできません。このような場合、現実には何をなすのが効果的か、御意見を頂ければ幸いです。