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(回答先: Re: ちょっと認識が..様&たこ様へ 投稿者 ちょっと認識が.. 日時 2003 年 5 月 15 日 03:41:13)
私の現状認識と貴殿の現状認識に大きな差はないと思います。例えば、『東大合格者の親の年収が、他校に比べて、高いのは御存知ですか』と問われていますが、上の私の投稿で「特に官僚等の政府中枢で働く高学歴者は平均よりも裕福な家庭で育っています」と記載している通りです。また、私の境遇は貴殿がフィクションとして例示した境遇よりも悪いので、貴殿の主張は肌身で理解できます。
大きく違うのは貴殿と私の価値観だと思います。
自分の一族郎党にだけ多くの財産を残すことに価値があるという価値観にたてば、相続制限は結果の公平になります。確かに、自分が死んだ後に子々孫々から感謝されることを望むのが人情なのは理解できます。おそらく、「結果の公平」は「機会の公平」を阻害すると考えられたと思われます。しかし、極端な例示をすれば、遺産により立派な教育の機会を与えられた人間と、一円の相続もないために教育の機会さえ制限されている人間とが、機会の平等を保証されていないのは明らかではないでしょうか。どこの誰かもわからない人間に財産を残すよりも、自分の子供達に残したいのは当然の人情ですが、過大な富を一部の人間に残すことは社会のためにならないと思っています。相続額の上限は1000万円が10億円でもよいのですが、10億も残せば、自分の子供は壮年でも、孫や曾孫はどうなります。孫や曾孫がどんな生活をすることになるか少し心配になりませんか。「子孫に美田を残さず」と言うではありませんか。また、私が変化を期待しているのは社会システムであり、一代での急激な変化でなくてもよいと思っています。だから、始まりは10億円でもいくらでもよいのですが、ただ、変化は必要だと思っています。
日本国内の金持ちを眼の仇にしているのでなく、洋の東西を問わず、社会システムの理不尽を増大させる存在や、それに何の疑問も感じない存在と相容れることがないだけです。
今現在、日本の金持ちが世界の金持ちより規模が小さくても、現在の体制を維持する限り富の集中は加速します。日本が世界の手本になれば良いではありませんか。
今の現役を退いた世代が変化を望まないのは理解できます。私の親も年金がなければ生活に困りますので。でも、急激な変化ではないにしても変化が必要です。何らかの変化が必要なことは多くの人が思っています。しかし、ある程度、具体的な方向が見えなければ変わりようがありません。相続額の上限設定に根本的な問題があるかも知れません。しかし、ある程度具体的なビジョンがなければ、頽廃する以外の変化は生じないのではないでしょうか。そのため、非学非才を顧みず(この阿修羅でのあっしらさんの投稿を読むと本当に痛感しますが)、このままでは自分が死ぬ時に世の中を失望が覆い、そんな世の中に自分の家族を残して死ぬことになる恐れから、投稿を行いました。