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「犯人は三重野だけではなかった。信用統制を実行したのは営業局である。1986年9月から89年5月までの重要な3年間にこの職にあったのは、最後の世代の日銀のプリンス、福井俊彦だった。・・三重野康は、1970年代、1960年代の実体験から、不動産業種への貸し出し増加がバブルを生み出すことを充分に知っていた。80年代の福井と三重野の発言を見ると、何が起ころうとしているのかを当時すでに承知していたことがわかる。・・福井が指示したのは12%から14%という阿二桁の伸びだった。」P.239
「1986年9月から89年5月まで営業課長だったのは福井俊彦である。三重野の10年の治せいが終わると、1994年12月に福井が予定通り然るべき後継者として日銀副総裁に就任した。・・窓口指導政策を管轄する営業局の権利は大きく、日銀の他の部門から独立していたので、他の日銀マンは彼らを『関東軍』と呼んだ。」『円の支配者』P.234,235
「前川と彼のプリンスである三重野、福井は、日本を改革しうる操縦桿を握っていた。1989年に前川が世を去ったのちにも、福井と三重野は10年計画を着々と進めた。彼らは窓口指導の天井をますます高くして、バブルを生み出した。国の借金は(窓口指導でコントロールされた信用創造)は、経済成長率をはるかに上回った。バブルを作り出したプリンスたちは、つぎに最も劇的で破壊的な方法でバブルをつぶした。」P.253
以上、ちょっと福井氏関係のところを拾って見ました。
福井氏がバブルの発生と崩壊に関わっていたことがよくわかります。
問題は、なぜ彼はそうしたか、です。
2003年の今日から見ると、プラザ合意以後に日銀がやったことは、どう見えるか、という問題です。
単純に、素朴に考えてみましょう。まず日銀とはどういう機関か、と。
簡単です。マネーの調節機関です。円を印刷して、日本国内に流します。あと、金利を使って、市場に出回る量を調節します。ごく単純に考えれば、日銀の仕事とはこれだけです。
円をいっぱい刷って流せばインフレが起きます。少なく流せばデフレです。で、これを逆に見れば、今がデフレということは、日銀は円を流していない、ということになります。しかし、これは、先日の速水総裁のお別れスピーチとは食い違います。総裁によれば、今、日本国内には円がジャブジャブしています。量を見れば、そういうことになります。しかし、竹中大臣はじめ、インフレ・ターゲット論者の声が高まっています。もっと刷れ、と。どういうことでしょうか。
多分、日銀のバランス・シート上ではジャブジャブしている円が、どこかに偏ってどんよりした水溜り、というか、プールのごとく、「円溜り」を起こしているのでしょう。で、そこは、多分、日本国債というプールでしょう。
ま、それはそれとして。
プラザ合意以後、日銀は何をやったか、です。
私の目には、二つのそれぞれ矛盾したことをやりました。
一つは、前川リポートです。前川・日銀総裁が退職後、中曽根内閣の構造改革のシナリオを作りました。ヴェルナー氏によれば、「前川リポートは、アメリカ側通商代表部の要望リストのようだった。」p.247 ま、当時を知っている人であれば、誰もが同意する指摘です。
この前川春雄とはどういう人だったでしょうか。ニューヨーク駐在参事などをつとめたあと、
「最初は副総裁として、さらに総裁として日本を10年支配するまでの間、前川は理事として定期的に、国際通貨基金IMFや国際決済銀行BISの会合に出席していた。・・日銀総裁として前川は、大蔵省が外国との競争から金融部門を保護していることを、『いわゆる護送船団行政のようにすべての金融機関を手厚く世話するわけにはいかない』と批判した。アメリカ側の交渉担当者と同じく、彼は全面的な金融自由化の第一歩として、高額短期預金の金利の自由化を呼びかけた。」P.246
1984年12月に退職して、前川リポートを作成します。これは、「<輸出指導>の経済成長から<内需主導型>の経済成長への転換を求めていた。」P.248
当時の状況を振り返れば、アメリカは日本からの輸出攻勢にやられ、貿易赤字を拡大させていました。これがベーカー財務長官をして「プラザ合意」提案となり、その一方で、日本国内では前川リポートの提案となりました。輸出から内需への転換のすすめ、です。
ここまでは、よくわかります。
で、プラザ合意で円高になったので、内需を拡大させようと、日銀は円を印刷しまくり始めます。担当者が、営業課長の福井氏でした。
これも、よくわかります。日銀マンたちは、日米貿易摩擦を回避するために、バブルを起こしたわけです。国内需要の創出大作戦、これがバブルでした。
よくやったではありませんか。
しかし、その結果が問題でした。円の供給は、単に不動産価格の吊り上げ競争になっただけでした。当然です。日本国内には今も当時も、自由市場など存在しないからです。余分なマネーの融資先としては、不動産か、レジャー施設しかありませんでした。ゴルフ場の会員権と、ハウステンボスです。後者が昨日、倒産しました。
しかしだからといって、日銀マンたちを批判できるか、といえば、アメリカならやるでしょうね。
でも私は日本人です。穏便に批判していきましょう。
当時の日銀マンたちの政策が今の私に矛盾しているように見えるのは、内需拡大のための円の供給は、単に、輸出マシーンを維持させるだけのものだったように見えることです。つまり、前川リポートの提案する構造改革を、ちっとも進めません。それどころか、旧体制の温存です。
というわけで、意図はよかったのに、結果が逆になった、というのがバブルと、バブル以後の今に続く長期停滞です。
なぜこうなるのか。これが問題です。
(『ワシントンの陰謀』掲示板)
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