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匿名希望氏の『貴殿の経済の捉え方に概ね同意します。』( http://www.asyura.com/2002/hasan12/msg/960.html )へのレスですが、ケインズ的政策に絞り込んだ内容になっています。
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レーガノミックス的サプライサイド政策やマネタリズムは、『【世界経済のゆくえ】日本経済が突きつけたマネタリズムへの“最後通牒”』( http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/792.html )で簡単な批判をしていますので、貴殿が前回のレスで書かれていた「近代経済システム」とケインズ主義的政策の関係について簡単にふれます。
日本においてさえ捨て去られたかに思えるケインズ主義を今さながら俎上に乗せるのはあまり気が進みませんが、延命策と見えるケインズ主義が、実は“自殺策”ではなかったのかと問いかけてみるのも悪くはないでしょう。
(クルーグマン教授の理論がもてはやされているくらいですから、ケインズ主義が捨て去られたわけでもないでしょう。日本経済を心の底から心配し分析対象として政策提言しているクルーグマン教授の姿勢は高く評価しています。ついでになりますが、第三世界の経済苦境を解決したいというスティグリッツ教授の志の高さも見事だと思っています)
ケインズ主義的政策が「近代経済システム」の“死期”を早めたというのは、政府支出の拡大を通じて“歴史の先取り”を行ったことを意味します。
過度の刺激策を採らなければ20年かけて実現していたであろう経済拡大を、10年や15年で実現してしまいました。
ざっくばらんに言えば、じりじり進んでいけば80年間もったかもしれないのに、債務を伴う財政出動まで行ってがつがつ動いたために50年間しかもたなくしてしまったということです。
“死期”と言っても、マルクス主義的歴史観は誤っていると考えているので、資本主義から社会主義(共産主義)へという意味合いではありません。
(財の生産が不可欠の条件であることと、現実としてその労働に従事している人たちが“真理”を知っていることや権力者になるべきということとはまったく無関係です)
経済主体の利益のためではありますが、「労働価値」の上昇を勤労者に還元させるようになってからのマルクス主義的先進国革命は夢物語です。
延命策ということであれば、ケインズ的政策ではなく、生存費説的賃金水準を打破したことに尽きます。
“死期”というより、「定常状態」もしくは「歴史段階的均衡」と言ったり、「近代経済システム」とは異なる「現代経済システム」の揺籃期と言ったほうがふさわしいでしょう。
(「定常状態」は必ずしも無気力や停滞を意味するものではなく、政策によっては、これまでと違った活力と豊かさを実現できるものです)
ということで、ケインズ主義的政策については、来るべき状態を前に引き寄せたという意味では高く評価できるとも思っています。(評価を維持するためにも、新ケインズ派の経済学者は、現状認識をしっかり行い、それにふさわしい経済政策を提言して欲しいと思っています)
しかし、不況対策として政府支出を通じた有効需要の増大を掲げたケインズ主義者は、有効需要の増大を、負担能力のある経済者主体や個人に対する増税ではなく、公的債務の積み上げで行ったことで根本的な誤りを犯しました。
日本はその典型的な国家ですが、先進国のみならず世界中が同様の政策を実施してきました。
これが、「定常状態」を停滞や災厄にしてしまう一つの要因とする可能性があります。
誤りをより明確に語れば、有効需要を増加させる原資をあるレベル以上の富裕者(中所得者以上)の貯蓄に求めながら、その返済を付加価値税(消費税)というかたちでその日暮らしの人々を含む国民総体に負担させていることです。
これは、国家の政策を通じた貧乏人から金持ちへの通貨の移転に他ならず、ストレートに需要減少効果を生みだしますから、ますます経済的苦境を深めるか、さらなる債務の増加をもたらすことになります。
ケインズ的政策で貧乏人も恩恵を受けたということは否定しませんが、経済主体や富裕者が受けた「当時の経済的恩恵+利息(直接・間接を問わず)」とは比較することができません。
雑駁に言えば、公的債務を返済するために負担させられる税金は、貧乏人にとっては単なる持ち出しになり、富裕者になればなるほど、自身の金融資産が維持されるというかたちで戻ってきます。(「国債サイクル」が破綻すれば、預貯金や保険料さらには株式までおかしくなりますからね)
国内の資金により公的債務が賄われていて、家計や経済主体の消費や投資も阻害されていないのなら、政府が借り入れた通貨は、使われるあてのない“余剰通貨”だったと言うことができます。(中央銀行の直接引き受けでない限りと言ってもいいでしょう。また、国際的な国債引き受けにも通用する話です)
そのような“余剰通貨”がありながら経済が不況に陥っているのならば、そのような“余剰通貨”は、時限的増税策を実施して徴税しなければならないはずです。
まあ、百歩譲って、無利息で借り受けるかたちを採らなければならないと言いましょう。
(政治家に言いたいことですが、きちんと徴税していれば、バブルが形成されることもなかったのです。「円高不況」と称して、増税どころか、赤字国債の発行を増やしてまでバブル形成に貢献してしまいました。当時は、“輸出税”のかたちで増税すべきだと考えながら経済状況を見ていました。変動相場制であれば、輸出財の価格が円安傾向になったり、貿易収支の黒字縮小で円安傾向になったりします。輸出税は、このような意味で、痛みの少ない増税になったはずです)
ケインズ主義政策は、経済の拡大を望んでいるにも関わらず、自分自身(企業を含む)については減税を望んだり増税の先延ばしを期待する経済主体や人々にとってなんともありがたい道を開いたと言えます。
使うあてのない通貨が、徴税されるどころか、利息付きで返済される仕組みですから、こんなおいしい話はありません。
(91年に民間の資金運用がスムーズにできないということで追加発行された“不要な”国債はこのような話の典型です)
減税もあったり増税も目に見えない状態で、公的債務による支出増加で需要が拡大し売上や利益が拡大するという経済状況を経験すれば、経済主体のみならず経済論理がわからない国民までもが、そのような政策を好ましいと考えるどころか、要求までするようになります。
経済成長を第一義的に考えれば、翌年の歳出を減らすことは論外になり、債務をさらに積み上げての歳出拡大につながっていきます。
(もちろん、国民が選択した政治がそういう選択をしたことや管理通貨制におけるインフレ政策と持続的な経済成長がそのような禍根を残すことは少ないと財務当局が考えられたことは承知しています。歳入額に政府債務が近づいている状況で危機感を持っていた時代がなつかしいですね。わずか25年ほど前)
有効需要の拡大策であっても、債務に依拠するかたちではなく、増税と経済の拡大を秤に掛けて問うかたちであれば、歳出に関してまともに議論がなされたはずです。
ケインズ主義の負の遺産をどう処理するかが、「定常状態」を迎えるにあたって重要な課題になります。
とりわけ、自分の預貯金や保険料が国債に使われてしまっていると自覚さえされていないまま膨大な公的債務が積み上がっている日本にとっては最大の課題でしょう。
日本経済が現状のまま進んでいけば、まもなく、歳入は、2年のうち片方の1年分しか実収入ではないという状況に陥ります。
利払い+償還の国債費が20兆円で、歳入が40兆円であればそうなります。
利払い費が10兆円であれば、4年間のうち1年分の歳入まるまるが利払いに充当されることになります。
使うあてのない通貨が徴税されずに、長期的な結末がきちんと説明されないまま利息付きで返済される仕組みに利用されてきたことが、このような惨状を生み出したのです。
公的債務がこのようなものであっても、政府は、公的債務の利払いや返済を円滑に進めるめに、消費税率をアップしたり、低中所得者の増税を実施するのでしょうか?
それは、公的債務を通じたさらなる貧乏人から金持ちへの通貨の移転以外のなにものでもありません。
「消費税率アップ」や「低中所得者増税」は、公的債務の利払いや返済を円滑に進めるどころか、さらに「デフレ不況」を悪化させるものであり、公的債務の履行そのものをおかしくする愚策であることはこれまでも説明してきましたが、たまには、違う視点でその非を指摘するのもいいでしょう。
ケインズ自身が「長期的に見ると、人はみんな死んでしまう」と言って長期的問題を切り離した咎がいよいよ巡ってきたのでしょう。
契約は履行しなければならないと思い、スムーズにことを進めるためには微温的な政策が望ましいと考えているので、緩やかなインフレ策を採って名目GDPを拡大することで公的債務の軽減と税収の増加をはかるべきだと主張していますが、それが無理であるならば、公的債務の拡大で恩恵を受けたと経済的に推定できる経済主体や人たちには、元本はともかく、利息は放棄してもらうしかないでしょう。
有効な経済政策が実施できず、契約は履行しなければならないと考えるのならば、とにかく利息付きの公的債務の積み上げは早急に停止すべきです。
それでは「国債サイクル」の維持も財政赤字の補填もできないというのであれば、“政府紙幣”の発行しかないのでしょうね。
もちろん、“政府紙幣”は、不良債権処理や一部の政策に限定的に使うというのではなく、「国債サイクル」の維持と財政赤字の補填に必要な額すべてについて使うべきです。
この政策であれば、「公的債務の拡大で恩恵を受けたと経済的に推定できる経済主体や人たちには、元本はともかく、利息は放棄してもらう」ことを公言しないまま、経済論理によってそれを実質的に実現することができます。
“管理インフレ”で元本も実質的に軽減できますから、増税策を実施しないまま、かつて課税しなかった分の税金を徴収したことにもなります。
これまで説明してきた自論は、究極の「企業優遇策」・「金持ち優遇策」だと思っていますが、それが理解されないようなら、“政府紙幣”を活用するしかないと考えています。
ケインズ主義者には、その理論的根拠を広く示す義務があるとも思っています。
※ 私自身も官僚機構批判していますが、官僚に対する風当たりが強いなかでの業務はさぞかし大変だろうと思っています。
官僚批判は、日本の統治形態の実態や官僚の力を認めていることでもあり、それだけ期待されている証でもあります。
政治家とりわけ与党批判はメディアにとって“虎の尾を踏む”行為なので、官僚批判で代替しているということもあるでしょう。
自由主義や市場原理主義では如何ともしがたい状況になれば、それらを根拠に官僚批判している連中までもが、「統制でもいいから何とかすべし」と言った論陣を張るようになります。
それほど遠くないうちにそのような経済状況が生まれますから、それに備えた政策の立案に励んでください。
政策転換するにあたっても、“ごめんなさい”と誤る必要はありません。
過去については、論理的な反省をきちんと提示すればいいことです。これがなければ、再度誤りを犯す可能性があります。
「第一の敗戦」も、自存自衛か侵略かではなく、3百数十万人にも犠牲者を出しながらも6年近くに及ぶ占領につながるかたちで敗戦してしまったことを反省の出発点にすべきだと思っています。
その論議を通じて、自存自衛か侵略かという問題や戦後日本の問題も浮かび上がってくると考えています。
(自存自衛であれ、侵略であれ、意図した目的を達成できなかったわけですから...)