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(回答先: あっしら氏と私の相違点について 投稿者 匿名希望 日時 2002 年 8 月 21 日 05:49:09)
割り込み失礼。
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自然災害のように大衆理解されている
人災不景気、今・は情報の選別抽熟生
が竣な鍵となっている。
ML宛先 jyohocyushistu@freeml.com
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人災不景気、自殺者、失業者の大量製造や全産業破産傾向を推進し、改悪的構造改革の
問題の原因の考察
: あっしら氏と私の間で、日本経済と世界経済の現状と将来に関する見立てについては
: 大きな差異はないように見える。にもかかわらず、
:あっしら氏はマイルドなデフレ解消策の実施を勧め、
バブルのような急激なインフレに過度なデフレ策を行い、
マイルドなデフレ解消策では、日本丸はやがて
沈むのが推測される、急激に船に海水が入り込み、のんびりかいだしていては
間に合わないと思われる、大火事には大規模な消火活動が期待される。
バブルのような急激なインフレは、公共投資が私企業の国際化に同調しなかった
(注 kankokkyusyuaqua@freeml.com 九州韓国連絡道路ML)
為であり、日本円のアジアでの国際通貨化、公共投資の国際化が行われれば
フローは株や土地の投機バブルにはならなかったのである、ひとえに週刊誌の
衆愚世論が創出した政治家の政策なのである。
国際資本の台頭を考えれば公共投資の国際化は当然であり、
バブルのような急激なインフレに過度なデフレ策を取ったのは
いずれも世論のバランス感覚の欠如が原因であり、
司法介入や誣告罪を連想させる過度の駐車違反的違反を、社会的リンチに
し、集団危険行為暴走を忘れさせるのは、収賄金額と銀行支援の金額
破産企業の修復金額、を比べれば明らかであろう。
田中総理の1億国民の収入増金額や、南米円借款の焦げ付き金額
を比較すれば、週刊誌の駐車違反的衆愚化視点は犯罪とも言える。
(注 syukanpostgendai@freeml.com マスコミML)
1 赤字国債のすべてを日銀特融でまかなう。印刷して。
2 上記で国債正常化、デフレ一発解決 ここで2点一発解決。
3 日本円のアジアでの国際通貨化、公共投資の国際化
kankokkyusyuaqua@freeml.com
:私はデフレ深刻化覚悟の改革路線の必要性を説く。この違いはど
: うして生じるのだろうか。
デフレ深刻化覚悟の改革路線とは、?
インフレは純粋な生産システムの向上、GDPの向上では、物価下落
を招くし、相対的給与もあがるし、税収もあがる、物価連動年金システム
のことを考えても老人にもよし。
何故、これ以上デフレ深刻化が国民や世界に対して具合良いものか?
生産システムの衰退した金融都市の、アンバランスな建設はやがて完璧な
衰退を招くのではないか?
: あっしら氏の規定によると日本経済の現状は、「勝者の蹉跌」であって「敗戦」では
: ないという。転んだものは立ち上がれば良いというわけだ。言い方は悪いが、弥縫策
: がまだまだ通用する(はずだ)とのお考えと見られる。ケインズが死に、マネタリズム
: が扼殺された後でもまだ政策実施による日本経済の救済が可能とするお立場だ。
>ケインズが死に、マネタリズム
: が扼殺された後
と考えたのは、宗教戦争の教義が、狭義に解釈され一部の理念のみで
宗教戦争を招いたのは時の指導者の軽薄さが問題ではないか?
共産主義も誰でも平等に働き、その働きの度合いによって収入を得
強者の余剰を貧困者に博愛として再配分する、と考えれば
目的的大量の情報の選別抽出創生を考えれば資本主義と目標
は万民の幸福を願うところは同じなのである。
>ケインズが死に、マネタリズム
すべての思想は倫理的、道徳的向上を目指し、その解釈、実行に
よって、理論が悪しと考えるのは、新しいケインズに変わる思想が
生み出され、大衆に信用され、実践され、結果が具合が良しと
評価されてからでも、ケインズが死にと評価されても遅くは
ないのであろうか・
: 一方の私は、もう日本経済はそんな段階をとうの昔に突破してしまったという立場
: だ。迫り来る財政破綻、逼迫する企業環境、窒息しそうな地方経済、何もかもがもは
: や限界に近い(ただ国民の暮らしぶりという観点からは破綻がそこまで表面化していな
: い)。
0サム社会、債権者のいない負債はない。
借金は、それを有り余る金で貸すことのできるものがいないと
借金は生まれない。
であるからに、国家の破産、世界の破産について考察すれば、国家の破産は国民の債権放棄
貧富の差の解決であるし、世界の破産にしても、他国家間に貧富の差の修復
によって解決できるものである。
2割3割の一部の日本国民は莫大な資産から見ると債権放棄など塵を捨てるほどの
感覚なのである。
世界資本、世界の金持ち大国日本も南米の何百兆の円借款や銀行の資金支援も
微々たる感覚なのである、それよりも収賄の1000マン円の問題が重大事項
なのである。
:だが、あるべき姿に向けた社会改革を行い始めると全国民が腹を決めたその時
: から、事態が打開され始める可能性がある。
経済が人災でなく予想がつかない問題であると経済学者や世論の時代で
>事態が打開され始める可能性がある
とは矛盾を露呈することでないか?
それであれば、しっかり経済問題は人災で経済政策の失策とはっきり宣言し
問題点、解決策を具体的に論ずるべきではないか?
>事態が打開され始める可能性
仮に経済審議会や経済政策主体が>可能性<だけで、人をどんどん殺せば
戦時中世論の評価支持をうけていても、終われば戦犯で死刑
となることを覚悟できるか?
様々なシミュレーションを行っている
: が、そうなる可能性がないわけではないのだ。また、たとえそうならずデフレ・スパ
: イラルが進行するような事態になれば、非常事態モードに突入せざるを得ないことは
: 前にも述べたとおりである。立ち直るにしても破局を迎えるにしても、時代の針をも
: う少し早く進めるべきだ、ということだ。
:
: 他方、現実の政治はといえば、明確に改革路線を進められるでもなく、デフレ打開を
: 打ち出すでもなく、グズグズと日和見的な政策に終始している。外科手術を先に延ば
: せば延ばすほど痛みは増すのだが、「みんなの民主主義」だから仕方ない。愚昧な政
: 治家には10歳の子に分かるように説明する経済理論も馬耳東風だ。また、最初から
: 「政治家の信念として」説明に耳を貸さない頑迷固陋な政治家も多い。
:
: あっさり言い切ってしまうと、「微温的な政策群」は、今のダラダラ・ノンポリ路線
: と大差ない。旧体制維持の先延ばしでしかないということだ。
:
: 先の敗戦において我が国は、他国に占領された上、レジームの転換を始めとし、税
: 制、土地所有制度など経済諸制度においてもラディカルな改造を迫られた。多くの
: 人々は戦争によってだけでなく、戦争「後」も財産を失った。しかし同時にそこが日
: 本経済の新たな出発点となった。
:
: 日本の現状を「敗戦」とまで見るかどうかは議論の分かれるところかも知れない。誰
: に(何に)対して負けたのかという議論もあろう。しかしその議論はひとまず置いて
: も、(経済の観点から見た)先の敗戦を出発点とする一つの時代が終わったという認識
: は決定的に重要なのではないか。新しい時代を迎えるにあたっての脱皮は社会に激痛
: を与えるかも知れない。しかし、それを我々は我々の手で断行してゆかなければなら
: ない。前述した敗戦のアナロジーではないが、今度は他国に強制的に外科手術を強行
: されるようでは情けない。この想定を絵空事と笑わない方が良い。世界市場あっての
: 日本であり、これだけグローバル化が進み密接化した諸国間関係にあっては、「有
: 事」には日本の主権を制限する包囲網はすぐに整うと見るのが現実的である。
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