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『文藝春秋』1998年1月号
張龍雲(チャン・ヨンウン)
北朝鮮・日本人拉致への緊急提言
李恩恵はすでに処刑されている
(前略)
拉致は「裏」の仕事
十一月十一日、森喜朗自民党総務会長を総団長とする、自民、社民、さきがけの与党三党の訪朝団が平壌入りした。国交正常化交渉の早期再開問題で意見交換するためである。両国は国交正常化交渉の早期再開では合意した。
しかし、森喜朗団長による「わが国には、日本人配偶者の継続した祖国訪問や拉致疑惑解決が重要だとの意見も根強くある」との発言や他の議員の拉致に対する質問に対し、金春建朝鮮労働党国際部長は「非常に不愉快であり黙認できない。拉致はでっちあげだ。人道問題を言うのなら、我々の方が言いたいことはたくさんある」と否定し、従軍慰安婦問題に触れた。
これまでも北朝鮮側は、日本が交渉の席でこの問題を取り上げるたびに似たような反応を繰り返してきた。例えば、そもそも五年前に第八回日朝国交正常化交渉が決裂したのは、日本側が「李恩恵」の問題を取り上げたからであった。
さらに、今回の日本人妻里帰り問題で日朝赤十字の連絡協議会が開かれた際も、日本側の取材に応えた李星鎮朝鮮赤十字余中央委員会委員長は、「日本人の行方不明者を北朝鮮に問い合わせるのは、おかしな話だ。北朝鮮では制度上、拉致はまずありえない。ありもしないことを取り上げることは言語道断だ」と語っている。私から見たら、彼らの反応はしごく当たり前である。なぜなら、北朝鮮にとって日本人拉致は「裏」がした仕事で、表向きは存在しないことになっているからだ。
どの国にも表の顔と裏の顔があるが、北朝鮮ほど裏の組織が肥大化した国は世界にも例がないだろう。
ここで、北朝鮮の「裏」の仕事をつかさどる部署がどのような仕組みになっているか、少し詳しく説明したい
(労働党対南工作機構・「三号庁舎」その他の説明……略)
私が八七年に党中央の幹部に聞いた範囲では、平壌の郊外には、日本人拉致者が住んでいる町がある。そこにはおそらく、四、五十人の日本人が住んでいる。彼らのほとんどは日本に身寄りがない。
現在問題になっている、海岸で行方不明になった人たちはもともと拉致の対象ではなく、非公開組織の工作員を北朝鮮の潜水艦が非合法に日本へ出入国させるところを、たまたま目撃してしまった人々である可能性が高い。潜水艦で工作員を送迎するのは、軍に所属する武装ゲリラである。
以前、「洛東江」についての文章を本誌(九七年新年号)に寄稿した際に触れたように、拉致を行なうのは武装ゲリラ隊ではなく、非公開組織である。非公開組織の仕事は、基本的に「洗脳」である。思想的に変え、平壌に連れていくのが理想の形だから、暴力的に拉致するわけではない。また本来は、捜索願を出す係累がいるような人を拉致の対象にはしない。
拉致された日本人は北朝鮮に到着後、集団で「勉強」させられることになる。『資本論』から入ってマルクス、レーニンの思想を学び、全日成の『抗日武装闘争』を読んで主体思想を学ぶという、北朝鮮における体系的な教育である。日本で受ける教育とは正反対の歴史を教え、日本がいかに朝鮮半島を侵害したか、北朝鮮はどれほどの被害を被ったかを繰り返し説くことによって、徐々に洗脳をはかるのである。
しかし、当時私が聞いたところでは、やはり二、三割の人は精神的重圧からかなり神経が参ってしまい、思うように「勉強」が捗らない、という。私は前回の原稿で、「洛東江」のメンバーが拉致したらしい田中実という人物について少し触れた。
八七年に平壌で会った党中央の幹部に、「田中実は今どうしているか」と聞いたところ、「彼は初め不満を訴えて『勉強』しなかったが、北朝鮮内でやはり拉致されてきた日本人女性と結婚し、一子をもうけてから落ちつき、今はラジオの日本語放送の原稿翻訳の仕事をさせている」との答えだった。
海岸で拉致された一人である横田めぐみさんが、ある期間、平壌ホテルの従業員として働かされていた、という情報もある。
よど号のメンバーが亡命後、ヨーロッパなどで日本人商社マンに扮して工作活動をしていたことは知られている。拉致した日本人についても、彼らと同じような活動をさせたい、というのが党中央の当初の目標だった。したがって、拉致した日本人には、帰国した在日朝鮮人と比べると破格の待遇をしていた。食事も特別、どちらかというと腫れ物に触るような扱いだ、と聞いた。
今回の日本からの調査団に対して、北朝鮮側は日本人拉致者を「行方不明者」としてなら調査する、と答えた。しかし、日本側は「行方不明者」という言い方を認めてしまってはいけない。これは問題を暖昧にしてしまう、最悪の言葉である。私の言う意味をわかっていただけるだろうか。行方不明ということなら、本当に行方不明にしてしまえばいいからだ。また、政治という大事の前に、人命が軽視されることはこれまでの歴史上、多々あることで、日本政府も今回絶対にそうした行動を取らないとは言い切れない。しかし、今の橋本政権が下手な動きをすれば、二、三十年後に歴史が解明された時、大変な非難を浴びることになるだろう。時の権力者がどれほど隠していることだろうと、何十年か時が経てば必ず明るみに出る。それは歴史の必然である。
(中略)
市民運動では解決できない
今回、日本の訪朝団に対応したのは、金春建国際部長や全容淳労働党書記であった。全書記は前述したように対南工作の担当者だが、それはここ数年のことで、もとは一貫して外交畑を歩んできた人物だ。「裏」の仕事についてはそれぽど詳しいわけではない。これがどういう意味を持つかというと、彼らが交渉相手として出てきているうちは、北朝詳は拉致問題について真剣に話し合うつもりはない、ということだ。
話をつけるべきは張成沢か姜周一だ。張は表に出てくることはないが、組織指導部第一副部長。姜は前述のように統一戦線部の実質的な最高責任者で、もっとも長く「裏」の仕事に関わってきた幹部である。この二人が裏の窓口なのだ。表から政治家がいくら交渉に行っても、表では無いことになっている話なのだから、交渉は土台無理なのである。
あくまでも私見だが、私はこの問題を解決するには、裏から手を回すのが最も効率が良いのではないか、と考えている。裏のした仕事は裏が解決すべきなのだ。日本でいえば、「公安」の仕事である。その場合、中国の公安に接触してみてはどうだろうか。
もともと、北朝鮮の政治家はロシア寄りと北京寄りの二派に分かれていた。七〇年代に入り、金正日が実権の一端を握るようになると、北と中国との関係は一気に悪化した。金正日は中国の改革開放主義を忌み嫌っており、社会主義の堕落だ、と何度も語っている。後に郡小平が、自分の生きている間に後継者の江沢氏に繋いでやろうと、金正日を北京に誘ったが、この誘いを三度にわたって断ったぐらいである。
しかし、ロシアの社会主義は崩壊してしまった。いまは北朝鮮も路線変更して、再び中国と友好関係を結ぼうとしている。一方の中国は黄ジャンユプ書記が亡命した時の対応で明らかになったように、北朝鮮との間に距離を置こうとし始めている。とはいえ、北朝鮮にとって中国は、食糧援助をこれからも頼まなければいけない大切な.「命綱」である。石油も中国が援助している。その中国の頼みなら、北朝鮮も無下に断れない弱みがあるのだ。
そのような両国の関係上、北朝鮮の情報をいま一番多く持っているのは、中国の公安当局なのである。
九二年に、日朝国交正常化交渉の席で、日本側が「李恩恵」の件を問いただし、交渉決裂した前後、アメリカのCIAは李恩恵が北朝鮮国内で処刑されたことを確認した、と言われている。この情報もまた、中国の公安ルートで入手された。
CIAは数十万円の資金を投入して、この情報を入手したという。中国の公安の仲介ならば、北朝鮮が聞く耳を持つ可能性は高いのである。
日本の公安と中国の公安がよく話し合ってお互いの果たすべき役割を決め、生臭い話をしなければこの問題は進展しない。そもそも、今の日本に北朝鮮と水面下の話ができる政治家はいるのだろうか。社民党は北朝鮮にはなめられている。彼らが日本で何の力も持たないことを、北はよく知っている。今は与党にも、北朝鮮と太いパイプを持つ政治家はほとんどいない。
ご家族のことを考えると言いにくいが、李恩恵のケースでもわかる通り、名前が出てしまった人は命の危険にさらされる可能性が高い。だからこそ、名前を出した以上は市民運動のレベルで問題を解決しようとしては駄目なのだ。これはそういうレベルの問題ではない。極端なことを言えば、喉元にピストルを突きつけながら、ギリギリの話し合いをしなければ解決のつけようがない問題なのだ。ホテルの席で向かいあって、「どうですか」と切り出すような筋の話ではない。少しでも歴史について学んだことのある人ならば、政治や外交の場には時として、そうした局面が生じることを理解して頂け
ると思う。しかも、時間は限られているのだ。
(後略)