★阿修羅♪ > 近代史5 > 590.html
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ ★阿修羅♪
共産主義の歴史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/590.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 4 月 15 日 21:58:43: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ロシア・ウクライナの歴史と現代史 投稿者 中川隆 日時 2020 年 12 月 29 日 21:48:47)

共産主義の歴史


【ゆっくり歴史解説】共産主義の誕生 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第0回
2017/11/26



9:10​ レーニンの名前はウラジミールではなく、「ウラジーミル」です。
10:06​ 和平(ブレスト=リトフスク条約)を結んだのを、「臨時政府」と説明していますが、正しくはボリシェヴィキです。


【ゆっくり歴史解説】戦時大同盟 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第0.5回
2017/12/27



【訂正】2:06​ の野球選手はタイ・カップではなくタイ・カッ「ブ」です。
8:20​ あたりの説明で「ソ連はドイツの侵攻を予期しておらず」と述べておりますが、国内外からドイツの侵攻を警告する声があったもののスターリンが耳を貸さず、結果として不意打ちの形になったというのが正確な説明です。すなわち、一部でドイツの侵攻を予期していた人たちがいたということになります。


【ゆっくり歴史解説】計画経済について ゆっくりで学ぶ冷戦史 第0.5回 補足動画
2017/12/30



【ゆっくり歴史解説】鉄のカーテン ゆっくりで学ぶ冷戦史 第1回
2018/01/08



【ゆっくり歴史解説】朝鮮戦争 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第2回
2018/02/24



【ゆっくり歴史解説】雪解け ゆっくりで学ぶ冷戦史 第3回
2018/04/30



【ゆっくり歴史解説】ベルリンの壁建設 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第4回
2019/10/21



【ゆっくり歴史解説】ゆっくりで学ぶ冷戦史 経緯説明
2019/10/21



【ゆっくり歴史解説】キューバ危機 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第5回
2019/10/27



4:31​ キャラクターがキューバ革命の年を「1951年」と言っていますが、画面右上、写真下のテロップにあるように正しくは「1959年」です。



【ゆっくり歴史解説】宇宙開発競争 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第6回
2019/11/05



月面着陸の年が1961年となっておりますが、正しくは1969年です。


【ゆっくり歴史解説】ベトナム戦争 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第7回
2019/12/26



ケネディ暗殺は1959年ではなく、1963年です(テロップが正、ゆっくりボイスが誤)。


【ゆっくり歴史解説】インドシナ戦争 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第7回 補足動画
2020/01/01



【ゆっくり歴史解説】ニクソン・ショック ゆっくりで学ぶ冷戦史 第8回
2020/02/24



【ゆっくり歴史解説】ウォーターゲート事件 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第9回
2020/05/05



【ゆっくり歴史解説】イラン革命 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第9回 補足動画
2020/08/12



【ゆっくり歴史解説】新冷戦 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第10回
2020/08/21



【ゆっくり歴史解説】レーガン大統領のジョーク ゆっくりで学ぶ冷戦史 番外編
2020/09/05


【ゆっくり歴史解説】ソ連経済の停滞 ゆっくりで学ぶ冷戦史 第11回 補足動画
2021/02/20



【ゆっくり歴史解説】ペレストロイカ ゆっくりで学ぶ冷戦史 第11回
2021/03/28




 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-5675] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:00:30 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[35] 報告
共産主義の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

ロシア革命とは何だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/795.html

20世紀の自称共産主義とは一体何だったのか?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/116.html

世界で唯一成功した共産国家はバブル崩壊までの日本だけだった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/117.html

革命は軍や警察が国家を裏切り市民側に就かないと成功しない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/574.html

脳動脈硬化症で晩節を汚した(?)レーニン _ 実際は若い時から…
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/756.html

帝政ロシアから大量のユダヤ移民がアメリカに逃げてきて共産主義者になっていった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1214.html

ロシア革命を支援したユダヤ金融資本
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1110.html

「ロシア革命」を実行したユダヤ人とそれを支援したユダヤ人
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1025.html

ネオコンとはトロツキスト共産主義のこと
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/364.html

アメリカの共産主義者の実態はユダヤ移民
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/366.html

社会主義の20世紀 |バルトの悲劇
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/788.html

社会主義はそんなに悪いか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/702.html

ロシアの若者の間でスターリンがじわじわ人気上昇中
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/757.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1037.html

アメリカ軍はなぜ不利なノルマンディに上陸したのか 「戦後」を作った錯覚
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1053.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/963.html

ドイツとロシアにはさまれた国々において、ヒトラーとスターリンは 1933年〜1945年に1400万人を殺害した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/344.html

犠牲者100万?!ナチ傀儡『クロアチア独立国』のセルビア・ユダヤ・ロマ人大量虐殺の全貌
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/345.html

ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html

英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html

西側で第二次大戦を戦ったのはレジスタンスだが、その主力はコミュニスト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1195.html

2. 中川隆[-5674] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:01:42 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[36] 報告

チャーチルはソ連を核攻撃しようとしていた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1028.html

東西冷戦の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/719.html

J・F・ケネディ-はヤラセの東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1102.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/126.html

右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html

馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html

社会主義の20世紀 おしつぶされた改革 〜プラハの春・ドプチェクの証言〜
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/794.html


▲△▽▼


エリツィン大統領
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1082.html

プーチン大統領は神の申し子
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html

プーチン大統領
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/809.html

プーチンは CIA右派のエージェトだった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/363.html

カネも通信も丸裸、ロシア「監視社会化」の恐怖
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/599.html

ソ連の細菌兵器と炭疽菌の流出事件
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/917.html

ネット上のフェイクニュースの発信源は「ロシア」「中国」「イラン」が3大超大国
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/887.html

3. 中川隆[-5673] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:03:06 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[37] 報告
マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/891.html

高校生で人生がほぼ決まってしまうフランスの超学歴社会…日本人ははるかに幸せ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/962.html

上級国民/下級国民 _ 『持てる者』は“事実上の一夫多妻”、『持たざる者』は生涯独身
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/689.html

“独立”する富裕層  政府による所得再分配は努力して金持ちになった人の金を盗む行為だから許せない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/701.html

階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/889.html

欧州で増える貧困層 イギリスではフードバンク難民が100万人以上
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/803.html

シリコンヴァレーで加速する「カースト制度」の真実
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/609.html

新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html

社会主義はそんなに悪いか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/702.html

マルクス経済学の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/915.html

マルクスの貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1119.html

ト・アペイロン 経済原論概説
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1118.html

白井聡 武器としての「資本論」_ 要約 資本主義 経済学
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1081.html

パリ・コミューンについて
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/890.html

革命は軍や警察が国家を裏切り市民側に就かないと成功しない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/574.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

戦後の日本が世界で最も成功した社会主義国、理想の共産社会に近い一億総中流社会になった理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/353.html

GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html

共産主義の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html

マルクス史観はどこが間違っていたのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/775.html

帝政ロシアから大量のユダヤ移民がアメリカに逃げてきて共産主義者になっていった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1214.html

アメリカの共産主義者の実態はユダヤ移民
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/366.html

ロシア革命を支援したユダヤ金融資本
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1110.html

「ロシア革命」を実行したユダヤ人とそれを支援したユダヤ人
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1025.html

【英文資料】ソルジェニーツィン氏が、最新歴史研究書のなかでロシア革命におけるユダヤ人の役割を総括
http://www.asyura.com/0304/bd25/msg/753.html

ソルジェニーツィンの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1236.html

ロシア革命とは何だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/795.html

ネオコンとはトロツキスト共産主義のこと
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/364.html

4. 中川隆[-5672] koaQ7Jey 2021年4月15日 22:04:41 : 2WCnPZKA5U : aFYyNHFXQVpEVEk=[38] 報告
ヒトラーの共産主義との戦い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html

関東大震災とJPモルガン
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/278.html

昭和天皇はウォール街のエージェントだったので、共産主義者のルーズベルト大統領と対立して対米戦争を起こした
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/614.html

ヨハンセンと呼ばれた男 戦後最大の裏切り者 吉田茂と白洲次郎
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1049.html

原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html

ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html

チャーチルはソ連を核攻撃しようとしていた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1028.html

イスラエル建国
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1024.html

イスラエルは中東の対立を煽る為に作られた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/833.html

欧米の中東侵略の歴史
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/942.html

J・F・ケネディ-は東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1102.html

キッシンジャーがやった事
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1109.html

ロスチャイルドの番頭で殺人鬼だったジョージ・ソロス
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1194.html

ロスチャイルドのエージェントのソロスは反共・反中国だった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/215.html

イスラエル、過去2700人も暗殺? 制度化し首相決裁
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1217.html

アメリカ経済を動かしている経営陣の8割以上がユダヤ人、GAFAの経営者も、全員ユダヤ人
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1114.html

アメリカの上流階級の人間はユダヤ人の家族に囲まれている
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1108.html

ユダヤ人の「リベラル」思想とはどういうものか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/922.html

5. 中川隆[-5580] koaQ7Jey 2021年4月18日 07:14:25 : cVvh3vnihc : SkQ4eVFEeU43Y0U=[7] 報告
【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第1回
「民族無き世界を目指す2つのグローバリズム〜ロスチャイルド家とカール・マルクスの繋がり」[桜R3/4/17]


6. 2021年5月11日 08:51:23 : yXfuG4Z41k : bHRLOVJvWU0vWGs=[14] 報告

2021.05.11
ナチスが台頭する前のドイツがソ連と友好的だったのは英国という敵がいたから
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202105110001/


 ボルシェビキがソ連を作り出してからドイツでナチスが台頭するまでの期間、ソ連とドイツとの関係は良好だった。その理由を理解するためには1917年のロシアにおける二月革命と十月革命、その背後で暗躍していたイギリスの情報機関について知る必要がある。

 崩壊する直前の帝政ロシアは大地主と産業資本家によって支えられていたのだが、第1次世界大戦において、このふたつの柱の利害は対立していた。産業資本家はイギリスと組んでドイツと戦うことに賛成していたのだが、大地主は戦争に反対していたのだ。大地主の代弁者的な人物がグレゴリー・ラスプーチンという修道士である。

 やはり戦争に反対していた皇后は1916年7月13日にラスプーチンへ電報を打つが、それを受け取った直後にラスプーチンは見知らぬ女性に腹部を刺されて入院してしまう。8月17日に退院するが、その前にロシアは参戦していた。

 そして1916年12月16日、ラスプーチンは暗殺される。川から引き上げられた死体には3発の銃弾を撃ち込まれていた。最初の銃弾は胸の左側に命中、腹部と肝臓を貫いた。2発目は背中の右側から腎臓を通過。3発明は前頭部に命中し、これで即死したと見られている。暗殺に使用された銃弾はイギリスの軍用拳銃で使われていたものだった。

 暗殺したのはフェリックス・ユスポフという有力貴族を中心とするグループだったが、その背後にはイギリスの情報機関MI6が存在していたのだ。

 ロシアをドイツとの戦争へ引きずり込みたいイギリス外務省は1916年にサミュエル・ホーアー中佐を中心とするMI6のチームをロシアへ送り込んでいる。その中にステファン・アリーとオズワルド・レイナーが含まれていた。アリーの父親はロシアの有力貴族だったユスポフ家の家庭教師で、アリー自身はモスクワにあったユスポフの宮殿で生まれている。レイナーはオックスフォード大学時代からユスポフと親密な関係にあった。イギリスはロシアをドイツとの戦争に引きずり込もうとしていた。

 イギリス外務省のお抱え運転手だったウィリアム・コンプトンの日記によると、彼はレイナーをユスポフの宮殿へ1916年の10月の終わりから11月半ばにかけて6回にわたり運んだという。またユスポフは1916年12月19日にレイナーと会ったと書き残している。(Joseph T. Fuhrmann, “Rasputin,” John Wiley & Son, 2013)

 ラスプーチンが殺されて間もない1917年3月にロシアでは二月革命があり、資本家を後ろ盾とするカデット中心の臨時革命政府が成立する。労働者や兵士を支持母体とするメンシェビキも「ブルジョア革命」を目指していた。そして戦争は継続することになる。

 その結果、ドイツは両面作戦を続けなければならなかった。そこで目をつけたのが即時停戦を主張していたボルシェビキだ。そこで国外に亡命していたボルシェビキの指導者32名をドイツは1917年4月に「封印列車」でロシアへ運んだ。そうした指導者のひとりがウラジミル・レーニンだ。その後、紆余曲折を経て十月革命でボルシェビキ政権が誕生、ドイツとの戦争を止めることになるのだ。

 しかし、ドイツ軍は迅速に部隊を西側へ移動させられなかったことやアメリカの参戦もあって1918年11月に敗北する。その3カ月前にイギリス、フランス、アメリカ、そして日本などはロシアに軍隊を派遣して干渉戦争を始めている。

 そうした経緯があるため、アドルフ・ヒトラーが出てくるまでドイツとソ連との関係は悪くなかった。米英の金融資本と結びついていたのはロシアの臨時革命政府やナチスだ。シティやウォール街がナチスを支援した理由はドイツとソ連を戦わせることにあったと言えるだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202105110001/

7. 中川隆[-4879] koaQ7Jey 2021年5月11日 08:54:21 : yXfuG4Z41k : bHRLOVJvWU0vWGs=[16] 報告
2021.03.10
ラテン・アメリカで民主勢力が逆襲の動き
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103100001/
 ブ​ラジル最高裁のエドソン・ファシンは3月8日、ルイス・シルバに出されていた全ての判決を無効にすると言い渡した​。2022年の大統領選挙に出馬する道が開かれた。まだ最高裁大法廷での審理が残っているものの、アメリカの私的権力は苦々しく思っていることだろう。

 シルバは2017年7月に汚職容疑で懲役9年6カ月の有罪判決を受けたのだが、その事件は裁判所と検察が共謀したと疑われていた。2019年6月にはインターネット・メディアの​インターセプトがこの疑惑を証明する会話記録を公表​している。

 インターセプトの記事によると、最初の裁判を担当したセルジオ・モロ判事は捜査が始まった直後から検察側の責任者だったデルタン・ダラニョールに対し、裁判や投獄に関するアドバイスや指示をしていた。この捜査はバラク・オバマ政権の司法省が支援していたと言われている。

 現在のブラジル大統領、ジャイル・ボルソナロは2019年1月に就任したが、その2カ月後にアメリカを訪問した。その際、​ドナルド・トランプ大統領と会う前にCIAの本部を訪れ、ジーナ・ハスペル長官と会談​している。彼の正体を象徴する出来事だ。

 ブラジルに限らず、民意に基づいて選ばれた政権はアメリカを拠点とする私的権力の利権にとって好ましくないことが少なくない。第2次世界大戦の前には海兵隊が介入していたが、大戦後にはCIAの秘密工作部門が現地の手先を使ってクーデターを起こしている。

 例えば、1953年6月にはイギリスの要請を受け、ウォール街の弁護士であるジョン・フォスター・ダレス国務長官(当時)とアレン・ダレスCIA長官(同)をの強大はイランのムハマド・モサデクを倒している。

 ラテン・アメリカの1948年4月にコロンビアのホルヘ・エリエセル・ガイタンが暗殺され、54年6月にはグアテマラのヤコボ・アルベンス・グスマン政権が軍事クーデターで潰された。1973年9月にはチリのサルバドール・アジェンデ政権もクーデターで倒されている。

 勿論、アメリカの私的権力に破壊された政権はこれらに留まらない。その大半が民主的に選ばれていた。アメリカは「民主主義を押し売りしている」と言う人がいるが、実際は民主主義を破壊してきたのだ。本ブログでは繰り返し書いてきたが、ウォール街に巣くう私的権力はアメリカでもファシズム体制の樹立を目指し、1933年から34年にかけてクーデターを目論んでいる。

 ウォール街の金融資本がナチス体制へ資金を供給していたことは研究者やジャーナリストによって明らかにされてきた。ダレス兄弟のような弁護士にとって、ドイツの巨大企業も大切な顧客だ。その巨大企業の利権とナチスは結びついていた。

 ウォール街とナチスを結ぶ仕組みで中心的な役割を果たしていたのがディロン・リードやブラウン・ブラザーズ・ハリマンといった金融機関。ブラウン・ブラザーズ・ハリマンはW・A・ハリマンがブラウン・ブラザーズを買収してできた会社で、W・A・ハリマンが創設された1919年当時に社長を務めていた人物がジョージ・ハーバート・ウォーカーである。

 このウォーカーの孫がジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュであり、ひ孫がジョージ・ウォーカー・ブッシュ。つまり、第41代アメリカ大統領と第43代アメリカ大統領だ。

 大戦中、アレン・ダレスはスイスのベルンで秘密工作を指揮していたが、ここでナチスと接触していたと見られている。スイスには資金面でナチスとつながっていたと言われているBIS(国際決済銀行)が設立されていた。BISの初代頭取ゲイツ・マクガラーはリチャード・ヘルムズの祖父。ヘルムズはダレスの側近として秘密工作に従事、1966年から73年にかけてCIA長官を務めている。

 ウォール街とシティ、つまりアメリカとイギリスの金融資本はファシストのスポンサーだと言わざるをえない。フランクリン・ルーズベルトをはじめとするニューディール派は第2次世界大戦が終わった後、こうした関係を暴くつもりだったかもしれないが、これは実現していない。ドイツが降伏する直前、1945年4月12日にルーズベルトが急死したからだ。

 ルーズベルトと同じように反ファシストで副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスは民主党の幹部たちによって1945年1月にそのポストから引きずり下ろされている。後任はシオニストの富豪を後ろ盾としていたハリー・トルーマンだ。戦後、アメリカではジョセフ・マッカージー上院議員を中心に「赤狩り」が展開され、反ファシスト派は粛清されてしまう。その間、CIAはナチスの元高官や協力者を救出、保護、さらに雇用している。日本でも似たことが行われた。

 少なからぬナチスの関係者をアメリカの政府機関はラテン・アメリカへ逃がした。「ブラッドストーン作戦」だ。逃走した人びとはそこでアメリカの巨大資本のために活動している。

 逃走ルートは「ラット・ライン」と呼ばれているが、この逃走工作をローマ教皇庁の大物が協力していた。ジョバンニ・モンティニ、後のパウロ6世である。その背後にはアレン・ダレスやジェームズ・アングルトンのような情報機関の大物がいた。

 モンティニは戦後、ナチスの大物にバチカン市国のパスポートを提供し、逃走を助けている。「ラット・ライン」を1947年から動かしていたのはアメリカ陸軍第430CIC(対諜報部隊)のジェームズ・ミラノ少佐。ミラノに逃走支援工作を任されたのがポール・リオンズ中尉で、リオンズの接触した相手がクルノスラフ・ドラゴノビッチ神父だった。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 この逃走ルートを利用して逃げたナチのひとりが「リヨンの屠殺人」と呼ばれたクラウス・バルビー。この人物は大戦中、フランスのリヨンでゲシュタポの指揮官を務めていた。

 バルビーもラテン・アメリカで活動、1980年7月にはボリビアのクーデターに加わっている。このクーデターも背後にはアメリカの私的権力が存在、現地の軍人と大物麻薬業者が手を組んで実行した。このクーデターに限らず、ラテン・アメリカでクーデターや「死の部隊」を指揮してきた軍人の大半はSOAの出身者。

 この施設は1946年にアメリカ政府がパナマで設立、対反乱技術、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、軍事情報活動、尋問手法などを教えていたが、1984年にパナマ政府から追い出され、アメリカのジョージア州にあるフォート・ベニングへ移動。2001年には「西半球治安協力研究所(略称はWHISCまたはWHINSEC)」へ名称を変更した。

 ブラジルもこうした軍人たちによって支配されていたが、同じような国はアメリカ政府の下、連携していた。1975年9月ころにはチリ、アルゼンチン、ボリビア、ブラジル、パラグアイ、そしてウルグアイの軍事政権の情報機関が参加し、巨大資本の利権にとって目障りな人びとを誘拐したり暗殺したりしている。その連合体が「コンドル」だ。

 1999年にベネズエラでウゴ・チャベスが大統領に就任して以来、そのラテン・アメリカへ民主化の波が押し寄せた。例えば2003年にブラジルでルイス・シルバ、アルゼンチンでネストル・キルシュネル、06年にはボリビアでエボ・モラレス、ホンジュラスでマヌエル・セラヤ、07年にはエクアドルでラファエル・コレアがそれぞれ大統領に就任している。

 こうした民主的な政権を支えていたのがベネズエラの石油だったのだが、石油相場の急落もあり、ウォール街の逆襲にあった。ベネズエラに対するクーデター作戦は進行中だ。

 しかし、そうした流れを再び民主化の方向へ戻そうとする力も働き始めている。そのキーパーソンはメキシコのアンドレ・マヌエル・ロペス・オブラドール大統領だろう。2018年に就任している。ロックダウンなどによって人びとを封じ込めようとしているヨーロッパ各国の首脳を激しく批判する一方、新自由主義に反対している。

 メキシコはCIAを後ろ盾とする麻薬業者に支配されてきた国で、クーデターで倒される恐れもあるが、民主化を目指す力が強まっていることは否定できない。ブラジルでの判決もこうした流れが影響しているのだろう。

 ラテン・アメリカだけでなく、東アジアでも中東でもジョー・バイデン政権は力で押し切ろうとしているようだ。すでにルビコンを渡った彼らとしては死に物狂いで押し切ろうとするだろうが、裏目に出る可能性がある。COVID-19の幻影が消えたなら致命的だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103100001/


▲△▽▼


2021.05.10
第2次世界大戦でナチスは敗れたが、ナチスの黒幕は生き残り、戦争を続けている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202105090000/

 5月9日はロシアの「戦勝記念日」である。ウラジミル・プーチン露大統領はこの日、ある勢力が第2次世界大戦から何も学ばず、ロシアに対する攻撃的な計画を抱いていると指摘したうえで、国民の利益を守るという決意を述べた。好戦的なジョー・バイデン政権やその僕たちを意識しての発言だろう。

 ドイツとソ連の関係が悪化するのはナチスが台頭してからでる。十月革命でボルシェビキ体制が成立して以来、ソ連とドイツとの関係は良好だった。ナチス時代の1941年6月にドイツ軍はソ連を侵攻した。バルバロッサ作戦だ。西側には約90万人だけを残し、310万人を投入するという非常識なものだったが、これはアドルフ・ヒトラーの命令である。まるで西側から攻めてこないことを知っていたかのようだ。

 ドイツ軍は7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達した。10月の段階でドイツだけでなくイギリスもモスクワの陥落は近いと考えていたのだが、日本軍が真珠湾やマレー半島を奇襲攻撃した12月にソ連軍が反撃を開始、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでもソ連軍に敗北、1943年1月に降伏する。

 この段階でドイツの敗北は決定的になったが、慌てたイギリスやアメリカはすぐに善後策を協議、その年の7月に両国軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸した。その後、ナチスの幹部はアレン・ダレスたちと接触し始める。サンライズ作戦だ。その後、アメリカの軍や情報機関はフランクリン・ルーズベルト大統領には無断でナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。ラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などだ。

 アメリカやイギリスの金融資本はナチスを資金面から支えていた。例えばディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングなどがそうしたパイプだった。その経営陣にはョージ・ハーバート・ウォーカー、その義理の息子であるプレスコット・ブッシュ、ブッシュと同じエール大学のスカル・アンド・ボーンズに入っていたW・アベレル・ハリマンも含まれている。そのほかスイスで設立されたBIS(国際決済銀行)や第2次世界大戦が勃発する半年ほど前にドイツへ約2000トンの金塊を渡したと言われているイングランド銀行も仲間だと言えるだろう。

 そもそも、ウォール街は1930年代からファシストと関係があった。そのウォール街の傀儡だったハーバート・フーバーが1932年の大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗北すると、アメリカの金融資本は在郷軍人会を利用してクーデターを行おうと計画している。

 計画の中心的な存在だったJPモルガンは司令官としてダグラス・マッカーサーを考えていたが、人望があり、軍の内部への影響力が大きいスメドリー・バトラーを取り込まないとクーデターは無理だという意見が通り、バトラーに働きかけた。

 しかし、この人物は憲法を遵守するタイプの人物。そこで計画内容を聞き出した上でカウンタークーデターを宣言し、議会で詳細を明らかにした。

 ウォール街のクーデター派はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領への信頼感を失わせるようなプロパガンダを展開、50万名規模の組織を編成して恫喝して大統領をすげ替えることにしていたという。

 バトラーの話を聞いたジャーナリストのポール・コムリー・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。金融資本は親ファシズムだった。ナチスへ資金を提供し、ナチスの幹部や協力者を救出、保護するのは必然だった。その延長線上に冷戦はある。バラク・オバマやジョー・バイデンの政策も同じだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202105090000/

8. 中川隆[-4302] koaQ7Jey 2021年6月10日 17:43:47 : CD0syXjenk : R2dzTkMyT3VGNWs=[27] 報告
2021.06.10
脅しが通じず、米政府は中露と対決せざるをえない状況に陥った
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202106100000/


 アメリカのジョー・バイデン大統領は6月9日、イギリスへ向かって飛び立った。6月11日から13日かけて開催されるG7首脳会談へ出席するためだ。コロナウイルス、環境、そして「素晴らしい新世界」について議論するようだ。

 G7のメンバーはアメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本の7カ国とEUだが、今回はオーストリラリア、インド、韓国、南アフリカが招待されている。

 インドと南アフリカがメンバーに含まれているBRICSはロシアや中国が中心の集まり。アメリカ、日本、インド、オーストラリアの4カ国はインド洋から太平洋にかけての海域における軍事同盟「クワッド」を攻勢している。

 アメリカ軍は2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ変更、太平洋からインド洋にかけてを一括担当させることにした。太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うとされている。この海域において、日本、インド、オーストラリアはアメリカの手先として重要な役割を担わされるわけだ。

 おそらくスエズ運河を押さえて以来、イギリスはユーラシア大陸の周辺部を支配し、「三日月帯」で内陸部を締め上げて最終的にはロシアを制圧するという長期戦略をたてた。その三日月帯の東端が日本であり、大陸を侵略するための橋頭堡が朝鮮半島だ。イギリスが長州や薩摩を支援してクーデターを成功させ、明治政府に技術を提供、資金を供給したのはそのためである。

 また、テディ・ルーズベルトを含むアメリカの勢力が日本に台湾へ派兵し、朝鮮半島を制圧するように焚きつけたのも理由は同じ。イギリスの長期戦略をアメリカは引き継いだ。ジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」もその長期戦略に基づいている。

 イギリスやアメリカの私的権力が望んでいたことは、日本が彼らの傭兵として中国を侵略し、さらにロシアへ攻め込むことだ。1941年7月の「関東軍特種演習」までは、アングロ・サクソンの思惑から外れていない。ちなみに、ヨーロッパ側ではナチスに支配されたドイツが1941年6月にソ連侵略を開始する。「バルバロッサ作戦」だ。

 しかし、1941年8月に日本は関特演を取りやめ、12月には真珠湾とマレー半島を奇襲攻撃する。ヨーロッパではドイツ軍がその年の9月にモスクワまで80キロメートルの地点まで到達、ドイツやイギリスはモスクワ陥落は近いと予想していたが、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。1942年にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入するが、そこでもソ連軍に敗れ、1943年1月に降伏する。この段階でドイツと日本の敗北は決定的になった。

 詳しい話は割愛するが、この段階でウォール街やシティ、つまりアメリカとイギリスの金融資本はソ連との新たな戦争を始めているが、アメリカのフランク・ルーズベルト大統領は「蚊帳の外」だった。

 そのフランク・ルーズベルトは1945年4月に急死、その翌月にドイツは降伏、その直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連に対する奇襲攻撃を目論み。JPS(合同作戦本部)に対してソ連を奇襲攻撃するための作戦を立てるように命令した。そしてできあがったのが「アンシンカブル作戦」だ。アメリカ、イギリス、ポーランド、ドイツの連合軍で7月1日にソ連を奇襲攻撃するという内容だった。

 この作戦は参謀本部の反対で中止になったようだが、7月16日にはアメリカのニューメキシコ州にあったトリニティ(三位一体)実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われ、成功している。この日程はポツダム会談が始まる前日に行いたいというハリー・トルーマンの求めで決められていた。これ以降、対ソ連戦の中心は核兵器になる。広島と長崎に原爆を投下した理由のひとつは「生体実験」だろうが、もうひとつは新たなソ連との戦争が始まったことを知らせるものだった。

 大戦後、アメリカがソ連や中国に対する先制核攻撃を計画、準備を進めていたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。そのソ連が1991年12月に消滅、ターゲットの中心は中国へ移るが、中国はソ連より簡単に始末できるとアメリカは考えていただろう。

 この思惑を崩したのがウラジミル・プーチンだ。彼を中心とする勢力が曲がりなりにもロシアの再独立を成功させ、ネオコンの傲慢な作戦で中国とロシアを戦略的な同盟関係に入らせてしまった。ジョー・バイデン政権は中国とロシアを潰すために四苦八苦している。

 そのロシアでは6月2日から5日にかけて「サンクトペテルブルク国際経済フォーラム(SPIEF)」が開かれ、170カ国以上が参加している。過去の遺物と化して久しいG7とは違い、新たな経済活動がここにはある。このタイミングでロシア財務省は保有するドルをさらに減らし、金やユーロへシフトすると宣言している。

 プーチン露大統領とバイデン米大統領は6月16日にスイスのジュネーブで会談する予定だが、アメリカはロシアから愉快でないシグナルを会談で受け取るという前提で準備してくるべきだとロシアのセルゲイ・リャブコフ外務副大臣は語っている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202106100000/

9. 中川隆[-16113] koaQ7Jey 2021年7月21日 01:43:50 : uFzAR6rk4M : N0ZBMXhlZ1JUTGc=[5] 報告
【ゆっくり解説】社会主義が絶対に失敗する理由と日本共産党は全体主義である理由
2021/07/20


10. 中川隆[-17596] koaQ7Jey 2021年8月01日 13:19:53 : bpJXXhrmJA : UTkxbGw4d0VLOW8=[33] 報告

2021年07月31日
ナチスを育てた米国の資本家 / 隠された西歐史
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68866346.html


ヒトラーに資金を流した黒幕

Hitler 2232J.P. Morgan 221

(左 : ドイツ兵を前にするヒトラー / 右 : ウォール街の大物 J.P.モルガン)

  西歐世界における歴史教育は非常に厄介だ。なるほど、歐米諸国では優秀な大学教授や有名な研究者が、膨大な資料に基づき様々な歴史書を出版してきたし、現在も続々と新刊本が出ている。かつてのソ連圏や支那、朝鮮で出版される歴史書なら、「こんなのは政治プロパガンダの一種だろう」と笑われてゴミ箱行になるところだが、名門大学の権威者が世に出した“学術書”となれば話は別だ。一般人は準聖書の如く扱い、謙虚な心を以て恭しくその青史を繙く。まさか、歴史の真実を隠蔽するための偽典とは思わない。なぜなら、多少、解釈や判断の違いがあっても、あからさまな捏造は無いからだ。しかし、高名な学者であっても、何らかの“不都合な事実”を葬るため、意図的に言及を避けたり、陰謀論として却下するから一般国民には注意が必要だ。

  従来の学校歴史観だと、英米はソ連を同盟国にして、極悪のドイツ、イタリア、日本を成敗したことになっている。さらに、英米の勝利は「ファシズムに対するデモクラシーの勝利」となっているから片腹痛い。なぜなら、どうして極悪の共産主義国、すなわち全体主義のソ連が同盟国となっているのに、リベラル・デモクラシーの勝利と宣言できるのか? しかも、アメリカは大虐殺を厭わない毛沢東を支援して、支那大陸の赤化を推進した張本人。朝鮮戦争だって、ディーン・アチソンやジョージ・マーシャルの不可解な言動を調べれば、米ソの「出来レース」だと判る。東アジアは米国から遠く離れた化外の地。冷たい“緊張状態”が続くことは、エスタブリッシュメントにとって必ずしも損な状態ではない。ノルマンディー上陸作戦だって甚だ怪しく、ポーランドを含めた東歐諸国をソ連に貢ぐための策略じゃないのか、と思えてくる。もし、本当に歐洲を救いたければ、フランスの海岸じゃなくバルカン半島から上陸し、北上しながら反撃すればいいじゃないか。英米の一般人は、ポーランドがヒトラーの手から解放され、スターリンの懐に入ったから嬉しいのか?

Normandy D Day 001WW II Battle-of-Stalingrad

(左 : 「ルマンディー上陸作戦」に参加したアメリカ兵 / 右 : 第二次大戦で勝利したロシア兵)

  もちろん、一般のアメリカ国民や連合軍の将兵は、米国と歐洲を救うべく、多大な犠牲を払ったと思っている。しかし、大戦が勃発する原因や経緯、戦後の経済体制や国際秩序を冷静に見つめてみれば、何となく割の合わない結果であることに気づく。普通のアメリカ人やイギリス人は絶対に口にしないけど、「どうも、腑に落ちない。日独に勝ったとはいうものの、俺達の生活は良くならないどころか、以前よりも悪くなっている。第一、ナチズムを一掃したら、今度は故郷に有色人種が増えちまった。アーリア人を殺して、アフリカ人が隣人なんて真っ平御免だぞ。これなら、ドイツと一緒に組んでユダヤ人を中東に叩き出しておけばよかった。あれだけ多くの血を流したのに、その結果がこの程度なんて・・・」と嘆いてしまう。そもそも、大戦前にブリテン帝國の崩壊と英国病を予想したイギリス人は、いったい何人いたんだ? また、南洋戦線で日本兵を撃ち殺した白人兵は、本国での人種平等、つまり黒人との混淆やユダヤ人との共生を望んでいたのか?

  第二次世界大戦の隠された目的は、独立を高めるドイツ帝國への懲罰処分にあった。我々はナチ・ドイツがヨーロッパ諸国を侵掠し、ユダヤ人を迫害したから、正義と秩序を守る英米が蹶起(けっき)した、と習っている。しかし、こんなのは子供騙しの御伽噺だ。大戦の理由は幾つかあるけど、そのうちの一つは、歐米世界を牛耳る闇組織の誤算にあった。ロスチャイルド家の指令を受けたウォーバーグ銀行が、レーニンのボルシェビキに資金を流したことはよく知られている。日本人は「ロシア革命」と思っているが、実質的には「ユダヤ人によるクーデタ」と呼んだ方がいいだろう。嘘だと思う日本人は、ボルシェビキの幹部を一人一人じっくりと眺めてみれはいい。

  ポグロムを以てユダヤ人を度々迫害してきたロマノフ朝ロシアは、ユダヤ人にとったら不倶戴天の敵であるから、一家皆殺しは当然の結果である。しかし、革命の目的はそれだけではない。ロシアの富を収奪しようとする連中にとって、買収の効かないロシア皇帝は邪魔者でしかなかった。もし、外国人勢力がロシアの天然資源を根こそぎ奪い、民衆を低賃金労働者にして搾取すれば、必ずやロマノフ王朝は介入してくる。おそらく、外国企業は国外追追放になってしまうだろう。でも、子飼いのレーニンが支配者になれば、共産党が唯一の窓口になるから、党の幹部に甘い汁を吸わせておけば、後は国際企業のやりたい放題。巨大な資金を有するオルガルヒのような悪党、つまりロシア人の“フリ”をしたユダヤ人が、ロシアの至る所で跋扈し、ロシアの石油や稀少金属を掘り出して巨万の富を得るだろう。もちろん、ボルシェビキの一般党員は「赤色革命」の輸出に夢中だ。しかし、裏から資金を流していた連中は違う野望を抱いていた。そして、世界政府の樹立を目論む大富豪は、レーニン亡き後の指導者にレフ・トロツキーを充てようと考えていたのだ。

Lenin 00321Trotsky 661Stalin 231


(左 : ウラジミール・レーニン / 中央 : レフ・トロツキー / 右 : ヨシフ・スターリン )

  ところが、グルジア人のヨシフ・スターリンが、国際金融業者の計画に大きなズレをもたらした。スターリンは巧妙な策略を用いてトロツキーを欺き、レーニンの葬儀に参列できないよう仕組んでしまう。意識朦朧のレーニンから「後継者の指名を受けた」スターリンは、独裁者として赤いロシアに君臨する。しかも、冷徹な目で現状を捕らえる大元帥は、トロツキーの永続革命論を斥け、一国社会主義で自分の土台を固めようと考えた。これはトロツキーを「操り人形」にしようと考えていた資金提供者にとっては番狂わせのパプニングだ。彼らはスターリンを甘く見ていたのかも知れない。知識人型のレーニンと違って、暴君型のスターリンは金持ちどものペットになる気は更々無かった。レーニンは資本家の足元にひれ伏したが、スターリンは彼らの尻(ケツ)を舐めるのが大嫌い。ユダヤ人のパトロンに頭を下げるくらいなら、自前で金を稼ぐ方がいいと考えた。実際、スターリンは金に困って強盗になったし、売春婦を搾取する女衒にもなっていた。やはり、革命家は暴力団の闘士でなきゃ。

  ボーダレス・エコノミーを夢見る資本家達は、「絶大な権力を手に入れたスターリンを何とか制禦しなければ !」と思い、このグルジア人を懲らしめる政敵を創ろうと考えた。そこで目に附けたのが、当時、まだ駆け出しの政治家であったアドルフ・ヒトラー。なんと、ロンドンやウォール街を牙城とする大物ビジネスマンは、現地の企業を通してヒトラーに活動資金を渡していたのだ。この経緯については、アンソニー・サットン教授が詳しく述べている。フーバー研究所に属していたサットン教授は、ウォール街とボルシェビキの関係を明らかにしたことで有名だ。彼の三部作を読めば、どんな人物がヒトラーのパトロンになっていたかが判る。

Anthony Sutton 1Emil Rathenau 002Walther Rathenau 001


(左 : アンソニー・サットン / 中央 : エミール・ラーテナウ / 右 : ヴァルター・ラーテナウ )

  ヒトラーの台頭を助けた企業として挙げられるのは、米国の有名企業である「ジェネラル・エレクトリック社(General Electric)」である。この会社はベルリンにある「ドイツ・ジェネラル・エレクトリック社(Allgemeine Electricitäts Gesellschaft / A.E.G.)」と提携し、国家社会主義者のヒトラーを支援するスポンサーになっていた。「A.E.G.」というのは、エミール・ラーテナウ(Emil Rathenau)がトマス・エジソンの特許を取得して設立した、「ドイツ・エジソン電器会社(Deutsche Edison Gesellschaft für angewandte Electricität)」が前身となっている。そして、エミールの息子というのが、ワイマール共和国で外相を務めたヴァルター・ラーテナウ(Walter Rathenau)ときている。彼は1922年に暗殺されてしまうが、元々は父親の跡を継いでA.E.G.の経営を担っていた人物だ。

  ドイツでA.E.G.をパートーナーにしていたのが、アメリカの「ジェネラル・エレクトリック(GE)」で、GEの経営陣には、日本でも有名なオーエン・ヤング(Owen D. Young)とジェラルド・スウォープ(Gerard Swope)がいた。第一次大戦後、ベルサイユ体制で痛めつけられたドイツは、不況とハイパー・インフレーションに見舞われ、賠償金の返済にも困っていた。これを憂慮したアメリカは、ドーズ案とかヤング案を用いてドイツの経済復興を助けようとした。当時のカルヴィン・クーリッジ大統領は、特別委員会を設置し、元銀行家で副大統領になったチャールズ・ドーズ(Charles Dowes)を委員長にしてドイツへ派遣する。オーエン・ヤングが議長となった委員会では、「ヤング案」という計画が作成され、これが新たな賠償方式となった。このヤング委員長はGEの会長で、復興支援を模索する傍ら、ドイツの電器産業を束ねる計画、すなわちカルテルを結成しようと目論んでいたのだ。彼は他の企業の経営にも携わっており、「Radio Corporation of America」の会長や「OSRAM」と「A.E.G.」の経営者、ニューヨークのFRB副議長も務めていた。(註 / 「オスラム : OSRAM」というのは、電球などの照明器具を製造するドイツ企業で、ここの日本法人は神奈川県にある。)

Owen D. Young 22Gerard Swope 001Charles Dowes 1


(左 : オーエン・ヤング / 中央 : ジェラルド・スウォープ / 右 : チャールズ・ドーズ )

  ジェラルド・スウォープはGEの社長で、「A.E.G.」や「OSRAM」の経営にも携わっていた。彼も様々な役職を兼ねており、RCA(ヤングが創設したラジオ局や電気機器、レコード会社を手掛ける多国籍企業)、NBC(三大ネットワークの一つ)、ニューヨークの「National City Bank」の経営陣にもなっていたが、ヤングと同じくモルガン商会の代理人であった。J.P.モルガンの手下は他にもいて、GEの経営陣に属するクラーク・ヘインズ・マイナー(Clark Haynes Minor)は、「International General Electric(I.G.E.)」の社長であった。ヴィクター・カッター(Victor M. Cutter)もGEの経営陣に加わっており、彼はボストンの「First National Bank」を任されていた。

  ドイツの経済界でカルテルを形成しようと図るGEは、大手企業のA.E.G.を傘下に納めようと画策した。1929年8月、1,400万マルク相当の株がGEの手に渡り、両者の人的関係や技術提携は濃密になった。1930年1月になると、A.E.G.の重役会議にはGEの三人衆、すなわちクラーク・マイナーとジェラルド・スウォープ、E. アーサー・ボールドウィン(E. Arthur Baldwin)が送り込まれた。(註 : ボールドウィンは「International General Electric Company」の副社長を務めていた。) GEの野望は壮大で、このアメリカ企業はドイツの大手企業である「シーメンス&ハルスケ(Siemens & Halske)社」にも食指を伸ばし、電器業界の独占を目指していたのである。しかし、GEの目論見は達成されず、シーメンス& ハルスケ社は独立を保つことができた。(このS&H社はシーメンス社の一部門で、かのシーメンス社は電気・通信技術をはじめ、発電機やロータリー・エンジンなどの開発も手掛ける大手企業。大正3年に発覚した「シーメンス事件」は有名で、帝國海軍の高官が贈賄を受けたとのスキャンダルが騒がれ、山本権兵衛内閣は総辞職に追い込まれた。)

  ウォール街からやって来た投資家や企業家は、貪欲にもドイツ企業の支配に励んでいた。GE社の「International General Electric(I.G.E.)」は、「A.E.G.」株の約30%を取得し、「Gesellschaft für Electrische Unternemungen」社の株だと全体の約25%、「Ludwig Lowe & Co.」も餌食となって、全体の約25%を占められていた。(「G.E.U」は投資会社から始まった電力供給会社で、鉄道事業も手掛けていたドイツ企業。「Ludwig Lowe」の方は、機械製造の会社で、武器弾薬の生産も行っていた。) IGEはOSRAMにも影響力を持ち、A.E.Gの経営陣を通して操っていたという。

  シーメンス社が間接的にヒトラーへ献金を行った事はあっても、直接的に渡したという証拠は無いらしい。でも、「A.E.G」や「OSRAM」からの資金提供は明らかで、「国家信託機構(Nationale Treuhand)」を介して資金を流していたそうだ。(Anthony C. Sutton, Wall Street and the Rise of Hitler, Seal Beach, California : '76 Press, 1976, p.53.) 米国のビジネス業界と連動するドイツ企業もヒトラーに資金提供をしており、染料や肥料、窒素の生産で有名な「I.G. ファーベン(Interessengemeinschaft Farbenindustrie)」も直接的に献金を行っていた。A.E.G.から数名の役員がI.G. Farbenに出向しており、A.G.Eの会長を務めるヘルマン・ブュヒャー(Hermann Bücher)とユリウス・フレッチハイム(Julius Flechtheim)、そしてヴァルター・フォン・ラス(Walter von Rath)の三名は、I.G. Farbenの重役でもあった。

  A.E.G.のウァルター・ファーレンホルスト(Walter Fahrenhorst)は、「フェニックス社(Pheonix A.G.)」や「ティッセン社(Thyssen A.G.)」、「デマグ社(Demag A.G.)」の重役を兼ねており、この三社はともにヒトラーへの献金を行っていたという。(上掲書、p.57) また、潜水艦や戦車に使われるバッテリーを製造していた「Accumulatoren Fabrik 社」もA.E.G.の重役二名、アウグスト・フェファー(August Pfeffer)とギュンター・クァント(Günther Quandt)を迎えており、2万5千ライヒス・マルクの献金をヒトラーに渡していた。ちなみに、クァントは「Accumulatoren Fabrik 社」が発行する株の75%を個人的に持っていたそうだ。A.E.G.のポール・マムロス(Paul Mamroth)とハインリッヒ・ファールス(Heinrich Pferls)は「OSRAM」の重役で、同社はヒトラーに4万ライヒス・マルクの献金を行っていた。

  鉄鋼業から始まり兵器産業へと進出した「クルップ社(Krupp)」も「I.G.E」と繋がっていた。GEは子会社の「Carbolony Company」を使ってクルップ社とカルテルを組み、「炭化タングステン(tungsten carbide)」の値段を吊り上げた。1920年代、この素材は1ポンド当たり50ドルしかしなかったのに、Carboloyが特許を用いて独占を図ると、1ポンド当たり453ドルまで高騰したという。これにより、両社は大儲け。I.G.E.と提携したクルップは、60万ライヒス・マルクの資金をヒトラーに提供していた。

  学校の教科書を疑わない日本人は、ナチスとヒトラーの話を聞けば、直ぐにホローストや侵略戦争を頭に浮かべてしまうが、「誰が伍長上がりの活動家に銭を渡したのか」を考えることはない。政治家になるには理念や情熱だけでは不充分で、必ず活動資金が必要となる。ユダヤ人の害悪を訴える退役伍長は、大企業の御曹司でもなければ、貴族の道楽息子でもない。露骨に言えば、大勢の乾分(こぶん)を抱えたルンペン親分だ。潰しの利かない武闘派の手下に飯を与えるだけでも精一杯。だから、アメリカやブリテンからやって来た怪しいビジネスマンでもOKとなる。「シドニー・ウォーバーグ(Sidney Warburg)」というペンネームで出版された『Financial Origins of National Socialism』によれば、ウォーバーグ自身が1929年から1933年にかけて、5回ほどヒトラーと会談し、このドイツ人が資金を欲していると分かったので、約2500万ドルを送金したという。

Paul Warburg 11James Paul Warburg 221max_warburg_1905Eric Warburg 11


(左 : ポール・ウォーバーグ / ジェイムズ・ポール・ウォーバーグ / マックス・M・ウォーバーグ / 右 : エリック・H・M・ウォーバーグ )

Mathilde Ludendorff 001(左 / マチルデ・ルーデンドルフ)
  もちろん、この「シドニー・ウォーバーグ」というのは実在の人物ではない。しかし、巷ではこの本がポール・ウォーバーグ(Paul Warburg)の息子であるジェイムズ・ポール・ウォーバーグ(James Paul Warburg)によって書かれたんじゃないか、という噂が流れた。なぜなら、第一次大戦で有名になったドイツ軍のエーリッヒ・ルーデンドルフ(Erich Friedrich Wilhelm Ludendorff)将軍の再婚相手で、未亡人となったマチルデ(Mathilde Friedrike Karoline Ludendorff)夫人が、ニュルンベルク裁判でジェイムズ・P・ウォーバーグがウォール街とナチスの橋渡しになっていた、と証言したからだ。しかし、マックス・M・ウォーバーグ(Max Moritz Warburg)の息子であるエリック・H・M・ウォーバーグ(Eric Hermann Max Warburg)は大激怒。マチルデ夫人の言説を「でっち上げただ!」と言い放った。この「シドニー・ウォーバーグの虚説」に対して憤慨したエリックは、これを掲載した各新聞社に抗議し、正式に取り消してもらったそうだ。(ロン・チャーナウ 『ウォーバーグ : ユダヤ財閥の興亡』 下巻、青木榮一 訳、日本経済新聞社、1998年、 pp.298-299.) 

  ちなみに、チャーナウの翻訳本は全訳ではなく、大切な「註」も省略しているので、本の価値が半減している。せっかくの労作なのに、肝心の註を省いたから台無しだ。まぁ、数頁にわたる脚注を附けると値段が高くなるから割愛したんだろうが、翻訳者の青木氏と日経新聞社はアホな事をしたものだ。

  話を戻す。「シドニー・ウォーバーグ」の本は元々、ネーデルラントのアムステルダムにある「Van Holkema & Warendorf」という老舗の出版社から刊行された書籍である。ところが、この小冊子は極めて少数しか販売されなかったので、今では稀覯本となっている。ただし、ここに隠れた価値を見出した人がいたので、スイスでドイツ語版が出版されたという。さらに、ドイツ語版を基にして英訳本が出版され、 1980年代に入って「Research Publications」が復刊した、という次第である。現在は、「Omnia Veritas社」が出版しているので、日本人でもアマゾンで購入できる。原書の『De geldbronnen van het nationaal socialisme : drie gesprekken Hitler』(Amsterdam : Van Holkema & Warendorff, 1933)が誰によって書かれたのかが不明だから、安心して信用できる資料とはならないが、もしかすると、内情に詳しい誰かがこっそりと暴露したのかも知れない。全くの素人が出鱈目を書いたとは思えないから、たとえウォーバーグ家が否定しても、幾つかの箇所は事実なのかも知れないぞ。日本の歴史学者は、こうした点に目を附けて詳しく調べるべきなのに、ユダヤ人の書いた学術書ばかりを有り難がるんだから本当に情けない。

  我々は学校で社会科の授業を受け、テレビや雑誌でも第二次世界大戦について聞いている。しかし、その歴史観、あるいは説明の枠組みを誰が作ったのか、に関しては興味が無い。生前、外務省の外政官でサウジ・アラビアやタイに赴任した岡崎久彦大使が語っていたけど、敗戦国では戦時プロパガンダが暴露され、様々な嘘が明らかにされているが、戦勝国では戦時プロパガンダがそのまま残ってしまうらしい。不正確な情報が否定ささず、修正もされないまま温存され、やがてそれが「定説」となってしまうのだ。ナチ・ドイツに関する「歴史」もその危険性があり、ナチス側の反論は悉く斥けられ、英米の学者やユダヤ人の一方的な解釈と論説で「正統な歴史書」が綴られている。

  そもそも、事後法に基づくニュルンベルク裁判自体が違法だし、検事と判事が“グル”なんて論外だ。勝者側の裁判官はドイツ側の弁護士が証拠の提出を求めても却下するし、英米側が持ち出してくる「証拠」だって、どんな「味付け」がなされているのか分からない。公式な報告書だって巧妙な捏造かも知れないし、調査官が米国側の工作員という可能性もあるのだ。日本人はユダヤ人の証言を鵜呑みにするが、科学的捜査に基づく物的証拠も無いのに、それを「真実」と思うのは間違っている。だいたい、「宣誓証言」でもない「噂話」や「感想」を「事実」と宣伝するのは異常だ。もし、米国と英国の政府がドイツと日本を裁くなら、英米の極秘ファイルも公開すべきだろう。しかし、いくら日本の弁護士が機密資料の公開を求めても米国は応じまい。つまり、英米は「疚しい過去」や「不都合な真実」を隠したまま、日独を裁いたということになる。たぶん、アメリカの弁護士や裁判官は、心の底でこうした魔女裁判を「リンチ法廷」と見なしているはずだ。でも、自分の社会的地位を守りたいから、誰もが口をつぐんで知らぬ顔。悧巧な者は無口だ。

Deborah Lipstadt 001David Irving 222

(左 : デボラ・リプシュタット / 右 : デイヴッイド・アーヴィング )

  歐米の知識人に勇気のある人は少ない。A.J.P.テイラーやパトリック・ブキャナンのように、従来の「歴史観」に刃向かったら、ユダヤ人勢力の総攻撃を食らって自滅となる。日本でもそうだけど、有名になる知識人というのは、民衆から尊敬されたいと望み、出来ることなら優雅な生活を送りたいと欲する高級種族。しかも、綺麗事を語るのが大好きな偽善者。日本学術会議にたむろってい連中をみれば判るじゃないか。リムジン・リベラルの先生達は、真実を喋って貧乏暮らしなんて真っ平御免である。英国のデイヴッイド・アーヴィング(David Irving)は、普通の大学教授が怠けて調べないドイツの一次資料を丹念に調べ、驚きの事実を数々公表したが、歐米ではネオ・ナチとか異端の歴史家扱い。ユダヤ人学者のデボラ・リプシュタット(Debora Lipstadt)から目の敵にされたアーヴィングは、「ホロコースト否定論者」との因縁をつけられ、訴訟沙汰に巻き込まれて多額の罰金を科せられた。こうした迫害を受けたアーヴィングは、憐れなことに破産状態へと陥った。こんな惨劇を見れば、普通の知識人はビビってしまうだろう。だから、ちょっと賢い歐米人は、どんなにユダヤ人が事実をねじ曲げ、勝手な歴史観をバラ撒こうが、絶対に反論しようとは思わない。日本人は自由な言論空間にいると思っているが、それは鉄壁の枠組みが透明で目に見えないからだ。しかし、勇気を持って主流の枠組みから逸脱し、「陰謀論」と馬鹿にされる世界に立ってみれば、別の景色が見えてくるかも知れないぞ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68866346.html

11. 中川隆[-16681] koaQ7Jey 2021年8月31日 15:31:04 : egUkgZKmks : NWNjU1d1TmVGRVE=[4] 報告
ドイツ軍がソ連侵攻に失敗する迄は西側の国々はドイツと戦おうとしなかった


 1939年9月にイギリスとフランスはドイツに対して宣戦布告、41年6月にドイツはソ連に対する奇襲攻撃を始める。「バルバロッサ作戦」だが、この作戦でドイツはソ連攻撃に310万人を投入、西側には約90万人だけを残した。西側からの攻撃を考慮しない非常識な作戦はアドルフ・ヒトラーの命令で実行されたという。実際、西側の国々はドイツ軍と戦わない。事実上、レジスタンスだけが戦っていた。その主力はコミュニストだ。1940年9月から41年5月までドイツ軍はイギリスを空爆しているが、これはバルバロッサ作戦の準備を隠すための陽動作戦だろう。

 当初、イギリスのウィンストン・チャーチル政権やウォール街のアレン・ダレスたちはドイツが圧勝すると予測、静観していた。ドイツ軍は1941年7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達。ドイツだけでなく、イギリスもモスクワの陥落は近いと考えていたという。

 しかし、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入するものの、ここでもソ連軍に敗北、1943年1月に降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的で、日本の負けは決まった。

 この敗北に慌てたイギリスはアメリカとその年の5月に協議、両国軍は1943年7月にシチリア島へ上陸している。シチリア島でもコミュニストが住民に支持されていたため、アメリカ軍はコミュニスト対策として犯罪組織と手を組んだ。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月のことだ。

 1943年の後半にアメリカとイギリスの情報機関はレジスタンス対策のため、特殊部隊を組織した。「ジェドバラ」だ。フランスでの作戦が一段落すると、隊員の多くは東南アジアへ移動して日本軍と戦う。

 大戦が終了するとジェドバラは解体されるが、人脈は消えない。一部は軍の特殊部隊になり、一部は極秘の破壊工作部隊OPCになる。この極秘機関は1950年10月にCIAへ吸収され、翌年1月にはアレン・ダレス副長官としてCIAへ乗り込んできた。このOPC人脈が中心になり、破壊工作を担当する計画局が設置された。1970年代に計画局の存在が議会の調査で明らかにされると、名称を作戦局へ変更、2005年10月にはNCS(国家秘密局)になり、15年3月には再び作戦局へ名称を変更する。

 大戦後、要米諸国は植民地の再支配を目論み、アメリカやイギリスは中国をコミュニストの手から取り戻し、ソ連を殲滅する作戦を始動させる。フランスはベトナムで戦争を始めた。

 しかし、ベトナムでフランス軍は1954年5月にディエンビエンフーで敗北、その直前の54年1月にジョン・フォスター・ダレス国務長官はNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、それを受けてアレン・ダレスが率いるCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。この段階でアメリカの「ベトナム戦争」は始まっている。この軍事介入を終わらせようとしたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。

 CIAは特殊部隊と手を組み、1964年2月から北ベトナムに対する破壊工作をスタートさせる。そして同年8月にトンキン湾事件を引き起こして本格的な軍事介入を開始、67年から住民を皆殺しにする「フェニックス・プログラム」を始動させた。抵抗の基盤になる共同体の破壊が目的だったとも言われている。

 1968年3月に南ベトナムのカンガイ省ソンミ村のミライ集落とミケ集落で、ウィリアム・カリー大尉が率いる小隊が住民を虐殺した。アメリカ軍によると犠牲者の数はミライ地区だけで347名、ベトナム側の主張ではミライ地区とミケ地区を合わせて504名だという。この虐殺はフェニックス・プログラムの一環だった。

 カリー大尉の小隊は第23歩兵師団に所属していたが、この師団に後の国務長官もいた。コリン・パウエルだ。1968年7月に少佐としてベトナム入りしているが、2004年5月にCNNのラリー・キング・ライブに出演した際、その師団がソンミ村で住民を虐殺したことを認め、自分も現場へ入ったと語っている。パウエルは「上官が聞きたくない情報」をもみ消すことが役目だったという。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108310000/  

12. 中川隆[-16297] koaQ7Jey 2021年9月18日 05:11:04 : vi9djNQA5Q : UlUvY3JyYkpuUW8=[4] 報告
左翼が本当の意味での「格差の是正」「貧困の解消」を目指していない理由とは? │ ダークネス:鈴木傾城
https://bllackz.com/?p=10009


The Beatles - Revolution




13. 中川隆[-16212] koaQ7Jey 2021年9月24日 08:54:08 : 1H0S8K0ZRI : ODR2ai5DRXRaUGM=[12] 報告
09-24 最近話題の「共同富裕」がぜんぜんダメな理由
2021/09/24


14. 中川隆[-15909] koaQ7Jey 2021年10月22日 12:17:23 : mg1TZcTUuA : Lk8zOWw4NDR0YTI=[5] 報告
共産党は経済成長を喜ばない

10-22 中国経済はファンダ分析では理解不能
2021/10/22


15. 2022年2月24日 17:47:11 : fCdzHcj1RA : eHVuQXh4bXYxNUE=[10] 報告
アメリカの政治はいつも矛盾に満ちており、合衆国政府が好戦的なのに、一般国民は厭戦気分になっていたりする。モンロー・ドクトリンの時代から、アメリカ人は遠く離れた外国での戦争には消極的だ。そもそも、一般人はウクライナが何処にあるのかさえ判らない。地図を広げて「北朝鮮の位置は?」と訊いても、アフリカ大陸やオーストラリアを模索している人がほとんど。初めての海外旅行がアフガニスタンという兵卒も少なくない。この程度だから、マスコミがいくら「ロシアの侵掠は赦せない !!」と叫んでも、軍人の息子を持つ親は冷淡で、米軍の派遣に賛成する人はごく僅か。

  ちょっと賢いアメリカ人でも、対外遠征となれば懐疑的で、「どうせ、多国籍企業の連中がエネルギー利権を狙っているんじゃないか?」と呟いてしまうのだ。労働者階級はもっと呑気で、アメフトやバスケットボールの試合の方に関心がある。彼らが口にするのは「スタジアムでマスク着用なんて嫌だなぁ〜」といった愚痴ばかり。教養を身につける大学生だって「ワシントン・ポスト」紙や「ニューズウィーク」誌には飽き飽きで、お金を出して読むのはブリトニー・スピアーズの自伝くらいだ。

アメリカで歓迎されたトロツキー

Romanov family 2133

( 上写真 / 虐殺されたロマノフ一家)

  昔から、アメリカの支配層は一般国民と違った思考や欲望を持っている。例えば、ユダヤ人が主導するボルシェビキ革命がロシアで起こると、まともなアメリカ人や西歐人は嫌悪感しか抱かなかった。とりわけヨーロッパ貴族の恐怖感や反撥心は激しく、英国のジョージ5世は従兄弟のニッキー(皇帝ニコライ2世)が家族もろとも皆殺しにされたから大変なショックを受けていた。ボルシェビキのゴロツキによるロマノフ家の惨殺事件は吐き気がするほど酷かった。

  令和の高校生や大学生は学生運動すら知らない世代なので、「ロシア革命ってどんな事件?」と尋ねてしまう。そこで、ちょっとだけ事件について述べてみたい。ユダヤ人のチェキスト(保安・秘密警察Chekaの要員)であるヤコフ・ユロフスキー(Yakov Yurovsky)は、処刑部隊を率いて皇帝一家を抹殺する任務を帯びていた。彼らは地下室に皇帝とアレクサンドラ妃、そして五人の子供達(オルガ、タティアナ、マリア、アナスタシア、アレクセイ)、さらに皇族の従者も一緒に連れ込み、ブローニングやモーゼル銃で撃ちまくった。大半の者は即死だったが、宝石を身につけていた皇女は、それが防弾となり奇蹟的に絶命していなかった。しかし、兇暴な兵卒どもはまだ息をしている皇女に気づき、最後のトドメを加えるべく、拳銃で彼女の顔面を何度も殴りつけたという。地下室での殺戮行為が終わると、ユロフスキー達は遺体をフィアットのトラックに積んで、コプティヤッキ(Koptyaki)の森に向かったそうだ。

Yakov Mikhailovich Yurovsky 1918(左 / ヤコフ・ユロフスキー )
  森の中にある廃坑に到着した処刑人達は、遺体から衣服を剥ぎ取って丸裸にし、穴を塞ぐために手榴弾を投げ込んで壁を壊したという。いかにもロシア人らしい手口だが、この連中は「ひと仕事」を終えて安心したのか、いつものように酒場に向かった。ウォッカが入ればベロベロに酔っ払ってしまうのがロシア人。そのうち彼らは陽気になってしまい、虐殺の一件を酒場の客に話してしまった。これを知ったボルシェビキの上司は激怒したそうだ。翌日、ユロフスキー達は遺体を埋めた場所に戻って遺体を掘り起こし、別の場所に埋め直すことにしたという。

  だが、皇帝派の敵軍が遺体を見つけたらマズいと懼れたので、ユロフスキー達は皇族の遺体をトラックから降ろし、斧で切り刻んでバラバラにしたそうだ。こんな陵辱は考えただけでも身の毛がよだつ。だが、処刑人達はもっと残酷で、遺体の識別がつかぬよう硫酸を振りかけ、その上に灯油をぶっかけて遺体を丸焼きにした。もう、こんなのはマフィアの死体処理と同じで、赤い血が流れる人間のすることではない。

Jacob Schiff 111JP Morgan 8821Felix_Moritz_Warburg 01Solomon Guggenheim 1

( 左 : ヤコブ・シフ / J.P. モルガン / フェリクス・ウォーバーグ / 右 : ソロモン・グッゲンハイム)

  日本の学校は日教組のアカ教師に支配されていたから、共産主義者が如何に残酷で、唾棄すべき下郎であるかを隠し続けていた。また、ボルシェビキの幹部がほぼユダヤ人で、ウォール街の大富豪から資金援助を受けていたことも教えず黙っていた。今では明らかとなっているが、あのヤコブ・シフやウォーバーグ、ロックフェラー、グッゲンハイム、J.P.モルガンなど、錚々たる大富豪がボルシェビキ革命を支援していたのだ。この裏事情に関しては、アンソニー・サットン(Anthony Sutton)教授が『Wall Street and the Bolshevik Revolution』の中で具体的に述べていた。(ここでは詳しく触れないが、サットン教授の著書は他にもあって、前世紀の1970年代に出版された。ところが、講談社や文藝春秋社、白水社、新潮社といった大手の出版社は翻訳に乗り出さず、大学の授業でも全く取り上げられない"珍本"となっていた。これは左翼学者が意図的に排除していることも理由の一つだが、一般的には「陰謀論」のオタク本に分類されているせいだろう。でも、彼の三部作が翻訳されたら、結構評判になって、重版になるかも知れないぞ。)

  ロシア革命の歴史を述べると長くなるから、ちょっとだけボルシェビキのエピソードを紹介したい。歐米諸国と同じく、日本にも雲霞の如くマルキスト学者とか共産党シンパが存在する。一部の共産主義者は狡賢く、粗野で暴力的なヨシフ・スターリンは嫌いだけど、理論的なウラジミール・レーニンやレオン・トロツキー(Leon Trotsky)は大好きという知識人は結構多い。トロツキー・ファンというのは本当に凄くて、『機動戦士ガンダム』のキャラクター・デザインを担当した安彦良和(やすひこ・よしかず)先生も若い日頃はトロツキストであった。筆者も購入したが、安彦先生は『虹色のトロツキー』という漫画まで描いている。温和なイラストレーターにしか見えない安彦先生でも、若い頃はヤンチャで、青森県の弘前大学に入ると、ベトナム戦争の反対運動を始め、共産主義にも染まって全共闘のリーダー的存在となったらしい。しかし、学生運動のせいで逮捕され、大学側から除籍処分を受けてしまう。その後、『宇宙戦艦ヤマト』の制作に参加するが、プロデューサーの西崎義展との逸話も、これまた凄い。(言及すると長くなるので別の機会に述べたい。)

Leon Trotsky 1924(左 / レオン・トロツキー )
  脱線したので話を戻す。令和の大学生にとって、共産主義は「遠い昔の出来事」になっているから、トロツキーがニュー・ヨークに住んでいたことすら知らない学生が意外と多い。この「トロツキー」と名乗るユダヤ人マルキスト、「レフ・ダヴィドヴッチ・ブロンシュタイン(Lev Davidovich Bronstein)」は、米国へ渡る前、スペインの警察に逮捕されて数日間拘束されてしまった。(ただし、トロツキーは23歳まで「Leiba」という名前で、周囲の者からは「Lyova」と呼ばれていたそうだ。「レオン」を意味する「Lev」は、大人になってからのファースト・ネームである。) しかし、彼を助けようとする協力者がいたので、牢屋から解放され、カディスを通ってバルセロナへ向かったそうである。逃亡者のトロツキー達は、バルセロナから船に乗って米国へ向かうことができた。(トロツキーの米国訪問に関しては、「Richard B. Spence, Wall Street and the Russian Revolution 1905 - 1925, Walterville : Trine Day, 2017」を参照するとよい。)

Marques de Camillas Claudio Lopez Bru(左 / コミラス侯爵のクラウディオ・ロペス )
  ビックリするのは、トロツキーと妻子が「モンセラート(SS Montserrat)」に乗船した時である。普通の日本人なら「えっ !」と驚いてしまうが、彼らは一等客室に泊まることができたのだ。というのも、スペインにはトロツキーを支援する貴族が居て、それが第二代コミラス侯爵(Marques de Comillas)のクラウディオ・ロペス(Claudio López y Brú)であった。フランスから追い出されてスペインへ向かい、逮捕拘束を経てカディスに逃れたトロツキーは貧乏難民。彼が持っていた所持金は、たったの40フランだったという。(トロツキーはMoisei Uritskyへの手紙の中で懐具合を述べていた。)

  それなのに、トロツキーの家族は高額なファースト・クラスのチケットを手にすることができた。なぜか? それは共産主義に共鳴する侯爵が手を回して、尊敬するトロツキーに配慮したからだ。まぁ、「モンセラート」号がコミラス侯爵の所有する船会社であったから当然だ。左翼の重鎮というのは、みんなの前で貧乏人の見方をし、強欲な資本家を糾弾するくせに、その私生活は豪華なんだから、カール・マルクスや不破哲三に魅了される奴は頭がおかしい。

  1917年1月13日、トロツキーの家族はアメリカ合衆国のNYに到着した。米国にも社会主義の共鳴者が少なくなかったから、彼の来訪は歓迎され、ユダヤ人のファンも駆けつけていた。例えば、アーサー・コンコース(Arthur Concors)は、トロツキーの通訳を務めていたという。このコンコースは同胞の移民を手助けする「Hebrew Sheltering and Immigration Aid Society」に属していた。そして、NYに上陸したトロツキー家は、ユダヤ人の銀行家であるヘンリー・ザロ(Henry Zaro)達にも温かく迎えられ、高級ホテルの「アスター」に泊まることができた。

  一応、大黒柱のトロツキーは現地のロシア系雑誌である『Novy mir』に記事を書くジャーナリストになった。社会主義者が発行する雑誌だから仕方ないけど、トロツキーは週給20ドルをもらう客人となっていたそうだ。しかも、彼には太っ腹のパトロンがいたから貧乏生活とは程遠かった。例えば、ドイツの諜報組織と繋がっていたジョージ・ラファロヴィッチ(George Raffalovitch)は、スパイに資金を流す主計係で、トロツキーにも支援をしていた節がある。また、有名なアレクサンドル・パルヴァス(Alexander L. Parvus)もNYでトロツキーを色々と助けていたらしい。

Alexander Parvus 2George Raffalovich 1Armand Hammer 932


(左 : アレクサンドル・パルヴァス / 中央 : ジョージ・ラファロヴィッチ / 右 : アーマンド・ハマー)

  そして、NYでの生活を過ごすトロツキーには、頼もしい右腕となるユリウス・ハマー(JUlius Hammer)とグリゴリー・チャドノフスキー(Grigorii Chudnovsky)がいた。チャドノフスキーは『Novy mir』の編集者で、パルヴァスのアシスタントであった。一方、ユリウス・ハマーは「オキシデンタル石油」の会長を務めていたアーマンド・ハマー(Armand Hammer)の父親で、ウクライナのオデッサに生まれ育ったが、アメリカへ渡って医者になったユダヤ人。NYのブロンクスで医者をしていたが、米国共産党(CPUSA)の創設メンバーでもあった。息子のアーマンドが医師の資格を持ち、医療福祉に携わる「ドクター・ハマー」と呼ばれていたのは、たぶん父親の影響だろう。でも、親爺のユリウスが得意としていたのは堕胎手術だった。

  トロツキーが家族と暮らすNYでの生活というのは非常に快適で、ロシア人の医者にして社会主義者でもあったミカエル・ミハロフスキー(Michael Mikhalovsky)は、尊敬するトロツキーに自動車と運転手を与えていた。この親切に甘えたのか、トロツキーの妻子がお出かけの時は、運転手附きのリムジンで移動したらしい。(Don Kane, Spies, Espionage and Explosions : A Tale of the North American German Invasion, Victoria : Friesen Press, 2018, p.335.) さらに目を引くのは、彼らが住んでいたブロンクスのアパートメントだ。この部屋には何と、冷蔵庫やガス・コンロ、電話までが設置されていたというから驚く。今でこそ、冷蔵庫や電話なんて珍しくないけど、第二次世界大戦前の1910年代、普通の貸家(長屋の部屋)に高価な家電製品は無い。こうした「心遣い」はトロツキー家に対する配慮からてきている。彼らがパリやウィーンに居た時、電話が無くて友人と話が出来なかったというので、ニューヨークのパトロンは、気を利かせて電話を設置したそうだ。「すご〜い !」というか、ホント羨ましい。

Lev Sedov 1Sergei Sedov 111(左 : レフ / 右 : セルゲイ )
  ところが、トロツキーの息子であるレフ(Lev Sedov)とセルゲイ(Sergei Sedov)は困惑したそうだ。なぜなら、彼らは共産主義の教育を受けており、「人間に上下の区別無し」という平等思想を植え付けられていたからだ。弟のセルゲイは、労働者の味方であるはずの両親が、敵対する"中流階級のライフスタイル"を享受していたから、少なからず戸惑ったそうである。(Robert Service, Trotsky : A Biography, London : Macmillan, 2009, p.156.) まぁ、トロツキーは月額18ドルの家賃を払い、200ドルのお金で家具を買い揃えていたんだから、セルゲイが父親に疑問を呈しても不思議じゃない。

  ちなみに、兄のレフと弟のセルゲイが「セドヴ(Sedov)」を名乗っていたのは、後妻の息子であったからだ。トロツキーが最初に結婚したのは、アレクサンドラ・ソコロフスカヤ(Aleksandra Sokolovskaya)で、二人の間にはザナイダ(Zanaida Volkova)とニーナ(Nina Nevelson)という娘が生まれている。1902年に離婚したトロツキーは、翌年、二番目の妻になるナタリア・セドヴァ(Natalia Ivanovna Sedova)と結婚し、レフとセルゲイをもうけた。

ソ連の承認をせかした大統領

  こうしたエピソードを頭に入れてから、フランクリン・デラノ・ローズヴェルト(FDR)大統領を調べると、アメリカ史の裏側が段々と解ってくる。日本の学校で習う「ロシア革命」というのは、実質的に「ユダヤ人革命」と呼んでもいいくらいの政府転覆事件で、まともな西歐系キリスト教徒なら戦慄を覚えるクーデタでしかない。キリスト教が主流で、自由と私財を尊ぶアメリカ人なら、共産主義に魅了されることはなく、大反対するのが普通だ。それなのに、名門のローズヴェルト家とデラノ家の親を持つフランクリンは、上流階級が嫌うボルシェビキ革命に笑顔を見せていた。しかし当時のアメリカでは、赤色革命で誕生したソ連を"承認"するなんて言語道断。むしろ、叩き潰そうと考えるのが常識だった。

  カタギのアメリカ人とは違って、米国のユダヤ人は同胞の過激派が達成した「革命」に大喜び。「ポグロム」を繰り返すロシア人なんて皆殺しにされればいい、と思っていたくらいだ。ロシア人の反ユダヤ主義は筋金入りだったから、アメリカに移り住んでも恨みを忘れないユダヤ人は多かった。例えば、オハイオ州のシンシナティーに住むラビのデイヴィッド・フィリップソン(David Philipson)は、「自由は救世主である。メシアの時代がロシアに住む同胞のもとに訪れた !」と喜んでいた。('Sees Zionism's End in Russian Revolt', The New York Times, April 5, 1917.) 現在のブリテンやフランスでも、未だにレーニン崇拝者やトロツキストがごまんと居るんだから、正常な日本人だと目眩がする。

  一方、ユダヤ教徒が嫌うカトリック教会は、無神論の共産主義など受け容れることはできない。イエズス会士のエドマンド・ウォルシュ(Edmund Walsh, S.J.)神父は、強烈な反共主義者の代表格で、ボルシェビキのソ連をコテンパンに批判していた。曰わく、「地上において最も残酷で、反キリスト教的、反アメリカ的勢力である」と。(Patrick McNamara, A Catholic Cold War : Edmund A. Walsh, S.J., and the Politics of American Anticommunism, New York : Fordam University Press, 2005, p.76.) 左巻きになった現在のカトリック教会を目にすると、「えぇぇ〜、嘘でしょう」とにわかには信じられないが、昔のローマ教会は結構まともだった。(今では教皇フランシスのもとで真っ赤に染まり、南米移民を支援する反米の「ヒスパニック教会」になってしまったが。)

FDR 2222Edmund Walsh 01Hamilton Fish 111


( 左 : フランクリン・デラノ・ローズヴェルト / 中央 : エドマンド・ウォルシュ神父 / 右 : ハミルトン・フィッシュ )

  大半のアメリカ国民は共産主義政府の承認には否定的だったが、大統領になったFDRは世論の批判を無視。彼は1933年にソ連を承認することにした。反共の下院議員で、FRDの友人だったハミルトン・フィッシュ(Hamilton Fish)も大反対で、経済関係においてもソ連は信用できないと憤っていた。しかし、大統領の権力には逆らえず、掌を返す者も現れてきた。例えば、国務長官のコーデル・ハル(Cordell Hull)は当初、ソ連の承認を反対していたけど、親分のFDRに寝返った。農務長官のヘンリー・ウォレス(Henry Wallace)や郵政長官のジェイムズ・ファーレイ(James Farley)も裏切者となってしまった。(Richard Gribble, 'United States Recognition of Soviet Russia : 1917 - 1933 - Church and State Responses', American Catholic Studies, Vol. 119, No. 4, 2008, p.36.)

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68889296.html

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史5掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
最新投稿・コメント全文リスト  コメント投稿はメルマガで即時配信  スレ建て依頼スレ

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史5掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
近代史5掲示板  
次へ