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(回答先: 共産主義の歴史 投稿者 中川隆 日時 2021 年 4 月 15 日 21:58:43)
あらゆる革命は軍の寝返りで起きる
2022年03月09日
プーチン失脚の条件は軍と警察の造反
フランス革命の原因は市民蜂起ではなく、バスティーユの警備兵が市民側に寝返ったから
革命が成功するにはこうした軍の寝返りが必要
画像引用:http://www.worldfolksong.com/national-anthem/topics/french-revolution.html フランス革命とフランス国歌
プーチン失脚の条件
ロシア軍やロシア国内では色々な事が起きていますが、その中で特に注目したのは前線兵士が飢えているという情報でした。
ロシア軍は兵士が個人用スマホを持っているらしく、ある兵士がユーチューブに動画を投稿した。
その小部隊は食べ物も物資も寝場所もなく、夜は地面に寝転がるだけで、もう3日間何も食べていないと語っていた。
またロシア軍の車列が60キロ以上に伸びて停滞していて、車両のタイヤが外れた写真などがSNSに投稿されている。
ロシア軍は一般用無線やスマホで連絡を取るらしく、上官が砲兵に村への攻撃を命じたが、砲兵が「それはおかしい」と拒否する音声がスクープされていた。
これらを総合するとロシア軍がかなり困窮していて、末端の兵士は食べ物や寝る場所もなく放置され、輸送に問題が生じている。
橋を爆破されたり側面からの攻撃が輸送渋滞を作り出していて、20万人のロシア軍は困難な状況に陥りつつある。
国際社会ではプーチンへの批判が高まっていて、プーチン失脚を願う声も強まっている。
この手の独裁者が失脚するパターンはいつも同じで、市民のデモに軍が加担した時でした。
1789年7月14日にパリのバスティーユ牢獄を市民が襲い、ここからフランス革命が始まりました。
バスティーユ牢獄には武器が保管してあったので軍や警察が護衛していたが、彼らが見て見ぬふりをしたので革命が起こった。
もし軍と警察が市民デモを普通に取り締まっていたら、今もフランス王家は存在していたでしょう。
あらゆる革命は軍の寝返りで起きる
1917年2月23日、ペトログラードで国際婦人デーのデモがあり、ニコライ二世は鎮圧を命じた。
だが兵士らは次々に市民側に寝がえり鎮圧に失敗、ここから全土に革命が飛び火してロシア革命が起きた。
1917年3月15日、自身が任命した軍司令官のほとんどが造反し、ニコライ二世は退位して家族と共に捕らえられた。
2つの政府の共通点は当時として「民主的」だった事で、ルイ16世もニコライ二世も民主主義に賛同し市民運動を奨励した。
市民議会の権利を積極的に拡大したりしたので、市民らはより大きな権力を要求し王政打倒を目標にするようになった。
両国とも戦争や軍備拡大で国内が疲弊し、国民や兵士は飢えていたが有効な対策を打ち出せなかった。
だがそんな国は古来から五万とあり、多くの国では困窮する国民をさらに弾圧して不満を鎮圧している。
最後のとどめになったのは軍の造反、クーデターで、両革命とも軍幹部や司令官の多くが市民側についた。
1990年ごろのベルリンの壁崩壊やソ連崩壊も、詳しく見ると軍や警察が寝返らなければ崩壊しなかった。
東ベルリンでは壁を越えようとした群衆を警官が見逃した事で国境が崩壊し、軍も鎮圧しようとしなかった。
ソ連崩壊では市民と戦車部隊がにらみ合いになり、結局軍は市民側についてソ連を崩壊させた。
こんな風に革命を起こしたのは軍と警察の寝返りで、市民は決定的な役割を果たしていない。
もしベルリンの壁の警備兵が市民を止めていたら今も東ドイツが存在し、バスティーユの警備兵が市民を止めていたら今もフランスは王政だったでしょう。
という訳でプーチンが失脚するか、再び「ロシア革命」が起きるのかは、飢えたロシア軍とモスクワ警察にかかっている。
https://www.thutmosev.com/archives/87911005.html
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