http://www.asyura2.com/12/china3/msg/161.html
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(回答先: <中国の時代><米機の乗客は中国人><観光客はアメリカへ><親中派の台頭> 本澤二郎の「日本の風景」 投稿者 五月晴郎 日時 2012 年 5 月 27 日 09:06:00)
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/51982671.html
<96回目の中国訪問>
継続する、繰り返すことは、信念の発露ともなる。中国観光に情熱をかける中国人が「100回来てほしい」という。彼は半分、冗談だったろう。「実現出来るわけがない」との思いが込められていたはずである。だが、目標が見えてきた。あと4回だ。出来るかもしれない。しかし、誰もわからない。本人の健康もそうだが、日本経済の不安定さも関係するからである。泉下の宇都宮徳馬さんは、きっと「よく頑張ったね」とねぎらいの言葉をかけてくれるに違いない。「日中友好はアジアの平和・安定の基礎」という72年当時の日中双方の政府・議会・世論の信念は、これからも永久に変わることが無い。日本人は機会があれば、中国を訪問して民間交流をしたらいい。
<深夜の勉強会>
たくさんの中国人を乗せた米機・デルタ航空617便は、深夜の北京首都国際空港に着陸した。2012年5月20日、日曜日である。国交正常化した72年から数えて40年の節目の年を迎えていた。北京訪問は確か7カ月ぶりになろうか。
今回、天津の東北アジア研究所からの呼び掛けに応じての訪中実現となった。実に、久しぶりに蘇君が連絡してきたので、暇な日本人は小躍りして応じた。空港に出迎えてくれた若い日本研究者も大分、実力を備えてきていた。
学生時代は水泳の選手だったともいう彼は、長身の山東人である。まともな学生時代など無縁な筆者は、従ってまともな運動をしていない。健康管理の観念が薄い。その点で、蘇君は今も運動を心がけている研究者のようで、将来が楽しみだ。
ホテルに着くと、多忙な彼はノートとボールペンを取り出した。二人して小沢問題を論じた。彼は小沢の今後、政治力などに興味を示した。小沢を軸に動く日本政局についてだ。
事態は不透明だ。小沢退治の米CIAと連携する読売などの日本マスコミの執拗な攻撃にさらされている。背後を霞が関と財閥が固めている。ここから逃れる道は、小沢といえども容易なことではない。
筆者の勘だと、マスコミを牛耳るナベツネ―CIAラインが見えるだけに、小沢の戦いはきつい。それでも、100人前後の小沢派が存在している。隠れた小沢派が他に100人もいるであろう。総選挙が近くなると、仲間が増える。
「ともかく、小沢は凄まじい政治弾圧の中を生き抜いている。松下財閥の傀儡政権と自民党と公明党からも敵視されている。その中を生き抜いてきている。これは称賛に値する。ここをしっかりと認識する必要があるのではないだろうか」との持論を披歴した。
なんと時計の針は、日本時間だと5月21日午前3時を指そうとしていた。だいたい高齢化すると、朝の目覚めは早くなる。それでいて午前様というと、さすがに疲れた。こんな経験は無論、初めてのことである。彼の多忙ぶりを物語っていた。
<休日の成田空港>
東京から成田までは、いつも快速電車を利用する。経済的だからである。最近はよく電車事故が多い。人生をはかなんでの飛び込みが日常茶飯事である。病んだ日本社会を象徴している。90年にパンクした中曽根バブル以降、急激に増えてきている。
最近は3万人の大台に乗ったままだ。正確にデータを取れば、警察発表をはるかに上回るだろう。倒産会社の経営者から、最近はきつい過重労働による追い詰められた労働者の自殺も絶えない。若者の自殺は一段と悲しい。
いつもより1時間も余裕を見て家を出た。快速千葉行きのため、30分ほど千葉駅で待たされた。昔、千葉支局長時代を振り返りながら、改装中の駅ビルを眺めた。駅前の上空を鉄骨がそびえたっている。これを見た途端に心がわびしくなる。
鉄骨を多く使用したぶら下がり型のモノレールである。地元・川崎製鉄の利権を裏付ける代物で、およそ美観など排除したものである。その罰が当たったものか、川鉄は姿を消している。さんざん千葉市民に煤煙公害をまき散らし、その上鉄骨モノレールまで作り、利益を独占したというのに、時代に乗り遅れてしまったのであろう。
早すぎた成田到着によってか、デルタ航空の搭乗手続きは難なく済んだ。第1ターミナルビルを少しばかり見学する余裕も出来た。以前に比べて店舗も広く改善されていた。出国手続きに長い行列が出来た。
行列の主役はおばさんたちだ。有閑マダムとも称される面々か。よくおしゃべりをしている。どこそこではああだった、こうだったと世界旅行話に余念がない。見方によっては、一番幸せな人たちなのだろうか、それとも目標を失った人生の漂流者なのか。
勉強無縁のたった一人の孫の楓君が携帯を手に入れたというので、電話すると、どこかの温泉風呂にいるところだった。人生いろいろ、がつがつ勉強させても始まらない。筆者が経験したことのない、好きなように生きる人生もいいのかもしれない。
デルタ航空北京行きのB767機の乗客の大半は中国人だった。それこそ、はち切れそうな巨大な荷物を持ち込んで荷物棚に押し込むのだが、その凄まじい体力にも圧倒されてしまった。中国の時代の到来を告げていた。
<中日関係史学会を訪問>
せっかくの北京訪問である。何人かの友人に会っておきたい。そう思うと、真っ先に思い出すのが、徐啓新秘書長のいる中日関係史学会である。ここには日本研究のベテランがほとんどメンバーになっている。
東京駐在経験者の新聞記者・外交官が構成員である。とはいっても、5月21日は月曜日だ。突然の訪問者に時間を割いてくれるお人よしなど多くはない。日本では金環日食で大騒ぎしている新聞テレビだが、ここ北京では無縁のようで、普段の月曜日であった。それに北京は朝から曇り空だった。
午後1時40分過ぎに新華社の記者をしていた二人の張さんが、ホテルまで迎えに来てくれた。というのも、北京市社会科学院内にある学会の交通はわかりにくい。地下鉄も不便だ。土地勘のない筆者のために、わざわざ超ベテランの元ジャーナリストを、車で迎えに差し向けてくれた。
<平和統一秘話をスピーチ>
80年代半ばに筆者は2度台湾を訪問した。目的は台湾当局に大陸との平和統一を働きかけるものだった。このことについて、その背景を中日関係史学会で講演した。
それは周恩来の腹心・リョウ承志に依頼された、当時中曽根派議員の鍵田忠三郎(元奈良市長)が筆者に協力を求めてきたからである。そこで台湾に太いパイプを有する岩動(いするぎ)道行参院議員(元科技庁長官)を説得し、彼の紹介状を持参して、当時国民党NO2の馬樹礼秘書長ら要人と相次いで会見した。岩動さんは中田秘書を案内役に付けてくれた。
今回、北京で陸国忠さんを電話でつかまえた。79歳の陸さんは元外交官として台湾問題に取り組んできた第1人者である。北京大学では唐家旋元外交部長、徐敦信元駐日大使らと同期生だ。
「80年代半ばで台湾の要人に直接、平和統一を呼びかけた人物はいなかった」との証言を得た。ということは、筆者が台湾要人に直に平和統一を呼びかけた最初の日本人ということになる。
岩動さんのお陰である。当時の台湾は、まだ大陸反攻のスローガンを掲げていた。戒厳令下の台湾だった。蒋介石亡きあと、息子の蒋経国が総統になっていた。馬樹礼が実質のNO1といってよかった。彼に武力統一の考えのない北京の立場を、切々と訴えた。彼は納得したわけではなかったが、信頼する岩動の代理人役のような筆者が、平和統一を働きかけたことに内心、衝撃を受けたはずである。
岩動さんと筆者の関係は、彼が何かと頼ってくるものだからアドバイス、他方、元大蔵官僚・元吉田茂秘書官・吉田御三家の林譲治の娘婿という人脈・情報をもらうことができた、いわば持ちつ持たれつの関係だった。この当時の台湾派議員の多くは、台湾に出かけると、さまざまなサービスを受けていた。選挙が近くなると、金欲しさの訪台議員が大半だった。平和統一を呼びかけようものなら「来るな」と言われかねない雰囲気だった。
今日の大陸と台湾は、正に平和統一に向かって動いている。
<重慶事件と日本企業>
政治局常務委員入りが確実視されていた重慶市のトップの失脚について、筆者は格別の興味と関心を抱いている。といのは、ハクキライの最初のステップが大連市、ついで政府の商務部だったということ、しかも毛並みのいい太子党という事情から、内外の巨大企業が彼との接近を図ったであろうことだ。
日米欧の1%がいち早く手を染めていた、その中に日本財閥も含まれているという点である。最近の大連市を知らないが、同市と日本企業の関係は深い。根ッ子は太い。
その後に政府の大臣を歴任している。日本の経済産業大臣のようなポストである。利権に目ざとい財閥・1%は中国進出に、太子党の成功者を利用しようと考えるのが普通だ。賄賂はこの人物に集中しよう。
そして重慶へと利権ビジネスは伝染していった。日本の財閥企業も、である。筆者の関心は、賄賂金の保管場所と金額にある。香港やスイスの銀行の秘密口座に限らないだろう。英領・ケイマン諸島の秘密の口座にも。ロムニー資金も、ここに眠っているという。
中国の官憲がここにメスを入れると、1%の手口を公開することが出来るだろう。この世界の1%らの不条理・強欲を明かすことが出来れば、中国のみならず、世界の1%の腐敗を抑制できる。不条理な強欲資本主義を退治できる。そこいらに期待を抱いている。その関係で重慶事件に関心を持っている者だ。
日本の財閥ビジネスの手口も判明する。これは一石二鳥どころか三鳥、四鳥であろう。一人中国人民のためばかりではない。
残念ながら、目下のところ日本企業・財閥の名前は浮上していない。しかし、十分考えられると中国の学者らは答えた。
一般的には「夫人のビジネスと息子の米国留学費稼ぎに問題があった」「暴力団撲滅にからめて、罪のないものまで迫害された」「重慶の街路樹を全てイチョウの木で埋め尽くそうとして、イチョウの値段が法外につりあがった」「これまでは評価が高かったので、市民は失望している」といった他愛のない受け止め方が多かった。
2012年5月27日9時55分記
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