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(回答先: それは「後付の屁理屈」であり、今回は結果論として「瓢箪から駒」のようになっているだけでしょう。 投稿者 考察者K 日時 2009 年 2 月 11 日 12:05:13)
基本が「安いので、もっと高くなるはずだ」という意見に妥当なものがあるということです。高く買ってくれるところがないということは、そのような売却方法が適切でない可能性が少なくないことを意味します。それが、施設や土地を売るのか、事業として売るのかということにも当然つながってきます。後者についてはさまざまな条件が自然に付帯されてくるのは当然のことで、極めていい加減なことが可能となってきます。いい加減なところで簡単に処理してしまうか、もっと別の観点から検討するかは経営判断であり、そのような経営判断について、株主としていちゃもんをつけるのは、株主の代行者自身がそれなりに判断実行することであり、この一連のプロセスがとられることに、国民的な立場から不適当なことはないということです。
国民的な立場では(「安いので、もっと高くなるはずだ」という素朴なところから始まって納得がいくことが大事なので)より透明性の高いものになっていくことが望まれるということです。そんなこと(政治的なパフォーマンスであれ)でもなければ、透明になっていかないからです。