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(回答先: なかなか、考えさせられるご意見です。感謝しておきます。m(__)m 投稿者 考察者K 日時 2009 年 1 月 16 日 09:15:49)
Kさん こんばんは。
おっとこちらも予想外、拍子抜けの反応でしたな。Kさんの事、どう噛み付いてこられようかと、夕飯もおちおち喉を通らぬ始末でしたが、これではどうも今までの非礼を詫びねばならぬ様です。
少なくともこの阿修羅掲示板に集う方々は皆、世を正し、より良い世の中にしようと思っている事に違いないのですが(私はそう思いたい)、一方では実につまらぬ事でいがみ合いになる事も少なくありません。場合によっては、愛と執着を混同してしまっている様な方も見受けられます。その辺の心理を、カラマーゾフ兄弟に出てくるゾシマ長老がうまく表現してくれています。
『私は人類を愛しているのだが、われながら不思議でならぬのは、人類一般を愛すれば愛するほど、個々の人間を、つまりひとりびとりの人をじゃ、愛する度合いが少なくなる。空想のなかでは、私はよく人類への奉仕について情熱的な考えを抱き、もし急にその必要が生じたならば、実際に人類のために十字架を背負うことも辞さないが、いっぽう私は相手が誰であっても、同じ部屋に二日と一緒に暮すことができない。それは経験からよくわかっている。誰か人がそばにいると思うと、その人の個性が私の自尊心を圧迫し、私の自由を束縛する。どんなによくできた人でも、私はたった一昼夜でその人を憎悪するようになる。ある人は食事が長いから、またある人は鼻風邪をひいていて、ひっきりなしに鼻をかむから。私は人が自分に接触するやいなや、すぐさまその人の敵になる。そのかわり毎度のことながら、個々の人間を憎めば憎むほど、人類一般に対する愛はますます激しく燃えあがって来る』
今の世の中、このソジマ長老の様な人間が多いとは思いませんか?
この場合の愛は、理想への執着以外の何者でも無いと、私は思います。