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(回答先: Re: 私たちは正しい方向に進んでいかなければなりません。 投稿者 キルケゴール 日時 2009 年 1 月 18 日 00:55:38)
>キルケゴールさん どうもです。
ちょっと、真意を勘違いしているかもしれませんが、Kの「実情」は無関係です。
キルケゴールさんが、Kの実生活の実情吐露投稿をどこまで読んでいるかは分かりませんので、勘違いであることを考慮した上で【Kさんは既に臨界点に達している様子】という判断の根拠は推定の域を出られませんが、書いておきますが・・・
K自身は【臨界点】を乗り越えました。
Kは「名ばかり管理者の辛酸」を体験しましたが、乗り越え、一段落した段階で、いくつかある選択肢から、最も、常識外れと「世間一般では感じる道」を選択したわけで、安易な道は「局長」の継続だったでしょう。その道がなかったわけではありません。
そういった意味では、臨界点は通り越した上で「未来を考えた」のであり、臨界点に達して「回避した」というのは「見識が違い」ではないかと思えます。
ただし、これは、Kの「推定」を土台とした意見ですから、勘違いかもしれません。
キルケゴールさんの判断が「全く別の視点」から発せられている可能性もあるからです。
それらを、総合的に考慮した上で、さらに書いておきますが
【私は何事も臨界点に達しない限り、事は流れないと思っています。】
【私は自分の尻も拭けないのに、どうして他者の尻をふけようか。まして、日本の尻拭きなぞ、考える由も無し。】
の2つの意見に違和感を感じます。
間違っているというのではありません、これは一つの達観でしょう。
しかし、人間は「考える葦」であり、未来予測が思考で出来る生物です。
また、一緒になって「協力して未来を作り上げる集団性の生物」でもあります。
一緒に未来を築こうとする仲間は「互いに影響し合い成長する」という必要があり
「気付き」を得た者は、それを伝える義務もあるでしょう。
自分の住む地域を「掃除しよう」という気持ちを持たなければ、地域は廃墟になっていくでしょう。
自分だけが生き残って、廃墟にひとりで立ちすくんでも仕方ないわけです。
【個の道を往かば、やがて大海に通ず。】
この点は、考えてもいます。言葉ではなく、不言実行というのも選択肢ですし、ひとりひとりの行動こそが、最終的には大きな流れとなり、結果に達するわけです。
しかし、助けられるかもしれない人がいるのに「声をかけないで通り過ぎる」のもどうなのでしょう?
もっとも、声をかけてもむなしいだけかもしれません、人間なんて、恣意的解釈をする愚かな面も持っていますからね
>【管理人さんへ: 阿修羅で商売をしている輩 異論半論】
http://www.asyura2.com/08/kanri16/msg/588.html
というような、ある一面だけからしか、物事をとらえられない人も多い。
まあ、Kの日頃の行いの招いたことですから、仕方ないのでしょうけどね。
誰かが、嫌われても「啓蒙・道標」の役割を果たそうとしないと、自分の尻に火がついてからあわてても間に合いませんよ。
人間には知恵があるのだから、備えということは考えて「セーフティネット」は張るようにするべきだろうと思っています。
その上で、気付きを得ようとしない人までは、誰にも救うことは出来ないでしょう。