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発想を逆にしてみればいい。 どうして米軍占領へのレジスタンスが現在のイラクやアフガンの様にはならなかったのか? 左翼が運動のヘゲモニーを握り、反体制の主役で在り得たのは何故なのか? というのも、敗戦直後の時点では共産党は壊滅しており、左翼勢力は、事実上、無に近い存在だったからです。 どうして民族なり宗教を前面に押し出す運動が殆ど出て来ず、左翼が抵抗の主役になったのか? −実は、これは単に日本だけの問題ではありません。 西欧然り、中国や朝鮮、ベトナム等、第二次大戦以前は反帝・反植民地主義、民族解放或いは独立を掲げた多くの国において、大戦後の独立の過程で左翼がヘゲモニーを握って行くか、又は反体制運動の主役であったのです。
これらの事はその根底に共通したものが在る事を示し、しかもそれが大戦前後で一変していることから、詰まるところ、それは第二次世界大戦の意味に在ることが分かります。
第二次世界大戦の意味や性格規定に関して、人口に膾炙しているのは「民主主義対ファシズム」という勝者アメリカの言説及び論理ですが、これ程欺瞞に満ちたものも無い。 何故なら、その舌の根も乾かぬ内に、今度はその同じ「民主主義」陣営の仲間を<敵>と見立てる体制を敷く(冷戦)のだから。 冷戦が終わったら、今度は日本に向けて、「異質」故に「封じ込め」という、冷戦宛らの論理を適用したことでも解る様に、これは殆ど”魔女狩り”の論理であり、その事自体彼らが立てた図式や言説の無効を宣しているようなものです。
では、第二次大戦について、どのように観れば良いのか? それは、この戦争の勝者(米・ソ)と敗者(日・独・伊)を、<民族>という角度から眺めて見ると良く見えて来ます。 即ち、敗者の側が、何れも「民族主義」でアイディンティファイされた、民族=国家の特徴を持ってるのに対して、勝者の側は(アメリカは<自由>、ソ連は<平等>を旗印に)何れも民族を超える「普遍主義」によってアイディンティファイされた理念=国家であったということ。 従って、第二次大戦の意味や性格規定について言えば、民族主義対普遍主義で、普遍主義が勝利したーということに他ならない。 何故、戦争の後に「裁判」が出て来るのか?もそれに因るものです。 普遍主義の勝利は、ただの勝ち負けではなく、その「普遍性」=「正しさ」の証明でもなければならないからです。
「第二次大戦は民族主義の敗北」というと、違和感を持つ人が多く居ることでしょう。 これまでの言説は、日本やドイツの特異な民族主義(ウルトラナショナリズム)を強調し、指弾するものが殆どだった所為ですが、私としては、その当否以前に、何故それらの言説が流通し、確定することになったのか?の方が遥かに重要だと考えます。 即ち、「負けたのは特異な民族主義」のその「特異性」のみが不当に拡大、或いは強調され、それが、「勝者」以外にも、国際的に受け入れられ、指示されて行く背景には、強弱は別として、多くの国が民族国家の側面を有しているから、と考えます。 つまりは、負けたのは民族主義ではなく、「敗者」のその特異な部分=悪とすることにおいて、その他の多くの国は「勝者」と共犯関係を結んでいるからだ、と。
そうした国際政治の力学=隠蔽を排して、冷静に実態を眺めれば、日本やドイツの特異な民族主義(ウルトラナショナリズム)それ自体が米ソの「普遍主義」に対抗して出て来た代物、言うなれば極大化した民族主義自体、米ソの普遍主義への対抗であったものに過ぎないことが分かろうというもの。
ともあれ、かくして大戦で「民族主義」の限界が顕わになったとすれば、大戦後勝者となった「普遍主義」に対して、「民族主義」では対抗出来ないという時代判断が出て来るのは必然です。 「民族主義」で対抗する限り、常に守勢に回り、その行く末は「敗者」に重なるとすれば、自らも民族を超えた「普遍主義」の側に置くしかない。 しかも米国の標的になってることを意識する時、特に中国や朝鮮、ベトナム等、その実態から観れば「民族主義」と言って良いこれらの国が、自らを「共産主義陣営」と規定して行くようになって行くのは国際政治の力学の必然なのです。
ここで何故、マルクス主義があれ程巨大な影響力を世界的に持ったのか?も同時に見えて来ます。
マルクス主義とは何か? ここでも又私は、その内実よりも、それがどのように受容され、機能していたのか?の方が決定的に重要と考えます。 マルクス主義をどのように理解していたかではなく、どのような読み方をされていたのか?
私はそれを、西欧を否定する西欧思想だった、という処に求めます。 即ち、<西欧近代>を否定する<西欧近代思想>だった。
より立ち入って言えば、西欧近代を、その<主体>(ブルジョワジー)を否定することによってその<客体化>(奴隷化)を拒否し、同時にその思想を受け入れることにおいて西欧近代を受け入れるーつまり近代化を不可避と受け入れながらも、<主体>を確保するー特に植民地主義の標的となった国々において、このマルクス主義が<近代>と<主体>を同時に可能成らしめる思想として受容されたことは疑いを入れない、と思います。
日本においても又、明治以来の「和魂洋才」が、敗戦で否定された「和魂」に代わり、或いはその隙間を埋めるように受容されたのは間違いの無いところでしょう。
してみると、冷戦の崩壊による対抗思想(マルクス主義)の消滅は、それ以前の我々の姿(民族主義の消滅)をも浮き彫りにしていたはずですが、「従軍慰安婦」「南京虐殺」等、民族主義の負(悪)の部分をより強調する従来の「勝者」=アメリカ支配の言説に回収させて仕舞うことにより、自覚的に対象化することをして来なかった。 もし自覚的であったら、”ゴーマニズム”は、「民族主義」とはついにギャグでしかないことーその不在というより欠如ーその喪失を表現したものであることが分かったでしょう。 しかしながら、逆に言えば、精々ギャグとして処することで、我々は民族主義を葬り去ろうとしているのかも知れません。
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- アホ? 中川隆 2010/7/03 21:42:05
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- Re: だから、どちらがアホ? 影の闇 2010/7/04 00:06:50
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- 必死だね_俺は忙しくてアホの相手してる暇無いんだけど 中川隆 2010/7/04 00:41:50
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- 本当にアホだねえ、悔しかったらまずこれを否定したら 中川隆 2010/7/05 23:50:40
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- アホに広田弘毅が、長州憲法(明治憲法)が元凶と言った意味を教えてやるよ 中川隆 2010/7/07 20:48:55
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