http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/272.html
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(回答先: Re:必死なのはどっち? 投稿者 影の闇 日時 2010 年 7 月 04 日 15:17:33)
あなたの投稿では論証が何一つなされていないんですよね。
ごちゃごちゃ書いているだけで、すべて言いがかりで、何も実証できていない。
(そもそも、考えてみるがいいー天皇は、「共産勢力」が多いの少ないの、現地の情勢がどうしたなど、一体何によって知るのだ? 天皇直属の「情報機関」なんて無いのだぞ!
勿論、テレビやインターネットも無い。(笑) 精々大本営会議等、「御前会議」の際に軍部からもたらされるくらいだろうが、それは、当然、軍部のフィルターがかかったものだ。
現地情勢の細かい部分を知った上で、直々に命令を下すーなんて有り得ない、こんな初歩的なコトさえ踏まえていないのだから、呆れるw)
本当にアホだねえ。
最新の情報は真っ先に昭和天皇の元に届けられるものなんだけどね。
まず、これを否定してみてね:
原書房という東京の小さな出版社が、戦時中の陸軍参謀総長、杉山元〔はじめ〕大将が1940年から44年に書きとめた備忘録〔『杉山メモ』〕を出版した。
これは、日本国家の最高位の軍事将校による歴然たる手書き資料である。杉山は日本が降伏した1945年に自殺しており、彼の記録を装飾する機会はなかった。記録のほとんどは、無味乾燥な軍事的詳細か、さらに単調な軍事用語で満たされていた。
しかし、そのうちのいくつかは、裕仁との会話の言葉どおりの記述である。
それらは、裕仁が、真珠湾攻撃の数ヶ月前、軍事的、経済的計画について、詳細な質問をしていることを記していた。
それは、マッカーサー将軍が語ったという、裕仁が戦後将軍に告白した――1941年にはすべての軍事的、経済的事柄については無知であった――という発言と真っ向から食い違っていた。
最も驚くべきことは、1941年1月、対米戦勃発の11ヶ月前、裕仁が独自に、真珠湾への奇襲攻撃のフィジビリティー調査を命じていることを、『杉山メモ』が記録していることである。
それ以前では、欧米の歴史家は、少なくとも1941年11月までは、裕仁は真珠湾奇襲攻撃計画については何も知らなかった、と信じていた。
1941年当時の侍従長、鈴木貫太郎は、戦後、裕仁は真珠湾攻撃計画については、それが実行されるまでは知らなかった、とはばかることすらなく記している。
『杉山メモ』はまた、裕仁は、真珠湾計画に、彼の公式軍事輔弼がそれを告知される丸六ヶ月前の段階で、参加していたことを明らかにしている。
極東国際軍事法廷の連合軍判事たちに提示され、また、宣誓のもとでの目撃証言や緻密な調査によって検証された証拠は、裕仁を戦争にまで引きずり込んだとされる「軍国主義者」の誰もが、1941年8月まで、真珠湾計画を知らなかったと結論ずけている。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_04_choshakara.htm
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