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(回答先: 分断統治に陥る文化精神の起源について。 Kさん読んでね。 投稿者 松浦 日時 2008 年 6 月 20 日 08:47:35)
>松浦さん どうもです。
>【Kさん読んでね。】
とのことですので、拝読させていただきました。
ただ、長文で、考えさせられる部分もあり、とりあえずのレスとして記しておきますが、アリバイ証明とでも理解して下されば結構です。
>【元来は、この国の権力者には計画的な分断政策を行う能はなかったと見ています。寧ろ、国民の行動と性を見て、これを利用しようとの意図を持ったのだということです。権力による分断を国民自らが誘導さえしているというのが現実だと思います。】
分析的には的を得ていると思います。ただ、元来はそうであっても、今現在は「支配のシステムが確立されています。」
例えば、マスコミ誘導、名ばかり管理職構造、地域分断、職種分断、年齢層などによる分断といった方法論がそれぞれに確立されていると言う意味ですが、確立されてしまったので、逆に「的確に指摘すれば、庶民にも見える」という状況も生まれています。
歴史認識的にはKと松浦さんの間には「多少の差はありますが、大きな認識の違いは無い」ように見受けられます。
ただし結論部は違うようです。
>【Kさん。私もこの掲示板で投稿してきた仲間として貴方にも伝えたいことがあります。人は生活だけを見ても生活を守れないのです。自然から始まってここまで離れてしまった。これを物象性といいます。人類史は全面的にとても重いのです。影の闇さんの言うことは丁寧ではない。それは私とて同じですが、背景の大きさに言葉が短くは出ないのです。私の言葉が貴方にとってどれほどの信頼があるかは量りかねますが、私にツキ物があるなら、どうか教えてくださいね。これは貴方に対する正直なお願いです。】
歴史の流れの中で積み上げられた結果としての現在があり、この支配機構は「簡単には崩せない」のは、当然です。
しかし、歴史の中において「巧妙に隠れていた支配構造の本当の問題点」は支配機構が確立されたことにより「透明度も低下した。」という事で、巧く弱点を突くことが出来れば崩せる可能性が出てきたとKは考えています。
端的に言えば『システムを構築した者に適切なリスクを負わせる制度の確立』を提言できる状況が生まれつつあるということです。
短絡的な思考が「当事者を非難する」という点と「現場にいる者の連帯責任制」というシステム構築者がリスクを負いにくいという「システムを、皆に理解できるように示す」ということで「それは、可能となりつつある」と考えています。
つまりは【人は生活だけを見ても生活を守れないのです。】という結論は早すぎるだろうと言う事です。
>【私は歴史的世界における、権力者、庶民、大衆は全て制度的に作られたものであることを知っていますから、本来的に人は聖賢を目指すことが自然的義務と判断しています。聖人こそが最も人間らしい人間なのです。】
人間は理念として、高みを目指すであろう存在だとは思いますが、それは、衣食住満ち足りた上で「一部の人が進む方向」だろうと考えます。
その過程において「ほとんどの人は脱落していく」のでしょうが、現実的に歴史を作り出すのは「脱落した大多数の人たち」だろうと思いますよ。
まあ、何を持って「聖賢」と差し、何を基準に「聖人」とするのか?という部分もありますが「性欲」という欲望を卑しいものと否定し、「食欲」というものを無理に押さえつけるような方向なら「歴史は流れを止める」のでしょう。
よって、松浦さんの主張は仮説の域を出ることはありません。
>【日本では、「仁」「義」「礼」の全てが階級的秩序を維持するための道具として理解されてきました。】
中国で孔子が生んだ儒学の流れの中で、それが「階級的秩序の維持」の道具として利用されたのは確かですし、基本的には「現在までに考えられた、あらゆる思想・宗教的な概念」が権力側の支配のための道具にされたといっても言い過ぎではないでしょう。
しかし、それに「気付くことが出来れば、支配の呪文は効力を失う」と言う事も云えるでしょう。もっとも、呪文が効力を失っても「生活を変えられるか?」は難しいという面もあります。
>【この国では誤りを知る者は、昔も今も例外的少数者です。今日ではその傾向はさらに強まっています。】
確かに、その通りですが「自分で気付かなくても、他人に言われれば、誤りを知る者にはなり得る」という人は増加していると考えます。
敗戦と外国文化との接触の中で「人間は平等」という概念は広まっているのです。
>【宇宙の体系的調和を意味するCosmosと、個体関係の階級的秩序を表すOrderは、本源的に対立する概念です。Orderを求めればCosmosは破壊され、Cosmosを実現すれば自ずとOrderは消滅します。】
あくまで、バランスの問題であり、この意見は意味がないのかもしれません。
問題は、バランスを考慮した上で着地点の位置をどこに定めるのか?であり、その着地点のビジョンを「どのように示せるのか?」という事です。
庶民が理解できないような難解な言葉でビジョンを示しても賛同は得られないですし、他人の意見の不備を指摘するだけで、自分では「着地点たるビジョンを示さない」のでは、単なるケチツケにしかなり得ません。
もちろん、桃源郷のような「夢の世界」は実現できないでしょう。
しかし、貿易の黒字やGDPのデータの数値的には「国民がそれなりに平和に暮らせる国」は可能でしょう。
少なくとも「毎年3万人以上の自殺者を出し」「戦争を欲する若者が増加し」「餓死する人」や「過労死する人」がいる国で無くすることは可能でしょう。
>【私の言葉が貴方にとってどれほどの信頼があるかは量りかねますが、私にツキ物があるなら、どうか教えてくださいね。これは貴方に対する正直なお願いです。】
ここまで書いてきたことでは「憑き物」に気付かれないでしょうか?
一応、書いておきますが、Kは「影の闇さんを不当に評価していない。」と思っています。
歴史認識としての「知識」はKより高いと素直に評価していますし、まだ、評価を下してもいません。
しかし、目指すべき「ビジョン」が不明確であり、万人に理解できるようには語っていないとも感じている。
とても「美しい立論」というような評価をするに値するとの結論には達していない。
とりあえず、【アキバの事件について、皆さんが論じてない、全く別の視点からのアプローチを考えています。】とは自らの言葉なので、期待している。
勘違いしやすい部分に「読書量の多さを知識量」と思い込むという考え方がある。
その本を読んでいる読んでいないというのは「生まれた年代」とか「育った環境」で大きく異なり、しかも所詮は他人の「考え方」を書いたものでしかない。
要は、自分の言葉で「何を語ることが出来るのか?」こそが最大の問題だろうと考えています。
その上で、その考えを「どれだけ広められるのか?(他人に分かり易く伝える言葉を発することができるのか?)」が評価の対象かな?と考えています。