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(回答先: とりあえず、極簡単にレスしておきます。 投稿者 考察者K 日時 2008 年 6 月 21 日 00:18:11)
アリバイ以上のお返事をいただき感謝しております。
>他人の意見の不備を指摘するだけで、自分では「着地点たるビジョンを示さない」のでは、単なるケチツケにしかなり得ません。
ビジョンの尺が近い時間の単位ではないので、時事的な話や政治話の範疇ではないだけのことです。
私は、この体制の後に必要となる自然学を含む学問体系の創造を業にしておりますので、ここでの事はその派生です。
>しかし、貿易の黒字やGDPのデータの数値的には「国民がそれなりに平和に暮らせる国」は可能でしょう。
少なくとも「毎年3万人以上の自殺者を出し」「戦争を欲する若者が増加し」「餓死する人」や「過労死する人」がいる国で無くすることは可能でしょう。
結局、現実世界の大きさと深さ、本質の捉え方の違いでしょう。
「可能でしょう。」が、そうではないことを原理的に把握できていたらどうでしょうか。
それが単に貴方の尺に合わせた理解と、それが生み出した希望的観察に過ぎず、それが将来確実に裏切られることを知っているとしたら。
そのことに気付かせるための論で、言葉の遊びをしているのではありません。
現実世界の尺ではなく、自己の尺の中で生きる貴方が、現実に裏切られた後どうするのですか。
最も安易な即物で輪切って、その中で世界が完結すると信じて、その結論を信じる。
そして、敗北する。
何も、完結するなどとは思っていないと無難に応じたところで、もし現実が、思考の中で完結しなければ、その思考は必ず現実に裏切られます。
「庶民が理解できないような難解な言葉」・・・・・「庶民」そのものが作られた存在と言うことを理解させるために書いています。
その「庶民」が分かることは、現実とは関係がない。「庶民」は既に現実からも見捨てられた存在だと言うことを、今知ってはいけませんか。
全て終わってから、敗北感と挫折感の中で居直りしか残されていない中で、知ることはできないでしょう。
せめて考えるだけでもこの時期が最後です。
現実に則して冷厳に語れば、分からないものは長生きをすればいい。そうすれば少なくとも何が間違っているかの一端は知ることができる。
結果の経験だけでは、何が正しいかを知ることにはならないが。
それでも、考えることができないものにとって、現実だけが唯一の教師になってくれるだろう。
結局、問題なのは、教師の側ではなく学ぶ側の問題なのだ。
唯一意味を持つ評価は消えゆく者の評価ではなく、消えることがない次元の評価です。
絶対理論たる構造物象論だけが現実そのものの尺で世界を捉えることができます。
原理的に如何なる価値観も介在しない超歴史的理論です。
超歴史性とは迷妄に過ぎないと言ったマルクスも通用しない領域があります。
科学は蓋然理論ですから原理的に無謬性とは無縁だが、これは生まれながらにして絶対の無謬性を纏っています。