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(回答先: 「庶民」そのものが作られた存在 投稿者 松浦 日時 2008 年 6 月 21 日 02:16:03)
松浦さん、こんにちは。
横レスにて失礼します。
与えた方の心積もりは計り知れずとも、それによる恩恵を受けた方が独自のものと言い張る見苦しさに我々は気づくべきなのでしょう。中国のことでは学生時代に手にした『毛沢東選集』の中の一節「何故人は死ぬのか、それは生まれたからである。」が妙に心に響いて来たことをよく憶えています。革命にたいする覚悟のほどを説いたものと受け取ることもできますが、そのこと以上に恰も中国の歴史が醸し出しているような、時として激しく、しかし総じて悠然たる人々の心象風景を垣間見たような気がしたものです。
松浦氏の考察はアジェンダの其々が首肯できるものでありました。と同時に、実現論を模索すなわち問題解決の方途を探ろうとすると、悩みは広大、且つ深まるのを意識せざるを得ませんでした。例えば、双務的なるものとしての契約概念を日本人に浸透させるのにはどうしたらよいのか、以前松浦氏が触れられてもいましたが現憲法の本義でもある制限規範性を賦活させるにはどうしたらよいのか、これらの課題には本質的な問題の解決に資するべきモメントが伏在していると想いつつも、遺憾ながら特定するまでに至っている訳ではありません。
>現実に則して冷厳に語れば、分からないものは長生きをすればいい。そうすれば少なくとも何が間違っているかの一端は知ることができる。結果の経験だけでは、何が正しいかを知ることにはならないが。
<中略>
>唯一意味を持つ評価は消えゆく者の評価ではなく、消えることがない次元の評価です。
畢竟するに、我々は “差延”の回収を完璧に現実(≠文学的)のものとすることができ得ぬということでしょうか。それを自覚しつつ尚も抗おうとするのか、それとも只管問題対応の先送りに勤しもうとするのか、煩悩は尽きることがありません。
Auf Wiedersehen.