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(回答先: 自立と依存 投稿者 kanon 日時 2008 年 1 月 22 日 14:04:51)
kanonさん、こんにちは。
ざっとですが、ご投稿の文章を読ませていただきました。
私の投稿は、判りにくいかもしれませんので、雑談板の世迷い言として読み流してください。
私が考えますに、現在の状況は、決して働かざるもの食うべからずでは成り立っていないのに、そうあるがごとくに装っていると思うのです。働かずに一定の恩恵を受けながら生を繋いでいる人々は数多く存在しております。例えば、資産家の家族、あるいは末端の庶民の中でも親戚縁者の庇護の中にある子供、青年等多数存在しているものと思っています。
また、働くということに絶えず付随する賃金というものについても考える必要があるはずです。賃金なしでも働きを果たしている人々は数多く存在しております。そのような人々は、ボランティアと称されておりますが、、。
ベーシックインカムということを考える時に大切にしたいと思うのは、他を重んじるという意図がそこにあるか否かです。それがないのであれば、ただ、通り一遍の偽善的優越思想に過ぎないのではないでしょうか?
つまり、働くということや自立ということを目的とするのであれば、その視点はいつも強者の視点であるわけです。いわば、働いている自分を肯定した上でのそうではない他者を想定しているわけです。
私のいいたいことはわかりにくいかもしれませんが、例えば、親は子に対して無償の愛を提供するわけですが、それは、働くことが必要条件ではないはずです。また、自立を求める、または促したいからでもありません。
そこには、何の契約も存在していない場合の方が圧倒的に多いことでしょう。
さて、それはなぜなのでしょう?
それは、子を自己の一部と見なしているからではないでしょうか?
自己の延長としての他である家族を守ろうとするわけです。
また、労働の対価として、賃金をもらうことを働くとするか、
生きる糧を得る為に働くとするか、では意味が大きく変わるのではないでしょうか?
自立という言葉を、社会から見た視点での使用だと感じましたが、本来ならこの世に生まれ落ちた時点で人は皆、自立しているようなもののだとも言えるような気もいたします。
ベーシックインカムを実現する為には、個人の所有物という資産を他へ解放する為の思想の転換が必要だと思います。子が親にする様に、あるいは、他を自己の延長と捉えられる様に。
ところで、今日の首相の答弁で、多種多様の価値観等という発言がありましたが、私が思うに、人間はただ一つの価値観のみを追い求めているのだと思います。
それは、自己保存という本能が生む価値観です。