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(回答先: 小田 実(まこと) 「遺(のこ)す言葉」 【youtube】 投稿者 愚民党 日時 2008 年 3 月 10 日 00:06:08)
小田実は谷崎潤一郎の文学を評価していた。
小田実はデモに参加しながら、デモの隊列から見える向こう側にいつも注目していた。
向こう側とは機動隊のことではない。
市井の人々のことである。
谷崎潤一郎を評価する小田実の文章を読んだとき大きな人だと思った。
1983年「イスラエルのレバノン侵略 国際民衆法廷 東京」の会場で小田実をまじかで見た。実際に大きな男だった。
「何でも見てやろう」は高校の図書館でみつけた。
1970年だった。
あれから38年がたった・・・
デモの隊列から機動隊ばかり見ていると、その後の人生を誤る。
遮断する機動隊の向こう側を歩く市井の人々、普通の人々との歩行との回路こそ
人生が「心」の領域を発見する橋だった。
歩行とは相手の「気」を感知する空間の動きでもあるだろう。
橋から川をながめるとき、人生者たちが交差する・・・「故郷は思想だった」
三島由紀夫も小田実も「行動する作家」だった。
その基点こそ、焼け野原になった米軍機による大空襲、焼け野原になった都市だった。
戦後文学は「廃墟」から歩行という動きを出発させた。
その歩行とは「突っ立ったままの死者の身体」であり「敗戦の身体」である。
小田実は「中流」「平凡」「普通」にまたがる「心の領域」のすごい格闘構造を発見した戦後文学者でもあった。
いまなお「敗戦の身体」をかかえ生きている、おらは今夜も500円1.8リットル安酒の
合成酒を飲むしかながんべ・・・とほほ・・・
小田実は75歳まで生きた・・
おらは70歳まで生きられるだろうか・・・
いまごろ小田実はあの世で三島由紀夫と「日本をめぐって」論争をやっているんだっぺよぉ・・・酒を飲みながら・・・とほほ・・・
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