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(回答先: コメント小説 「ピーターの春2008」 【sogakozoh】 投稿者 愚民党 日時 2008 年 3 月 11 日 22:45:52)
コメント
春だ・・・
日本で生活するために「挨拶」ができなくては、おらが住んでいるアパートからも追放されてしまう。
おらみたい異邦人がここで生活するためには、ひたすらの「日本研究」が必要だった。
すこしからだが動きやすくなってきた。
近所のスパーマーケットには「ウォッカ」が置いていないので「焼酎」を休みの日は、ひたすら飲んでいる。
故郷の「ママ」に会いたい・・・
ママはウラジオストクの精神病院に入院している。
足が弱り車イスの生活だ。
ママが生まれたのは1920年、ロシア革命の3年後だった。ママは二十歳になたっとき「祖国防衛戦争」に参加した。ウラジオストクからシベリア鉄道に乗り
西部戦線へと派遣された。ドイツ軍との戦争、ヨーロッパ戦線、ママの任務は「縫い子」として、赤軍兵士の軍服を修繕することだった。ママの青春は「偉大なる労働者国家ソビエト防衛」に費やされた。
第2次世界大戦、ソビエトは2千万人の犠牲者を出して、勝利した。戦後、ママはモスクワにとどまり、衣服工場で働いていた。ウラジオストクに帰ってきたのは27歳だった。
共産党員を監視するKGBで働いていた父と出会い、ママは父と結婚した。結婚してもママはウラジオストクの電器製造工場で働いた。
1992年ソビエト連邦が崩壊した。
ママが狂いだしたのはその年からだった。
すこしづつママの精神は病んでいった。
ウラジオストクのスラム街で父が暗殺されたのは1996年6月だった。
監視していた旧共産党員たちの恨みを買ってか、それともKGB出身であるプーチン皇帝の秘密情報を握っていたからか、父が暗殺された原因は今もってわからない・・・とほほ・・・
父が暗殺されママはとうとう完璧に精神を破壊されてしまった。ママはウラジオストクの精神病院に入院したのは1996年8月だった。
おらはすでに1989年に日本に来ていたので、父の葬式にもママの入院にも立ち会えなかった・・・とほほ・・・
おらには妹がいた。
妹はソビエト陸軍兵士と結婚したが、妹の夫はアフガニスタン戦線で負傷した。妹の夫の名前はイワン。イワンがウラジオストクに帰ってきたとき両足はなかった。車イスのイワンを見て、妹は泣きながらイワンを抱きしめた。
おらには兄が二人いる。
長男の兄はウラジオストク市役所の用務員として今でも働いている。
次男の兄はウラジオストクのヤクザとして、日本との密貿易で稼いでいる。
夫のイワンを残し、妹がガンで亡くなったのは2005年の5月だった。
おらは日本にいたので妹の葬式にも参列できなかった・・・とほほ・・・
おらは冷たい人間だった・・・
兄から手紙が来た。
「お前は非人間だ。なぜウラジオストクに帰ってこない」
ウラジオストクに帰れない理由があった。
おらは1989年、父から秘密文章を渡され、父に命令されたのだった。
「これをもって日本に行け、2012年まで日本で身を隠せ。ウラジオストクには帰ってくるな」
父がおらに渡した封筒のため、おらは2012年まで日本で潜行しなくてならなかった・・・とほほ。
しかし無意味な日本での生活はキビシイ・・・
日本は崩壊しようとしている。
その崩壊はソビエト崩壊よりも地獄だが、誰も無関心を装って生活している。危機感などなく、今日もテレビではお笑い芸人が爆笑しているのみだった・・・
http://sogakozoh.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/2008_82af.html#comment-30537022
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