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(回答先: 機械生命族の地球コンピュータと人間身体感覚の記憶装置その地球母体の行方 投稿者 愚民党 日時 2008 年 3 月 14 日 10:14:32)
愚民党さん、こんにちは、レスをありがとうございます。
愚民党さんにとっては[如往]のHNの方が馴染み深いだろうと予想はしていました。スレ内での呼名が[如往]であっても当方には何ら不都合なことはありませんので、どうぞ今後も[如往]と呼んでください。
>「ひとりの人間が死ねばそれで終わりなのか・・・」
>如往さんの提起は自分にとってショックでした。
最近では日さん宛のレス(関連するURLは文末に)にも記していますが、「私は、人間には自律的もしくは天与の存在意義はあり得ず、それは創造していかなければならないものと捉えています。」との、他者からは諦念と評されそうな基本認識を携えています。多くの哲学徒達と同様に存在意義が原初的に与えられていないという認識に至ったのはニーチェの考察によるところが大きいのですが、ニーチェ以後の思想家や哲学者達がその創出の方途を探究して来たものの、何れも然程成功しているようには想われません。けれども、ひとたび存在意義創造の問題に取り組もうとするとき、やはりこの認識を出発点にしなければならないような避けては通れない多くの課題がそこにはあると考えます。
愚民党さんの“ショック”が如何程か具ではありませんので、これ以上話を進めることが躊躇われるのですが、個人的には存在理由の完結が間近になりつつある現況にあって、それ以降の存在目的の探求(存在意義の創造)というテーマが差し迫って来ていると感じています。意識するか否かは問わず、これは極々個人的な投企であり、しかしながら殆どが生命活動の個別的な停止によって強制的に終了してしまうものでもあります。また、どのくらいの年月で完了するものかも全く見当がつきません。その意味で75年や70年の時間軸上に自然に何かが生成すると望むのは、つまり生きていさえすればと考えるのは、命の有限性に因む人間の心象風景を想えば無碍に否定でき得ないことなのですが、反面ではそれに囚われることによって存在意義の創造の本義を見失うことにもなりかねないと思っています。
>小田実はエロス的人間であったと思っております。
小田実が、人間界の彼方にイデア(真)を求めるようなアガペ的人間ではなく、究竟において内界にこそイデア有りとする『エロス的人間』であったとする愚民党さんの認識を首肯したく考えます。小田氏と直に言葉を交わしたことはありませんが、その眼光紙背を徹するが如くの眼差しを以って現実の社会にひそむ諸問題を抉り出し問題の解決を図ろうと傾けていた強靭な英気を、著作ばかりではなく運動集会での演説や講演やインタビューの記録からも容易に窺い知ることができると想います。
Auf Wiedersehen
<関連URL>
それは私の中では継続している事項なのです。 投稿者 如往 日時 2007 年 12 月 17 日
http://www.asyura2.com/07/lunchbreak9/msg/455.html
メビウスの帯に巻かれたる世界 投稿者 如往 日時 2007 年 4 月 05 日
http://www.asyura2.com/07/dispute25/msg/456.html
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