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(回答先: 【新防人考 変ぼうする自衛隊】第一部 イラク派遣の実像 <1>“戦死”覚悟し儀式準備(東京新聞) 投稿者 天木ファン 日時 2007 年 8 月 25 日 12:57:54)
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/sakimori/news/070111.html
「フセイン大統領公邸」の人工池に面した宮殿の一室。出迎えた連合軍陸上部隊副司令官のウェブスター少将(米軍)は「よく来てくれた」と握手を求めた。
二〇〇三年六月初旬、イラク戦争の大規模戦闘が終了した首都バグダッドに、日本の内閣官房、外務省、防衛庁背広組、陸上自衛官の四人からなる調査チームの姿があった。
米国が国際社会の反対を押し切って強行したイラク戦争に、小泉純一郎首相(当時)は世界に先駆けて支持を表明。すると、米国は「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(陸上自衛隊を派遣せよ)」と“命じ”た。日本は引くに引けなくなった。
調査チームの目的はイラク復興支援のニーズを探ること。腹案はあった。「クウェートからバグダッドに至る幹線道路に給油所を造り、連合軍車両に無償で燃料補給したい」 案を作成したのは陸上幕僚監部(陸幕)。海上自衛隊がインド洋で米軍艦艇に行っている補給活動を参考にした。
ウェブスター少将は「燃料なら足りている」と素っ気なく答え、「メディバックをやってもらえないか」と逆提案した。メディバックとは、自衛隊の緊急医療チームをヘリコプターに乗せ、傷ついた米兵を治療しながら後方へ搬送することだ。
帰国した調査チームの報告に、陸幕は頭を抱えた。将官の一人は「墜落したら十人は死ぬ。耐えられるのか」。死者が出れば、国内世論は撤退一色になる。あまりに早く撤退すれば、日米関係にひびが入る。米側提案は、防衛庁の中だけで消えた。
同月下旬、自民、公明両党からなる政府イラク調査団は帰国して「米兵への浄水供給」と「C130輸送機による空輸」を提言した。調整に入り、米軍はC130派遣は歓迎した。そして冷ややかに言った。「他国が作った水を合衆国の兵士に飲ませるというのか」
陸上自衛隊の活動が、イラク人を支援する施設復旧、医療指導、給水に落ち着いたのは、米軍への支援策が相手のニーズに合わなかったからだ。政府は陸自派遣中、「活動は人道復興支援」と胸を張ったが、それは結果論にすぎない。
活動地域はなぜ、サマワだったのか。当時、陸上幕僚長だった防衛省顧問の先崎一氏(62)は(1)フセイン政権に捨ておかれ、支援を受け入れる下地があった(2)サマワ総合病院は日本の政府開発援助(ODA)で建てられ、日本とのかかわりが深かった(3)クウェートから近く、補給の心配がなかった−と理由を挙げた。
〇四年一月、サマワに到着した先遣隊の姿は、軍隊の常識を破るものだった。鮮やかな緑色の迷彩服。大ぶりの日の丸は胸、背中、左腕、ヘルメットの四カ所にある。米軍のように砂漠に身を隠すのではなく、あえて目立とうとしたのだ。
先崎氏はいう。
「米軍から離れていることもサマワを選んだ理由のひとつ。目立つ格好には陸幕にも反対する声があった。しかし、私は占領軍と同じとみられないことが何より重要と判断した」
活動の中身、派遣場所。重要な案件はすべて陸幕で計画した。「一人の隊員も失うことなくイラク派遣を成功させる」。一度は米軍支援を追求しながら、米軍のいるバグダッドから離れるという矛盾は、陸幕が掲げた目標の前にささやかな変更でしかなかった。
2007年1月11日
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