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(回答先: イラク派遣の実像 <3>活動資金 ODA部隊の保険に(東京新聞) 投稿者 天木ファン 日時 2007 年 8 月 25 日 13:49:03)
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/sakimori/news/070113.html
「IED(手製の遠隔操作爆弾)です」「本当か!」
サマワ宿営地。指揮所へ急いだ第六次復興支援群長の鈴木純治一佐(46)は正面のスクリーンを見上げた。映し出されたパソコン画像の二点は動かない。発信機を搭載した軽装甲機動車二両が、サマワ郊外で緊急停止したことを示していた。
駐留開始から一年半後の二〇〇五年六月二十三日、陸上自衛隊は初めてIEDによる攻撃を受けた。補修した道路の完工式準備に向かう四両の車列の横で、爆弾が破裂したのだ。
その瞬間、先頭と最後尾の軽装甲機動車の機関銃手が実弾を銃身に送り込み、攻撃に備えた。実弾装てんは「緊急事態を除き、指揮官の命令がなければ行ってはならない」(武器使用基準)と規定されている。まさに緊急事態だった。
「QRF(Quick Response Force=初期対処チーム)出動待機!」。存在さえ隠された隊員たちが救出準備を始めた。現地の状況が無線で伝わる。「高機動車のフロントガラスにひび。ドアも破損。しかし、自走可能です」。指揮所に安堵(あんど)の色が広がった。
実は被害を受けた車両に、サマワ外務省事務所の職員一人が乗っていた。もちろん武器は持っていない。隊員たちはイラク特措法により「自己の管理下に入った者」を守るための武器使用が可能だったことになる。
後日、隊員たちは「(対応措置が)手順通り進み、訓練のようだった」と感想を述べている。イラクに派遣された隊員が訓練で撃つ実弾は八百発、国内隊員の百五十発をはるかに上回る。「外国での発砲」が注目される中、よく訓練された隊員たちに迷いはなかったようにみえる。
IED攻撃から間もない七月四日午後十一時すぎ、ロケット弾五発が宿営地に向けて発射され、一発が敷地内に落下した。犯人は二手に分かれて逃走、別のグループによる援護射撃があり、イラク警察が応戦しているすきに検問所を突破した。
翌朝、発射に使った波状のスレート板が見つかった。宿営地までの距離は七キロ。過去の発射地点より二倍以上遠い。簡単な発射装置で遠距離から正確に狙ったこと、逃走の手引きがあったことから計画された攻撃であるのは明らかだった。
第三次業務支援隊長の岩村公史一佐(44)は「思い当たる節があった」という。
「IED攻撃の数日前、南部のバスラで国連や多国籍軍が出席して『南イラク復興会議』が開かれた。サマワ宿営地にはイラク移行政府のジャファリ首相が訪れ、南部からイラク復興をもり立てる空気が広がっていた」
派遣部隊は、一連の攻撃は安定を好まない勢力によると考え、本格的な攻撃に備えた。部隊が選択したのは「活動縮小」。宿営地外に出る時は耐弾性のある軽装甲機動車を利用した。乗員三人が必要で、ほかに乗れるのは二人。外出できる隊員はぐっと減った。
イラク特措法によると、活動の一時休止は防衛庁長官による中断命令につながり、派遣失敗となりかねない。だが、活動の縮小なら政治決断を待つ必要はない。
「いざとなれば武器を使う。だが、使用しないで済むようあらゆる工夫をする」と幹部。IED攻撃時の実弾装てんを含め、派遣中、銃の安全装置が何度も外された事実は伏せられた。
2007年1月13日
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