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(回答先: イラク派遣の実像 <5>多国籍軍 “サムライ” 世界が注目(東京新聞) 投稿者 天木ファン 日時 2007 年 8 月 25 日 13:53:05)
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/sakimori/news/070115.html
映し出されたスライドに、およそ自衛隊らしくない言葉が並んだ。「組織文化の打破」とあり、その下に「調整型から朝令暮改型へ」。
京都府舞鶴市で開かれた講演会。先遣隊として最初にイラク入りした第一次業務支援隊長の佐藤正久一佐(46)=今月十一日付で退官=が演壇に立った。「ヒゲの隊長」と呼ばれた口ヒゲは変わらない。
「『自衛隊の文化』は邪魔者でしかなかった。陸上自衛隊では『団結』という言葉がよく使われる。地元ニーズに応えるには多くの仕事が必要なのに、団結していたら仕事は一つしかできない。イラクでは隊員グループが絡み合って、複数の仕事を同時に進めた」
なぜ朝令暮改なのか。「自衛隊は事前調整が必要な組織。しかし、イラクでは相手に合わせて動かないとだめ。顧客ニーズに応えないと、文字通り生き残れない」。語られたのは“戦地派遣”で体得した経営哲学だった。
業務支援隊の任務は、復興支援を円滑に進めるための渉外活動。地元と調整する「制服の外交官」の役割を果たした。
取材に対し、佐藤一佐は「復興業務を開始するまでの二カ月間は本当に苦しかった。『何もやらないなら帰れ』とまで言われた」という。
「気持ちをなだめようと羊十頭をサマワ最大の有力部族に贈った。すると別の部族から不満が聞こえ、会いに行った。怒っていた部族長はその後、最良の友人となって、さまざまな情報を提供してくれた」
施設復旧の順番は、部族長らの声を聞き、自分で決めた。半年後、第二次業務支援隊長としてサマワ入りした田浦正人一佐(45)は「佐藤一佐の手法は陳情対応型。活動基盤ができたわれわれは民主主義育成型を目指した」。
サマワには知事、州評議会、バグダッドにある各省に直結する局の三者による権力構造があった。学校修復の要請は十一ある市町村評議会からサマワにある州教育局に上がる。毎週一回の会議には自衛隊も参加した。
「そこで私たちは『話し合って順番を決めてください。決定に従って、自衛隊は仕事を発注する』と伝え、自主的に決めてもらった」
次に交代した第三次業務支援隊長の岩村公史一佐(44)は、自分で工事の順番を決める佐藤方式を採用した。週一回アンケートをとり、地元ニーズや隠れた不満を探ろうとした。
佐藤、田浦、岩村の三氏は、一緒に調査学校(現小平学校)で英語教育を受けた同級生。だが、外交術や経営学は教えられていない。岩村一佐はいう。
「幹部は戦争に必要な『プラン・ドゥー・シー(計画・実行・反映)』を徹底して学ぶ。目的を達成する方法を考え、その手順を決める。無から有を生み出すイラクの活動は、陸上自衛隊のノウハウが生きた」
自衛隊文化を否定した佐藤一佐とは異なる肯定論。各者各様なのは、陸上幕僚監部が「現場の判断」こそが重要とみて、自立できる人材を登用したからだ。
“凱旋(がいせん)”した業務支援隊長五人、復興支援群長十人は全員、陸上自衛隊の中枢へ異動した。自衛隊の枠に収まらなくなった佐藤一佐は、七月の参議院選挙で政界進出を狙う。
<メモ> 復興支援群と業務支援隊 復興支援群は施設復旧、医療指導、給水の3分野でイラク人支援を行った。隊員約500人で、任期は3カ月。 業務支援隊は約100人で任期は半年。復興支援群の活動を円滑にするため渉外業務を担当した。
2007年1月15日
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