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(回答先: イラク派遣の実像 <4>襲撃対処 実弾装てん 迷いなく(東京新聞) 投稿者 天木ファン 日時 2007 年 8 月 25 日 13:51:01)
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/sakimori/news/070114.html
「オペレーション・サムライ」。陸上自衛隊にこんな名称の不測事態対処作戦があった事実は、今も隠されている。
イラクで負傷した隊員を他国の力で後方搬送する作戦。一度だけ、英軍との間で実動訓練が行われた。隊員を乗せた英軍ヘリコプターが、陸上自衛隊サマワ宿営地から英・豪軍のキャンプ・スミッティまで飛んだ。
「(憲法上、武力行使できない)自衛隊は救出されることはあっても、他国の救出には行けない。弱い立場の自衛隊には何より気配りが大事」と第五次復興支援群長の太田清彦一佐(50)。
二〇〇四年六月、イラク暫定政府の発足に伴って連合国暫定当局(CPA)が解散し、軍事部門は多国籍軍が編成された。憲法の制約から自衛隊は指揮下に入らず、各国との調整というあいまいな立場で参加した。
軍事力と情報を集約する多国籍軍と、どう連携すればいいのか。太田一佐が考えたのは文化、スポーツを通じた交流だ。全国の部隊から和太鼓、柔道、空手の名手を選抜し、サマワ駐留のオランダ軍に腕前を披露した。
オランダ軍と交代した英軍とも交流会を行った。太田一佐は「各国と人間関係ができた。会えばいろいろな情報を伝えてくれる」。ヘリによる搬送訓練は英軍との交流会後に実現した。
サマワから北へ三百キロ。首都バグダッドのキャンプ・ビクトリーには、米、英、東欧など各国の連絡要員が詰める多国籍軍司令部がある。周囲を別の米軍キャンプに囲まれ、銃声さえ聞こえない。静かな軍事には、どこか政治色が漂う。
自衛隊から送り込まれた連絡要員は五人。〇五年七月から翌年一月まで勤務した国井松司二佐(44)は「基本計画が切れる時期が近づくと『自衛隊は撤収するのか』と問い合わせが殺到した。日本への注目度に驚いた」。
最も高い関心を示したのが、北部に三千人以上の大部隊を派遣した韓国軍だ。小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝問題で両国の関係は冷え込み、政治対話が途絶えていた。モンゴル軍も自衛隊に注目した。ロシアや中国と国境を接し、多国籍軍に参加することで自国の安全保障を保とうとする姿は、米国と向き合う日本と重なった。
多国籍軍司令官のケーシー大将(米軍)は会合のたび、国井二佐に話しかけた。「将軍が中佐と同等の二佐に声をかけるなんて本来、あり得ない。それだけ自衛隊のイラク派遣は重かった」
食堂での出来事だ。他国の連絡幹部と昼食中、若い米軍幹部が同じテーブルについた。彼は「どこから来たの」と東欧諸国の幹部一人ずつに話しかけ、最後に、日の丸をつけた国井二佐に「で、君はどこから?」。すると某国の幹部が「日本を知らないのか、出よう」と怒り、全員で席を立った。
「皆から仲間と認められていると実感した」と国井二佐。ただ、このエピソードからは、米国に対する各国のいらだちがみてとれないだろうか。
派遣国は次々に撤収し、多国籍軍に占める米英以外の国の兵員数は一割にも満たない。米国の戦争に巻き込まれながらも、米国のパワーに信頼を寄せる国々。その中に日本もいる。
2007年1月14日
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