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まあ、仕方がないと言えば、それまでだが
都知事選も終わったなと言う気がする。
思考停止の左派が「都民のやる気を失わせてしまった」ので、ほとんど「君が代強制政治の継続が決まった」と言うことである。
一時は、妥当石原氏にチャンスありと感じた都民も、これは駄目だと判断したようである。そうなれば「勝ち馬に乗る」という流れが形成され、無駄に投票場に足を運ぶのも馬鹿らしいと「一時は反石原の希望に燃えた人も意気消沈でシラケ虫」となる。
左派は「左派こそが正しい」との思い込みに陥って、千載一遇のチャンスを無に帰し、右派系の圧政に都民を誘ったのだ。
本当に救いがたい「A級戦犯」だと思う。
実現しない理想と、今より少しはマシな現実の比較すらも出来ない者が「自分は正しい、私の判断力は他の人を凌駕している。」と信じているのだから、憑きもの憑きも良いところだろう。
「バカは自分のことをバカと気づかないからバカ」なのであり「自分を省みる事がないので無敵の存在」である。
で、バカの所為で「都民が今後も右派の圧政に苦しめられる」という現実に対して、何の責任も感じないのだろう。
自分のバカな判断が「君が代強制政治を存続させた」と言う事実に「金輪際気づかない」のだろう。
バカが足を引っ張ったことによって、妥当石原の第一候補が失速し、反石原陣営の意気が消沈したのに「自分らの候補」と「反石原候補との差が縮んだ」などと言う「何の意味もない事柄」に喜ぶのだろう。究極の愚か者と言えるだろう。
まあ、こんな事を繰り返すことによって、左派的な人からもそっぽを向かれて、消滅するまで「自己満足の世界」で悦に入っているのだろう。
そもそも、左派の思想なんて「大多数の人はどうでも良い」のだろう。問題は、今の苦しい生活が少しでも改善し、格差社会が少しでも改善すれば良いと思っているだけである。
左派の方法論はそのような人たちの思いを叶える方法を実践していく中で「少しづつでも左派のファンを増やしていく」という事なのだろう。
それが、生活者の期待に対し「足を引っ張りながら、左派の価値観の押しつけをしている」のだから、呆れ果ててしまう。
誰も「確かな野党」なんてものには期待していない。
「野党」というのはブレーキにしかなり得ない。決して、その方向に進む推進力は発揮できないのである。
しかも、ブレーキとしても、野党からもはみ出た野党であっては、クソの役にも立たないだろう。
そんな「猿でも分かる理屈」すらも分からん「バカの集団」に何かを期待するのが「至高のバカ」であり、しかも、そんな者こそが「自分の判断力」を疑おうともしない。
過去の歴史に「某左派政党の政策提案が実現された事があるのだろうか?」
はっきり言って「某左派政党の掲げる政策は、食堂にある瀬戸物で出来たメニューと同じである。」
「絶対に食べられない」という見せ餌に釣られて、応援する愚かしさは、大戦で散った特攻隊員と何ら変わることはないだろう。洗脳された信者である。
Kは前から主張しているが「構成員の犠牲」を考えない組織は「存在自体が悪」である。
結果論として「都民の生活を悪化させるような選択をしている組織」に未来を語る資格はなく、長期低落傾向の先には消滅しかないのだろう。