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冒頭の「歴史とは万人のものである」という言葉は全くそのとおりだと思います
しかし、僕にはこの書が説くことの牽強付会、推論に推論を重ねる屋上屋的構造、「誰も知らなかった韓国文書」であるらしい『桓檀古記』や『日韓正宗溯源』に対する無批判とも思える援用等々は、よく2ちゃんねるなどに見られる自分たちにとって都合のよい「事実」を拾い集めて来て歴史を語ろうとする態度と極めて近いもののように感じてしまいました(汗
もっともこうした印象も、僕自身がかつて「偽史シンジケート」の一翼を構成する考古学徒だったせいかも知れませんが…
僕が歴史を学ぶことを放棄した後に出会った、いわゆる自称「左翼」の皆さんが共有する唯物史観的社会発展の認識は、ある意味新鮮なものでありましたが、同時にその一系進化的な歴史観には言うに言われぬ違和感を感じたものです
「もし人類の歴史が19世紀にマルクスやエンゲルスが考えたとおりに経過し、また進んで行くとすれば、過去について探求しようとする歴史学なんて、何の意味があるんだろう?」って…
佐治芳彦氏の歴史を見る目は必ずしも唯物史観的な立場ではありませんが、この著作を読みながら、ほぼ似たような気持ちにさせられました
とりあえず以上