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(回答先: 秋元さん、沈着冷静な判断力ありがとう 投稿者 偽の友をあばけ 日時 2006 年 8 月 19 日 07:18:42)
偽の友をあばけさん
上の方でワヤクチャさんが「自虐史観」のスレッドを立てましたが、『邪馬臺国抹殺の謎』とかその中でテキストとして使われてる『桓檀古記』等を歴史学がどう見るか、またどう扱うべきかについて、とても示唆的な論文が出ているので紹介します。「新しい歴史教科書をつくる会」とも無縁ではありませんので…
久野俊彦・時枝務 編『偽文書学入門』KASHIWA学術ライブラリー07 発行所:柏書房株式会社 2004.5.30
第四部 近代につくられた偽文書・偽書 近代の偽書―“超古代史”から「近代偽撰国史」へ・・・藤原明
+++++《以下引用》++++++
二 近代の偽書の範囲とその性格
本稿で対象とするのは「曖昧模糊とした国史の霧を払い、国体の真姿を浮き彫りにする」という、戦前の一部の国家主義的思想の持ち主の期待を担い、歴史の一局面に登場した”太古文献”ないしは”記紀以前の書”といわれた偽書である(11)。
この種の偽書としては、景行天皇が神代(かみよ)以来の政道の根本を後世に伝えるために編纂させたという長歌体の神話伝説集『秀真伝(ほつまつたえ)』、貞応二年(一二二三)豊後(ぶんご)守護大友能直(よしなお)らの撰になるという『上記(うえつふみ)』、富士山の北東麓に神代の都・高天原(たかまのはら)が存在したとする『宮下文献(みやしたぶんけん)』、神代の都・高天原は越中にあり、神代の昔は日本が世界を支配したという破天荒な内容を記す『竹内文献(たけうちぶんけん)』、『竹内文献』に類似した神代を描く丹波綾部(あやべ)の九鬼(くき)家の『九鬼文献(くき/くかみぶんけん)』、モーゼの渡日を記載するとの風聞があった豊後安部(あべ)家の『安部文献(あべぶんけん)』、高天原は阿蘇にあったとする『日宮幣立宮古文書(ひのみやへいたてぐうこもんじょ)』等さまざまなものがある。その主要な書目は、神代文字(かみよもじ)(国語学等で存在の否定されている、漢字以前に存在した日本固有の文字に仮託された偽文字)と関わりを有している。
この一事に端的に示されるように、これらの偽書の基調はアナクロニズムである。にもかかわらず、戦後再び復活し今日に至っている(12)。「記紀等の正史に記されていない”敗者蝦夷の歴史”」としてひところ注目された『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』のように・戦後になって登場したものさえある(13)。
この種の偽書に関心を示す層の大半は、空想的物語風の歴史読み物やオカルト雑誌等を愛読するファンタジーや夢の世界の住人である。そうした人々を相手に、”超古代史”という学術用語として不適切な名称を奉られた偽書が、「記紀などの正史から隠蔽された真実の歴史である」と喧伝されている。学問の世界では論外の代物とみなされ、まともに取り上げる研究者は皆無に近い。世間では、失笑をかっているといっても過言ではない。歴史学等の研究の土俵に、果たして取り上げる価値があるのか、疑問視される方もいよう。しかも、戦後この種の偽書を最初に持ち出したのは、戦後史学に敵対的なイデオロギーを有する右翼的人士であったという経緯がある。代表的な書は、日本浪曼派の林房雄『神武天皇実在論1よみがえる日本古代の英雄』(光文社、一九七一年)である。
林の著書が登場したのは、ちょうど文部省が昭和四十一年(一九六六)度用の中学校歴史教科書に記紀などの日本の資料を重視せよと指示したと伝えられたことが「神話復活」の動きとして問題視された時期にあたった。そのため、林の著書に代表されるこの種の偽書の復活が「神話復活」の動向の一つとして注視されたこともあった(14)。そのことは、近年の類似の動向を考えると見逃すことはできない。世界的な国家主義の潮流が台頭しつつある現在、それを追い風に登場した「新しい歴史教科書をつくる会」が投じたさまざまな波紋から、歴史認識をめぐる問題が浮上しつつある(15)。そして、この動向と符節を合わせるかのように、二〇〇二年に、林の著書も夏目書房より『天皇の起源』と併録の形で復刊をみている。
学術研究の姐上に近代の偽書を取り上げるうえでの大きな課題は、林の著書の存在に端的に示されるイデオロギー的観点からの負の研究史の系譜の克服である(16)。
三 近代の偽書の分類と系統論への展望
今日“超古代史”の名でよぼれている偽書には、原田実・森克明編「古史古伝総覧」(『別冊歴史読本』二一―三四「古史古伝の謎」「特別企画 古史古伝事典」)をはじめ、原田・森等が過去に挙げた書目の名を列挙するだけでも、次に示すとおり四一書にのぼる。
@『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎたいせいきょう/さきつみよのふることのもとつふみおおいなるつねのり)』、A『秀真伝』、B『三笠紀(みかさふみ)』、C『太占(ふとまに)』、D『上記』、E『宮下文献』、F『竹内文献』、G『南淵書(なんえんしょ)』、H『九鬼文献』、I『安部文献』、J『日宮幣立宮古文書』、K『物部文献(もののべぶんけん)』、L『春日文献(かすがぶんけん)』、M『若林家古記(わかばやしけこき)』(文化一二年〈一八一五〉野崎伝助『喚起泉達録(かんきせんだつろく)』紹介の伝承)、N『但馬国司文書(たじまこくしもんじょ)』、O『但馬郷名記(たじまごうめいき)』、P『但馬世継記(たじまよつぎき/よつぎのふみ)』、Q『但馬秘鍵抄(たじまひけんしょう)』、R『大御食神社神代文字社伝記(おおみけじんじゃじんだいもじしゃでんき)』、S『伊未自由来記(いみじゆらいき)』、S『向山家古伝巻軸(さきやまけこでんまきじく)』(大正八年〈一九一九〉須田宇+『甲斐古蹟考』紹介)、S『真清探當讃(ますみたんとうしょう)』、S『カタカムナのウタヒ』、S『古世言見比々軌真之統示(こよふみひびきまのすべし)』、S『東日流外三郡誌』、S『易断史料(えきだんしりょう)』(「かたいぐち記」、「異端記(いたんき)」)、S『神伝上代天皇記(しんでんじょうだいてんのうき)』、S『富上官出雲臣口伝(とみじょうかんいずもおみくでん)』(昭和五五年〈一九八○〉吉田大洋『謎の出雲帝国』紹介の島根県簸川(ひかわ)郡の山中居住の富當雄(とみまさお)家の口承伝承)、S『正統竹内管長職家文書(せいとうたけうちかんちょうしょくけもんじょ)』、S『天書紀(てんしょき/あまつふみ)』、S『天書(てんしょ/あまつふみ)』、K『日本総国風土記(にほんそうこくふどき)』、S『契丹古伝(きったんこでん)』(神頒叙伝(しんしょうじょでん))、M『竹書紀年(ちくしょきねん)』、O『穆天子伝(ぼくてんしでん)』、O『山海経(せんがいきょう)』、S『檀奇古史(だんきこし)』、Q『桓檀古記(かんだんこき)』、R『揆園史話(きえんしわ)』、S『符都誌(ふとし)』、@『花郎世紀(かろうせいき)』
そのうちM〜Jの八書は中韓両国の書である。これらは、中国東北部で発見された『契丹古伝』が、日本の起源を記したものと解釈されたこと等の影響から”超古代史”と認定されたものである。本稿でいう近代の偽書にはあたらないのでこれらを除外すると、三三書となる。戦前より現在に至る経過を見ると、ときおり増減がみられるものの年々増加する傾向がある。
《中略》
今回検討したのは『宮下文献』のみであるが、他の「近代偽撰国史」についても同様の事例が見いだされる。この点はすでに別稿で紹介したので、一例のみにとどめるが、『秀真伝』にも、同書に説かれる男女の道の「伊勢の道」は、真言密教の秘教的世界の影響下に形成された『古今注』や『伊勢注』の中に現れる伊を女、勢を男 『宮下文献』をはじめ「近代偽撰国史」に〈中世日本紀〉を源泉とする奇妙な言説が存在するというのは、大変興味深い現象である。一般には近世儒学の台頭による合理主義の潮流の中で、〈中世日本紀〉に体現された中世の”知”の世界は歴史の舞台から消滅したものとみられている。それが姿、形を変えて、限られた範囲とはいえ近代に至るまで命脈を保ったという可能性を提示しているのではないだろうか。中世の偽書から近代の偽書への変遷という思想史の文脈から、『宮下文献』をはじめとする「近代偽撰国史」にアプローチしてみるのは意義深いテーマになるだろう(38)。
五 偽書の研究への展望
江戸時代に『大成経』が出現した際に、同書が偽書であることを明らかにした論者は、感情的な論難で攻撃した。近くは『東日流外三郡誌』といういわくつきの偽書について、『大成経』のケースを上まわる糾弾調の論議が繰り返された。
確かに偽書が本物として横行するのは困りものであるが、真贋のみを明らかにすればそれでよい、というのでは研究として不毛である。『東日流外三郡誌』偽書説を声高に叫ぶ人々の一部は、論争に直接関わらない学者について「学界の社会的責任放棄」と非難しているが、真贋のみを論議する実りのない問題に時間を費やすことに意義があるとは思われない。筆者は、偽書に関する研究というのは、真贋論とは別の次元にあると考える(39)。重要なことは偽書が存在するという歴史的事実を受け止め、それがどのような精神世界を体現したものなのかという視点であり、偽書が存在する根底を掘り下げていくことにある。
+++++《引用終了》++++++
註については『偽文書学入門』をご覧ください