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(回答先: 記紀自体が偽書、しかしと佐治さんが事実を言っていますね 投稿者 偽の友をあばけ 日時 2006 年 8 月 21 日 05:42:58)
偽の友をあばけさん
前記した藤原明氏の論文でも「古文書学における文書と記録の関係同様に、偽文書と偽書を截然とは区別しがたい」ことを認めています
文書学、文献史学の中でこの分野に関して、その後の研究がどう深まっているか知りませんが、おそらく大きな前進を見ていないのではないかと思います
ただ、藤原氏は前期論文で「通常、偽書という場合、内容を偽ったものと認識されている。そのため、空想的物語風の歴史読み物の著者や愛好者の中には『古事記』『日本書紀』(以下、併称する場合は記紀と記す)の内容にも偽りがあるので、これも偽書であるという極論さえみられる。このような認識が近代の偽書の享受の背景にあるが、その点はひとまずおく(5)」として、註(5)において「典型的事例として、徳間書店から一九七九年より刊行された『謎の”激史シリーズ”』と銘打たれた佐治芳彦の一連の通俗書がある」ことを指摘しています
この指摘が『日本国成立の謎』にも及ぶかどうかわかりませんが、僕が『邪馬臺国抹殺の謎』を読んだ印象では、佐治氏の古代史モノは歴史研究書としてよりSF的読み物として受け止めるべきかと感じました
戦前・戦中の考古学を含む歴史学全体を「偽史シンジケート」として断罪することで、戦後の関連諸学の研究成果をも無視するような態度で書いていますから、当然、考古学的な発掘調査で明らかになっていることも反映されず、ひたすら空想・妄想的原始・古代史像を書き連ねるしかできないのだと思います
プロであろうとアマであろうと、ひらめきは大切だと思いますが、同時にそのひらめきを検証する努力が欠けては歴史の再構成にはならないだろうというのが正直な感想です
少なくとも『邪馬臺国抹殺の謎』は、歴史に興味を持つきっかけは作れるかも知れませんが、それ以上のものを含むかどうかは非常に疑わしい一冊でした