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Re: 歴史学上の「偽書」の定義
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投稿者 秋元健一 日時 2006 年 8 月 27 日 01:29:18: EjfswsyCJQQaY
 

(回答先: 偽書も色々、古史古伝は伝統中国タイプ、記紀はサッチョ北朝鮮タイプですね 投稿者 偽の友をあばけ 日時 2006 年 8 月 26 日 02:45:05)

偽の友をあばけさん
考古学の分野では「偽書」を資料として扱うことは非常に稀(と言うか、発掘によって金石文や墨書土器、漆紙文書が出土しても、そこに書かれた文字、文章をどう読み解くかは、多くの場合、文献史学研究者の手に委ねられているんじゃないかと思います)だと思うので、「偽書」の定義については正直言って僕にはよくわかりません(汗
先にあげた藤原論文中でもあまり具体的に書かれていませんでしたが、試しにウィキペディアを覗いてみると、次のような文があります

偽書:偽書(ぎしょ)とは、由来が偽られている文書・書物のこと。主として歴史学において(つまりはその文献の史的側面が問題とされる場合に)用いられる語である。単に内容に虚偽を含むだけの文書は、普通偽書と呼ばれることはない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E6%9B%B8

ウィキペディアも全面的に信頼が置けるものだとは思っていませんが、個人的には現状では上記解説で十分かなと思われます
考古学をかじった者から見ると、文字に込められた情報量はすばらしいものがありますが、同時に嘘や誤解、偏見といった書き手の立場や感情が紛れ込みやすいという特質も見逃せません
当然、書き手が生きた社会や時代をも反映しています
ご紹介いただいた佐治氏と徳間書店との関係などは、ある意味その典型ではないでしょうか?
メディアリテラシーの重要性が云々されてから、もうずいぶん年月が経ちますが、テレビや新聞などに限らず、商業主義的な単行本の世界にも適用すべきかと思えます
大げさなようですが、佐治氏の著作にそういった執筆の背景事情が記されないとすれば、氏の著作を読んだ人々が空想的・妄想的歴史観で現代を生き、未来を構築しようとするのを放置することになりかねません
そういう事態はご本人が後になって「ぼやき」を述べたところで、何の言い訳にもならないはずです
僕としては、佐治氏は「歴史とは万人のものである」と言いつつ、少なくとも原始・古代史については読者を混沌の世界に導いているだけのように感じます
きついことばかり書いてすみません…(汗

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