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(回答先: 理論の前に… 投稿者 秋元健一 日時 2006 年 8 月 09 日 04:27:27)
>縄文ビトさん、レスありがとうございます
こちらこそありがとうございます。いい勉強をさせてもらっています。
>ところで縄文ビトさんの書き込みを読むと、僕にはいろいろ疑問が生じて来ます
最初にご紹介いただいたウィキペディアの「搾取」の項目ですが、その中の「資本制以前の搾取」で次のように記述されています
> マルクスが言うところの原始共産制社会とは、考古学上では中石器時代社会の、後半社会に該当する部分である。現在の考古学ではその時代を生産力が低いとは決して見ていない、狩猟採集経済であったが家族関係の延長線上にある親族社会であり、この関係が親族を他者とは考えない観念となっていることによってこの社会では搾取は行われない。つまり現在社会でいえば家族の中で搾取が行われないのと同じである。
>★ところが続く文章の中では次のように記述しています
> 搾取が発生し始めた社会、人間が栽培植物を発見し、本格的な植物栽培に乗り出したとき、つまり農耕の発生が始まった社会であり、そこから多くの余剰生産物が発生し、本来共同体全体の労働による余剰生産物であるにもかかわらず、一部の者がそれを私有として消費した時点が、他者の労働の一部を私有化したということになる、そのことが搾取の始まりと言える。
>★搾取のない「親族社会」の中で始まった農耕で、誰が誰の労働を私有化したのでしょうか?
>上の文章を読む限りでは家族的な親族社会の内部で搾取が発生していることになりますが、何か矛盾していませんか?
J 親族社会の中でも生産性が上るにつれ、その余剰生産物を管理する者が当然出てきます。また余剰生産物が発生したことにより交易という他部族との物々交換も発生してきます。つまり考えられることは余剰生産物を管理し交易という特別な地位を得た者がそこから得られる利益を私有として消費していったということです。初めは他の者に気づかれないように徐々に行われたと考えられます。
狩猟採集社会、例え親族社会であってもその社会の中でもルールがあります。構成員全体が平等の意識が強く、その中には、ずるいがしこい人間もいます。それは現在家族の中の兄弟の中にもずるがしこい兄なり弟がいるのと同じです、現在ではそれは兄弟げんかとなりますがそれを公平に判断するのが親の役目です。その社会にもそのような役目を持った長老がいたはずです。そして構成員全体が自分勝手に生きようとする者を排除する力を持っていたといえます。
ただそこに宗教(呪術者)が神のためと言って余剰生産物からの交易品を私的に使用していく道を開いたとしたら、それに異議を唱えることは神に逆らうことになります。
このように理解していただければよいのですが。私の書き込みもそこまで書き込みませんでしたが、ウイキペディアはいつでも編集という形で誰でも書き込みを入れることができます。秋元さんも入れられてはいかがですか、人の書いたものを批判するのではなく自分の意見を述べられることを期待しています。
>それからレスいただいた文章の中で次の一文が不可解です
無階級・無階層の社会に、階級・階層社会を持ち込んだのがいわば渡来人です。
★当時の縄文社会に渡来人が階級・階層社会をを持ち込んだということはどのように証明されているのでしょうか?
J どのように証明されると言うのではなく、縄文時代の無階級・無階層の社会がなぜ壊れたのかと言うことだといえます。渡来系の人達が日本列島に来なかったとしたら現在でも無階級・無階層の時代が続いていたと考えます。いやむしろ栽培植物を発見し、農耕まで取り入れた者が最初世界のどこかにいたはずです、それはメソポタミアのシュメールかも知れませんが、また中国かも知れません、これからの考古学がそれを明かしていきます。
そしてその当時話し合いで解決する道を探っていたなら。歴史上の偉大な人物も現れなかったでしょう。彼らは他人の土地を侵略しそこにいる人々の労働を自己の富としたわけです。それが戦争の始まりであり現在もつながっているわけです。
>これは僕が http://asyura2.com/0601/dispute24/msg/114.html で縄文ビトさんに質問したことの繰り返しですね
J 天皇家は現在まで何代続いていますか?そして世襲制です。血筋の正しいものが天皇家を継いで来ているわけです。人民を支配したということははっきりしています。これからの考古学を取り入れた歴史がやがてそれを証明するでしょう。
>縄文ビトさんは http://asyura2.com/0601/dispute24/msg/141.html でも「渡来人は階級・階層社会で生きていた人達です」と断定なさっていますが、これも何を根拠としておっしゃっているのか僕にはわかりません
J 失礼な言い方かも知れませんがあなたには解らないかもしれませんが、やがて勉強していく中で理解してきます。私は少なくとも、人よりか前に進むことを心がけています。例えば「貨幣とは何か」で世界中を探しても現在明確に答える人はいないはずです。そこに貨幣の法律を超えた盲点が在ります。それを活かせば平和的革命が達成できると考えています。ただ私に聞くのではなくあなた自身も考えてください。
考古学的な論証がなされていないままに日本での階級社会の発生について論じてしまうのは、僕には即断に過ぎると感じます
> http://www.bund.org/opinion/20040915-2.htm 日本人は縄文毛糸弥生系
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E6%9D%A5%E4%BA%BA ウィキペテイア「渡来人」参照
> http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/152.html 渡来人のルーツ
>★荒氏の講演内容はひとまずおいときます
ウィキペディアの「渡来人」の記述に「古く縄文時代の終わり、約2500年前頃よりアジア大陸から、春秋時代やその後の戦国時代にかけての混乱と戦災を避けて日本に渡ってきたと思われる人々のこともさす。考古学的調査により、彼らが最初に水稲を持ち込んだ(陸稲は約3500年前から存在。約6000年前からという説も)と考えられている」とありますが、これはたしかでしょうか?特に「考古学的調査により…」という部分が気になります。こんなこと書くと失礼ですが、何となく縄文ビトさん流の前提に立って記載したかのような印象を受けます
この点、僕も少し調べてみようかと思います
疑り深くてすみません(汗
J ウィキペディアは誰でも編集し直すことができます。あなたもできれば編集したらいかがですか。もし間違えた編集であれば載らないということも確かです。そして載ったとしても即、他の人が編集し直すということも確かです。渡来人の項目では私は載せていません。
>九州大学総合研究博物館のページでは、 http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/166.html という項目もあります
そこにはこんな記述が…
「少ない縄文人の中に相応に『少ない渡来人』が加わることで、形質も変化し、文化も渡来文化一色になることはなかったと考えられるのである」
ここでは形質人類学や考古学的な調査・研究で倭人の形成が論じられていますが、渡来人による縄文人征服の有無には立ち入っていません
J ここでは少ない縄文人という前提がありますね。地域に寄っての開きではないでしょうか。沖縄辺りと北海道では縄文的な要素(共同体的なもの)が21世紀でも残っていると聞いています。
>> ★すでに書いたように吉野ヶ里遺跡の防御的な性格は、対縄文人を想定できません
> 「倭人」同士の問題です
>
> これも紀元300年という時代の復元と説明しております
★そうです
吉野ヶ里遺跡で縄文と弥生の過渡期の逆茂木が発見されているのでしょうか?
僕は http://asyura2.com/0601/dispute24/msg/109.html で縄文ビトさんが書かれた「本来は外部の敵侵入に備えてのサカモギの先端が内部を向いている」を意識して書いたつもりなのですが…
J これは決して私の作り事ではありません。どこかで読んだことを記憶していただけです。もしできればあなたが初期の吉野ヶ里を研究なさって見てはいかがですか。他人をつつくよりもあなたが確信を持ってこんなことは無かったと言って欲しいです。
>小山修三氏のご説は単に仮説としての提起ではないのでしょうか?
三内丸山遺跡での高床式倉庫の復元がどのような理由で行われたのか知りませんが、農作物などの剰余生産物収納保存を想定しているのでしょうか?
>もしできれば高床式建物が縄文時代にあったという説を探したほうがいいのではないでしょうか、私の知る限りでは縄文時代の貯蔵はフラスコ状ピットという地下に穴を掘った貯蔵穴だと聞いております。また各自は家の周りに小さな貯蔵穴を持っていたということです。これは青森県の是川にある縄文館に展示されています。
J そしてこれは私の独断ですが縄文時代後の高床式建物は貯蔵倉庫で番人を立てていたのではないかと見ています。それまでの地下貯蔵庫では縄文時代の人達の感覚では自分たちの労働で貯めた物という意識から食べたいときに食べてしまう。それを防ぐためもあったのではないでしょうか。
>> ここにはある見方は偏った見方であり、これらの人が学会の上部を占めている限り正当な評価ができないと考えています。つまり階級・階層社会が古代からあったという前提に立っている論議だからです。私から言わせれば一部の人間が外部との接触(交易を通じ)からそれまでの親族社会を宗教により徐々に壊し階級・階層社会を形成していったと考えます。つまり伝播です。
★失礼ですが、縄文期に階級・階層社会を想定することが「偏った見方」であることと、縄文ビトさんの「渡来人は階級・階層社会で生きていた人達です」「渡来人としての弥生人が縄文人を征服した」と断定することは、僕にはどちらも五十歩百歩のような気がしてなりません
J 少なくともここから日本列島に搾取が持ち込まれたということができます。それが階級・階層社会の始まりです。
>貨幣論を進める上での仮定としても、考古学的な手法によって立証できない以上、仮定はあくまで仮定でしかないように思えるのですが…
J 他人の書いたものを拠り所としたのでは文明文化は進みません、自分の考えで書く、それを違う人の考え方がぶっかって真実を探り出していく。それでいいのではないですか。あなた自身が他人が書いたものを単に批判するのではなく、私はこう思うがということを書いてください。そしてそれを私の考えでとぶっかりあっていく。
>>次は階級・階層社会がなぜ発生し、現在どのようになっているのかを論じましょうか。
>★申し訳ありません
今回の議論で僕はたまたまむかしかじった分野に関わる疑問が生じたことでコメントさせていただいただけで、貨幣論や経済学分野についての論議に加わる意志はないのです
単に疑問が解決できればそれでよし、です
J ただそれだけに留めないでください。