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(回答先: むしろキリスト者はエスペラント語を使うべきです 投稿者 ロシアチョコレート 日時 2005 年 5 月 08 日 11:05:50)
「唯一絶対の神の意志」と「ヨハネの目撃談?」のどちらが、キリスト教にとって重要であるのか?
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日本語
わたしはまた、別の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、
種族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福音を携えて来て、(新共同訳)
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ここで言う「天使」は「言葉の違う民」達に対して、エスペラントを使ったとは描かれていない。
描かれていない事を類推し、根拠とするのは聖書で禁じられている。
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エスペラント語は、永遠を福音を全ての民に伝えるのに相応しい言葉だと思います。
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どの様に相応しいのか?
エスペラントを神が認めていない以上(明記されていない以上)、人間の都合で聖書の前提(基本ルール)を歪めるのが正しいキリスト者だというのなら、それは、聖書を利用した唯の邪教に過ぎない。
エスペラント語がなぜ相応しいのか?
神の指示とヨハネの黙示はどちらが重く扱われるべきか?
【異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。】マタイ伝10章5項
これは、イエスが12人の弟子達に布教活動を命じたときのエピソードだ。
イエスが「外国人へ福音を宣べ伝えるな!布教するな!」と言っている。
もう一度問う。
神、イエスの指示とヨハネの黙示はどちらが重く、なぜ、エスペラントが相応しいものなのか?聖書のどこに書かれているのか?
是非お教え願いたい。
尚、ヨハネに黙示を与えたのはイエスだと述べられている。