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(回答先: 話題をあまりずらさないで下さい 投稿者 ロシアチョコレート 日時 2005 年 5 月 08 日 19:30:36)
RC:「禁止規定」とは「書かれていること以外の事はして良い」という意味です。
666:その根拠の提示を願う。
論理学を用いて聖書を運用するのがキリスト教の本懐なのか。
RC:「イエス、神とも徹底したユダヤ人しか相手にしていない」というのは、あなた独自の見解だと思います。
666:それはない。
聖書にイエスの行動が明記されており、それを根拠にわたしは主張した。
【主よ、どうかわたしを憐れんでください。わたしの娘がひどい悪霊に憑かれています。】マタイ伝15章22項
同章23項〜28項までに、その後のイエスと弟子の行動が記されている。
「イエスは、このかわいそうな女性を異邦人という理由で無視、黙殺する。」
「その女性は泣き叫びながら懇願し続ける。」
「イエスの弟子達は、その女をうっとうしいから追い払ってくれとイエスに頼む。」
「わたしはイスラエル人(ユダヤ人)の為だけに神から遣わされたものだ。お前のような外国人は知らん。もう帰れ。とイエスは言う。」
「それでも土下座までして懇願する女性。【主よ、わたしをお助けください。】」
「イエスはその女性を犬扱いし、憐れむ様子もない。」
「なおもすがりつく女」
「根負けしたイエス。「願いを叶えてやる。」と言った瞬間、娘の病気は治る。
666:たった一言(一瞬)で解決できる事を異邦人というだけで、拒み続ける。
イエスのこの態度は神の意志を受け継いだものだ。
旧約を読めば一目瞭然だ。
神は古代ユダヤ人の前にのみ姿をあらわし、戒律を示し、恩恵を約束する。
それ以外の民族にはまったくその気配すらない。
異民族には恩恵も天罰も戒律も与えない。
全能の神があえてそうしないという事は、意図的に異民族を無視したと断じて良い。
「彼らが、少しでも他の神に浮気心を見せるだけで神は自分を見失うほど怒り狂う」出エジプト記32章7項〜10項
「彼らが、少しでも神に不平を言うだけで、彼らに対し殺戮の限りを尽くす」民数記11章33項
666:神が異民族に対し「自分を信仰しない」という理由で殺戮などしたことがない。(ユダヤ人の信仰を守るために異民族を殺戮した事はたくさんある)民数記25章1項〜9項
いかに神がユダヤ人の絶対帰依のみに執着していたか、異民族にはなんの関心もないかが、良くわかる。
イエスの直接的なエピソードにも、神の律法にも、そんな指示はない。
ペテロとパウロは、イエスと並ぶ聖性を持っているのか?
弟子の主張を信仰し、神とイエスの教えを軽く見ても良いのか?
弟子と神(イエス)が矛盾したしゅちょうをするなら、弟子より神を信仰するべきだ。
「福音の信奉者」より「神、キリスト」だろう。