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(回答先: Re: それはキリスト教の最大の矛盾点を象徴している 投稿者 アンチキリスト666 日時 2005 年 5 月 08 日 18:16:38)
>しかし、貴方の見識
>『神との契約は「禁止規定」と言われています。「〜をしてはならない」といった表現をとります。
>神は「エスペラント語を禁ずる」と書いていません。書かれていない事は、神の義にかなうか否が問われます。』
>は、聖書の精神を捻じ曲げている。
>書かれていない事はグレーゾーンではなく、禁止されている。
>聖書に判断基準を加えても減らしてもいけないとある以上、書かれていない事を『神の義にかなうか否か』などとは言ってはいけない。
RC:「禁止規定」とは「書かれていること以外の事はして良い」という意味です。
>ところで、『神との契約は「禁止規定」と言われています。』とは、聖書のどこに書かれているのかを明記するように。
RC:聖書の「十戒」の規定方法など「〜するべからず」を「禁止規定」というのは、論理学の用語です。
これは、聖書に「インターネット」と書いていなければ「インターネット」は存在しないと主張するかのような文言ではないでしょうか。
>使徒行伝にはこのようにある。
>【神はエコ贔屓されることがない、ということがほんとうによくわかりました。】(ペテロ)
>【どんな国の民族だろうと、神を畏れて善を行う人は、神に受け入れられます。】(ペテロ)共に使徒行伝10章34項〜35項
>これらの記述は、イエス、神ともに徹底したユダヤ人しか相手にしていないスタンスと大きく外れるものだ。
>なぜか?
RC:「イエス、神とも徹底したユダヤ人しか相手にしていない」というのは、あなた独自の見解だと思います。たとえば、復活したイエス・キリストは、「マルコによる福音書」第13章10節で次のように述べています。
10 しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。
「あらゆる民」とは、すべての民族を示しています。
>【わたし(ペテロ)もただの人間です。】使徒行伝10章26項
>自分でそう言ってる【ただの人間】のペテロやパウロの教えに従い、神の律法もイエスの教えも無視し続ける(良いとこ取りしかしない)>キリスト教徒は、「パウロ教」とでも名乗るべきだ。
RC:復活したイエスは、使徒言行録の第1章8節で、
8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人になる
と述べています。そして聖霊の力を得たペトロは、使徒言行録の第9章40〜42節で、
40 ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。
41 ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。
42 このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた
と遺体を蘇らせます。使徒言行録の第10章25〜26節で、
25 ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。
26 ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。わたしもただの人間です。」
と、ペテロは「神の代理人」の立場を貫いています。またパウロは、
1 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから(ローマの信徒への手紙 第1章1節)
15 しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、
16 御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、
(ガラテアの信徒への手紙 第1章15〜16節)
4 わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。(テサロニケの信徒への手紙T 第2章4節)
23 ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました。(コロサイへの信徒への手紙 第1章23節)
と、「福音の奉仕者」の立場を貫きました。
以上です。