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「フロー経済からストック経済へ」といった掛け声もあるが、国民経済におけるフロー(所得)とストック(資産)について考えてみたい。
フロー(所得)は、給料・営業利益・配当・利息・賃貸料など経済活動を通じて手に入れた貨幣的富、すなわち、GDPを構成する付加価値である。
フロー(所得)は、財やサービスの供給活動で得た対価と考えればわかりやすい。
ストック(資産)は、土地・建物・機械設備・道路・港湾・空港など経済活動を行う基盤や手段であり、フロー(所得)を生み出す物質的条件と言えるものである。(のれん代はともかく、特許権は資産と考えることができる)
ストック(資産)は、財やサービスの供給活動を行うための固定的物的条件と考えればわかりやすい。
しかし、土地が資産と言えるかどうかは実のところ大きな問題を含んでいる。なぜなら、土地以外の資産は、すべて人の活動力によって形成されたものであるのに、土地は、整地が人手でなされるとしても、それ以前の土地は天賦のもので、人の活動力が生み出したものではないからである。整地を建物の一部とみなせば、土地は資産から除外することもできる。
(土地が資産となるのみならず他の資産や財よりも高く評価されてきた日本は、今後の国際競争力で不利な条件になる。機会があれば説明するが、たぶん、中国との国際競争力で決定的な問題になるはず)
資産は、ある時点のフロー(所得)を代償として将来のために形成された継続的利用可能な財と考えることができる。
機械を製造したり道路を建設する企業に支払われたお金が企業の営業利益や給料になるという意味で、フロー(所得)のなかには、資本形成(継続的に利用できる財)に携わることで得るものもあるということである。
このようにフローとストックを説明すると、経済(学)に興味がある人なら、「金融資産」がまったく取り上げられていないことをいぶかしく思われるかもしれない。
結論的に言えば、株式や債券そして預金といった「金融資産」は資産ではない。
まず、株式は、企業が保有している(純)資産の持分比率を示す証券だから、企業が株式払い込み金や内部留保で取得した製造装置や建物などが資産であっても、株式自体が資産ではないことは明瞭である。株式を資産として計上すれば、企業が所有している実物資産とダブル計上になってしまう。株式資本は、返済義務のない債務であり資産ではない。
株式は、その企業が供給活動を行なうための条件である(純)資産に結びついているから価値がある。投資家の保有株式が売れないとしても、その企業は保有資産を使って事業を継続することができる。株式はそれを購入してもいいと思っている人がいるあいだだけ資産であるかのように見えるだけの話である。
同様に、社債も、債権証書であり、資産としては、企業が所有している実物資産で計上済みである。
(企業会計で、フロー(所得)は損益計算書(P/L)で管理され、ストック(資産)は貸借対照表(B/S)で管理されるものであることを考えればわかる)
預貯金や貯蓄性生命保険も、通貨のまま保管されているわけではなく、貸し出し・不動産取得(建設)・公社債投資に使われているはずだから、誰の実物資産になっているのか、はたまた、誰かへのプレゼントになってしまったのかは別として資産ではない。
(「バブル崩壊」後の銀行の不良債権問題が、実物資産の評価額下落や株価の下落から生じていることを思い起こせば、誰かへのプレゼントになったという意味や金融資産が幻想であるということもわかるはず。誰かへのプレゼントになったことで、国費を10兆円以上も投入し、長期デフレ不況にさいなまれているのである)
俗に「金融資産」と言われるものは、その価額に見合うものかどうかは別として、実物資産に対応しており、資産としては帳消しされている“幻想”なのである。
実際にも、国民経済計算における国富は実物資産の価額合計であり、「金融資産」は含まれていない。
(国外の「対外金融資産」のみが計上されているが、それも外国の実物資産形成に使われたか誰かの手に渡ったお金だから“幻想”であることに変わりはない)
金融資産と言えるのは、企業や家計が当座使う予定のないまま保有している通貨くらいかもしれない。
しかし、金本位制ではなくペーパーマネーである通貨を退蔵しているからといって、資産価値が保たれるわけではなく果実も生まないのだから、資産とは言い難い。
「金融資産」を資産と考えている人は、貨幣は貨幣のままでは果実を生まないという経済論理の基本さえ弁えていないのである。
本当に貨幣が貨幣という果実を生みそれで欲しいものがより多く手に入るのなら、人は労働をする必要がないことになる。
貨幣が株式に姿を変えようと、貨幣が貸し出しに使われようと、貨幣が国債に化けようと、それ自体では配当も利息ももたらさない。
貨幣は、ストックを含む財や人的活動力を購入して供給活動に使われることで、うまくいけば利益を得ることができ、配当や利息の源泉になるのである。
(投機活動で利益を得たとしても、それは、たんに誰かから誰かへの貨幣の移転であり、移転元がいなくなる(金融取引の参加者がいなくなる)ことで終わってしまうものである)
フロー(所得)とストック(資産)に関する理解ができれば、日本は個人金融資産が1400兆円もあるから問題ないという言説がいかに“空虚”でデタラメなものであるかもわかるはずである。
金融資産1400兆円は、それを原資として形成された固定的資本(資産)に変わっている。(株式は既発株式がほとんどのはずだから、他の人にお金が移転しただけで、それがどう使われたかは不明)
ということは、金融資産1400兆円が果実を生むためには(たとえ超低利であっても)、それによって形成された資産を使った供給活動で利益(営業利益)が上げらればならないことになる。
もっと重要なのは、金融資産1400兆円が保全されるためには、それによって形成された資産の価額が維持されるか劣化した資産価値が減価償却=債務履行されていなければならないことである。
(来年4月に予定されている「ペイオフ解禁」が行われれば、預金にあった“保全性”も1000万円が限度となる)
現実の日本経済は「デフレ不況」であり、地価は下落を続け、建設費用も低下し、企業収益も低迷している。
100億円で購入した土地が30億円になり、当時500億円で建設したビルと同じビルを今建てたら170億円で済むという経済状況である。
端的に言えば、土地・建物・機械装置のなかで現在の価額を超えた価額で購入するために使われた「金融資産」は保全さえされていないことになる。
(建物や機械装置は減価償却=価値劣化するが、いくら高い価額で購入していても現在の“新品”の価額から使用経過期間で劣化する。15年前に500億円で建てたビルは、170億円から経過期間相当の価値劣化で120億円程度になる。本来なら350億円といったもので、インフレなら400億円で売却できる可能性がある。そうであっても、ビルを借り入れで建てているのなら、債務は500億円のまま利払いと元本返済をしなければならない)
不動産賃貸のフロー(所得)も、下がった土地と建設費でできたビルの収益率の影響を受ける。
たとえば、同じ床面積と設備で隣接するビルがあり、一方はバブル期に1200億円で土地を取得しビルAを建て、もう一方のBは最近400億円で建てたとする。
ビルスペースへの需要が旺盛でなければ、Bは年間賃貸料が50億円で貸することになり、Aもそれに対抗するため50億円未満で貸すことになる。
Bの収益率は12.5%だが、Aの収益率は4.1%である。これでは、Aは債務履行と諸経費さえ賄えないはずである。不動産を売却しても300億円ほどしか回収できないから、債務を完済することはできない。銀行も、不良債権化したくないから、「利息だけ入れてもらえば」という対応であろう。
この間の日本経済は「資産デフレ」とも言われているが、地価や株価が下落した基本要因はバブルの反動だから、バブルを形成した政府・日銀・銀行も責任を負うが、財の価格下落とは違って当然の調整的価格下落である。
上述の説明を考えればわかるように、バブルの反動で起きる調整的価格下落を別にすれば、「資産デフレ」の要因はフロー(所得)の低迷=「デフレ不況」である。
資産価格は、フロー(所得)の変動によって決まるのである。
それは、ストック(資産)が財やサービスの供給活動を行うための固定的物的条件であることを考えれば明瞭になる。
不動産にしろ、機械装置にしろ、それを利用していくらのフロー(所得)が稼げるのかという見通しが、それらをある価格での購入するかしないかの判断基準になる。
(バブル期の不動産価格高騰は、「土地神話」を盲信して将来の値上がり益を期待し、収益率を度外視した価格で取引が行われたことによるものであり、“異常”なのである。それを見抜けなかった(と思われる)政府・日銀・銀行は、無能の謗りを免れることができない)
これは住宅にも言えることである。
給料が切り下げられたり失業の不安に苛まれている勤労者が、値上がりも期待できない住宅を手に入れるために、過大な負担になる膨大なローンを組もうとするだろうか?
インフレ状況であれば、ローンの実質的負担は年々軽減するし、いざとなれば住宅を売却して返済しても余剰金を手元に残すことができた。
基本的にフロー(所得)を生まない住宅(耐久消費財)でさえ、フロー(所得)の影響をモロに受けるのである。
資産価格の下落を抑制したり上昇に転じさせる唯一の手法は、フロー(所得)の増加なのである。
ストック(資産)の最大の問題は、それ自体は消費できるものではないことである。
立派なストックがどれだけ形成されようとも、それだけでは生存さえ維持できないのである。
日本という地で我々の先人が営々と築き上げてきた立派なストックを活用して行われる供給活動=フロー(所得)こそが、少ない労苦で安らかな生活を維持し余暇も楽しめる唯一の“糧”なのである。
「フロー経済からストック経済へ」といった掛け声は、このような根源的問題さえ理解できていない虚妄の言説である。
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★ 関連参照投稿
『「産業主義近代」の終焉:“自然の恵み”ではなく“人々の恵み”が産業を発展させ生活も向上させてきた。』
( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/692.html )
『「産業主義近代」の終焉:戦後日本が豊かになったのはただ単に「より多く働くようになった」から!?』
( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/490.html )
『「産業資本主義」の終焉:戦後日本の「農業(漁業)→産業→商業・サービス業→金融業」発展形態:「労働の交換」を理解するため』
( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/757.html )
『「産業資本主義」の終焉:インフレーションと経済成長(デフレーションと不況):インフレは産業への“賛助”である。』
( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/786.html )